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心というもの

またまたお久しぶりのnote。

果たしてこのnoteの存在を認識している人がどれだけいるのか
なんだかんだひっそりと更新されることがあることを知っている人がどれだけいるのか

本気で、将来はメン限コンテンツになるだろうなと思っています。

そうなったところで見る人は限られていそうな気がするけど。


「ブロックする」ということの重さ

活動者でなくとも、SNSをやっている者ならいくらでもブロックをするということはあるだろう。

和蛇田自身、インプレゾンビと言われるような"多分心も知能も無い状態でなんとなくコピペして何かを生み出しているんだろう"と感じるような類であれば問答無用でこちらも心も考えもなしに報告したりブロックしたりする。

ブロックすれば済む。

けど、
相手に心も知能もあるはずだからと信じた場合には

相手の全部じゃなく、たった一つの何かだけでも自分にとっては結構な不快感に感じた時「それさえ自分に対して"やらない"ということを選択してくれれば困らないのにな」と思ってしまうから

本当に、ブロックすることで落ち着いてしまうことにも

匿名での行為だとしても、和蛇田の感覚が当たっていて
本当に解決してしまうことも

悲しくなってしまう。


対話が難しいのはどうしてだろう

たった一つ、受け止めてほしいだけなのに
和蛇田の言葉は相手に届かないまま地に落ちてしまうばかりなんだろう

悔しいなぁって、同じことを何度経験したって考えてしまう。


理解できなかったから離れた
好きになれなかったから離れた
好きだったけどどこか一つでも嫌いだから離れた

それなら構わないのに

理解できないから攻撃した
自分の一部を受け入れてくれなかったから攻撃した
拒否されるのは気に食わなかったから攻撃した

そんな類の何かが生まれた頃にはもう遅いことばかりで。
それに気づくのに、和蛇田はもう何度も何度も同じことを繰り返してきて。

和蛇田がどうあろうと、どう行動しようと、相手には響かないどころか、届きさえしないことばかりならば

「いつか届くかもしれない」なんて期待は捨てるべきなんだと、失敗を繰り返して確実に知った。



悲しいし、悔しいよ。

うまく生きられないことも、うまく受け止められないことも、うまく流せないことも、うまく言葉を交わせないことも、うまく自分を表現できないことも。

それでも、この道を進んでいこうと決めたから。
すべきことは、やっていこう。

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