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愛がわからないのは多分、ずっと、なのだろうか?

お久しぶりです。

元気にしていますか。

和蛇田つむぐは、すこぶる元気です。


幼き頃から「執着」「嫉妬」を向けられる側だったから

和蛇田つむぐは、小さな頃から人間から妬まれることや必要以上の執着心を向けられることが多かった気がする。

"気がする"というのは、最近「多分そうなんだ」と思うようになったからだ。

元々バケモノの和蛇田からすれば、人間のことはよくわかっていないのだが、とりわけ「嫉妬」に関しては漫画やアニメやドラマで"そういうもの"という何らかわかりやすい形で表現されたものから学び取っただけで

和蛇田の中には「嫉妬」というのがわからないままで。
生きとし生けるものが幸せそうならそれでいいし、その幸せを憎むことも壊すことも思いつかないし、他の者は他の者、和蛇田は和蛇田だからそこにどう思ったところで何もどうしようもないし成り代わることも神じゃない限り(いやもしかしたら神様でさえ)無理なのだから、自分のことをどうにかするほかないだろう、と考えてしまうから。

なおのこと、そういう類の感情が向けられていたとしても気づくのはいつも「和蛇田が相手との関係を終わらせようと決めた時」か「相手が何かしら実行に移すようになってきた時」だった。

ただ、あまりにもそういう経験が多くて、
今までは「どうして」「和蛇田がちゃんと人間になれてないからいけないの」ってどんどん、自分の存在が間違ったものあるいは何かの失敗作でしかないんだろうと思うようになった。


逆に「和蛇田が悪い」のは、確かにそうなのかもしれない、プラスの意味で。と考え始めた

和蛇田は、どんどんどんどん人間と近しくなることが怖くなって

どんどんどんどん孤独なままが一番なんだと思うようになって

和蛇田側に深入りしてこようとする人間は、いつか何かがおかしくなるんだと思うようになった

なら、近しくならなきゃいい。おかしくさせないためには、和蛇田から距離を取ればいい。

群れるのが得意じゃないのは元々。
なら、孤独を愛してこのまま進もう。

そう思ってここまで来た。


でも最近、ちょっと考え直した。


どこでどう過ごそうと
いかに目立たずに過ごそうとしても

どんなに口数を減らしても
どんなに厳しい言葉で切り捨てようとも

和蛇田に執着する生き物は、一定数 居続ける。


それは、和蛇田が悪いの??


そうか、和蛇田が悪いね。

和蛇田が、きみを離れられないくらい魅力を持ってるのが悪いんだよね。


でも、これに関しては和蛇田もどうしようもないから謝らないでおこう。


ずっと「なんで和蛇田なんかに」「和蛇田なんかに粘着しても何も得られないだろ」って思い続けてきたけれど、わかった。

「和蛇田だから」か。

離れられないのか。
魅入られたのか。

なるほどね。

自己肯定感を下げにきてたわけじゃなく、爆上げしにきてたわけか、そういう方々は。


それが愛だというのはおこがましい、とも思うよ。それは「恋」止まりだ。

何が愛だろう。

何が「好き」だろう。

和蛇田はずっと考え続けていくんだと思う。

ただ、言えるのは

あまりにも一方的で押しつけがましいそれを、和蛇田は愛とは呼びたくなくて、だから「愛」と叫ぶ人間たちに知らないフリを続けてきたところもある。

「恋」なら一方通行でもいいだろう、きっと。

恋を通して、愛を知ってほしいよ。
思いやる、愛を。




和蛇田は、どちらにしてもあまりわからない部分があるけれどね。

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