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エッセイ かえり船

 もう10 年以上前のことです。
この話は何度か人に話したことがあるのですが、今朝がた、たまたま夢で追記憶をなぞったので、忘れないうちに、それを文字にとどめておこうと思います。

 少し長くなるので、まあ、短編小説だと思って、暇な時にでもゆっくり読んでください。

 私は単身、車で宮崎か鹿児島かに行った帰りに、たぶん、福岡県内だったと思いますが、とある温泉マークがついた道の駅に立ち寄りました。

 脱衣室にいた若者グループ数人が、金髪や派手なネックレスやタトゥーつきのヤンキーだったりして、

「えらいガラが悪い客が多いなあ」と、ふと嫌な予感がしながら、とりあえずスッポンポンになって浴室に入ろうとして、ちょうど中から出て来たオッさんとすれ違うと、なんとそのオッさん、カラダ一面に派手な入れ墨。

「あっちゃ〜 このあたりは、入れ墨おことわりとちゃうんや」

 そう思いながら中に入ると、これまたびっくり。
 腰掛けて壁を向いてカラダを洗っている、パッと見ても20人近くの背中や肩には、色とりどりのデザインが刻みこまれていたのです。

 せっかくささやかな「旅の癒し」を求めていたのに、激しく後悔しました。

「九州って、まだこんな世界が残ってたんや…」。

 君子危に近づかず……そこで私は彼らを避け、シャワーや蛇口がある洗い場ではなく、そのまま、浴室のさらに奥にある、露天風呂に直行・避難しました。

 露天風呂には先客が2人いて、どうやら会話の内容から察するに、彼らはサラリーマンのようでした。歳の頃は30代。
 この2人、まったく緊張感がなく、のんきにそこそこ大きな声でバカ話をしていたので私は、

「こいつら、空気が読めんのか? それとも、かなり先に館内に入っていて、まだこの状況を知らんのか、そのどっちかやな?」

 と、思いながら、岩で出来た浴槽の、彼らとは反対側に腰を沈めていました。

 入れ墨集団は、もしかしたらシャンプーとかし終えたあと、露天風呂になだれこんでくるかもしれません。

 そんな心配をしていると、ヤンキーではなく、かなりの老人がひとりだけ、露天風呂の湯船に入ってきました。

 老人といえども全身入れ墨。ひと目で、業界の人だとわかります。おそらくこの状況では親分と見るのが妥当でしょう。

 老人を見たとたん、2人のサラリーマンの声がピタリと止まり、顔を見合わせ、アタフタと湯船から逃げ出しました。
 それを見た私は、

「やっぱり、奴らは単に、入れ墨集団の来襲を知らんかっただけやったんやな」

 と確信するとともに、浴室や脱衣所で、さらなるおぞましき状況を目の当たりにせざるをえない彼らを、哀れむと共に、ちょっとおもしろいと思ってしまいました。

 あまりに2人が露骨に逃げて行ったので、老人はさすがに顔をしかめました。

 そのあと、私の存在に気づき、

「ニイちゃんは、出て行かんでもええん、か?」と言ったので、私は落ち着いて、

「ジャマになるんでしたら、すぐに出ますよ」と答えました。

「いや、悪かった。そういうつもりで聞いたんやないんや、かんにんしてや、気い悪うせんといてや」

 そのまましばらく沈黙が続いたのですが、老人は再び口を開きました。

「今日な、実は若いもんが事件おこしてもてな、それでちょっと、警察とか、バタバタしてたんやけどな…そいつ嫁はんも子供もおって、今回パクられたんが初めてでな、それで、なんとかしてやりたいと思ってるんや」

「何をしはったんですか?」

「ケンカや」

「相手は素人ですか」

「いや、チンピラや」

「死んだんですか?」

「それが、たいしたことない、怪我だけや」

 ここまでの会話で、老人は湯船につかりながら、私の方へやや接近し、ふとした疑念をぶつけました。もちろん、私の人相や体格が同業に見えるはずがありません。

「あんた、もしかしたら、刑事……さんか?」

 この「刑事」という職種のあと、おくれて「さん」という敬称がついたのも笑えます。

「いえいえ、とんでもない」

「ほんなら何か、弁護士はんか?」

「それも違います。ただ私は関西出身で、子供の頃からまわりにいろんな人がいましたから…ただそれだけです」

「そうでっか、安心しましたわ。ほんならついでに聞くんやが、ヤクザで初めてで、弁当もらえるやろか?」

 ちなみに「弁当をもらう」とは、業界用語で「執行猶予」のことを言い、実際には、刑務所にいかずに済む判決をもらうことを意味します。

「細かい事情がわからんので、なんとも言えませんが、可能性は、ないことはないと思いますよ」

「そうやろか? そやけど、わしらスジもんやからな」

「弁護士は、つけはりましたか?」

「それも、どうしようか、考えてたんや」

「そうですか…急いで弁護士つけた方がええですよ。私から自信持って言えるのは、それくらいです。あとは弁護士にホンマのことを包みかくさず言うて、とにかく執行猶予をとってくれと頼むことです」

「やっぱりそうか、ほんならそうするわ。いやぁ、ニイさんのおかげで、なんかちょっと気が楽になったわ、ウチの若いもんには、誰一人としてまともな相談できんからな」

 いつのまにか「ニイちゃん」が「ニイさん」に変わっていました。

「ところで、ニイさんは、いったい何の仕事をしてはるんでっか?」

「音楽の仕事です。歌をつくったり、コンサートしたり……」

「ほんなら、ニイさんはやっぱり、ピアノ弾けたり、歌歌えたりするわけですか?」

「それが、私…楽器はサッパリで、自分が人前で演奏することはないんです。まあ、作曲もしますが、本職は作詞ですから」

「へ〜、作詞家先生ですか、それやったら、きょうびの若いもんの歌、あれ、先生はどない思いはります?」

「ニイちゃん」が「ニイさん」になり、ついに「先生」に昇格しました。

「まあ、ひどいもんですな。まず、歌詞が無茶苦茶で、聞いてられません。でもまあ、それも時代の流れやからどないしようもありませんね」

「先生から見たら、どんな歌が、ええ歌ですか?」

「そらやっぱり、歌詞がええ歌ですね。歌はまず歌詞が命です。そうしたらどうしても、日本語の情緒を大切にしてた昔の歌になりますわな」

「ワシな、先生……実は……昭和21年の1月に大陸から引き揚げてきてん」

「船はどこに着いたんですか?」

「佐世保ですわ」

「九州なら博多とかやと思ってました。私らのとこは、ほとんど舞鶴でしたから…そうですか、そういえば、佐世保にも軍港がありましたね」

「命からがら本土に帰っきてな、それからも、苦労して、苦労して…そんな時に、やっぱり歌だけが、なぐさめてくれたんやな、こんなワシにも」

「ええ話を聞かせてもらいました。そらね、歌や音楽の力は、ものすごいんです。そやから私は、その道を選んだんです」

「歌はな、あの頃…よう聞いて、よう泣いたなあ」

「引き揚げ船といえば、やっぱり《帰り船》ですか?」

「そら、バタやんやな、あの頃は、どこの駅に行っても、そればっかり、よう流れてたんや」

「歌は世に連れ、世は歌に連れですね、それで、ご自身でも歌われるんですか?」

「それが、ワシ一切よう歌わんねん。昔から唱歌の授業とかも苦手でな、聞くのは好きなんやけど、そやからカラオケも行ったことない」

「カラオケは、私も行ったことないですよ」

「ニイさん…」またニイさんに戻った…。

「ニイさん、バタやんの"帰り船"ちょっと歌うてくれまへんか?」

「ですから、私は歌い手とちがいますから」

「でも、作詞家の先生やったら、歌詞はわかりはるでしょ」

「そら知ってますよ、作詞が、清水みのる ですから…清水みのるは、最初ポリドールやったんですけど、戦後はテイチクに入って、"帰り船"で大ヒットしたんです。"帰り船"が出たのが、たぶん終戦の翌年、昭和21年だったはずです」

「そうや、忘れもせん、ワシが復員してきた年や」

「♪ 星の流れに〜とか、
♪ 月がとっても青いから〜 

とかも、清水みのるの作詞です」

 と、これが悪かった!

「ニイさん、歌えるがな」

「口ずさんだだけですがな、こんな、鼻歌なら、誰かて歌えますよ」

「それでええから、頼むわ、わし、よう考えたら、昔のことを思い出すのが嫌で、あんなに好きやった"帰り船"を、もう…そうやなあ…50年以上、ちゃんと聴いたことがないんや…ごしょうやから…年寄りの頼みやと思うて……」

 相手も特殊な職業なので、あまりひつこく逆らわず、しかたなく私は歌い始めました。

 歌い出してすぐに気づいたこと。

 この歌、風呂の中で力抜いて歌うと、実に歌いやすいのです。


  波の〜背の〜背に〜
  揺ら〜れ〜て〜揺〜れ〜て〜
  月の〜潮路の
  かえ〜り〜船
  霞む〜故国よ
  小島の沖〜じゃ〜〜
  夢も侘しく〜
  蘇る……

  捨てた〜未練が
  未練となって〜
  今は昔の
  せつ〜な〜さ〜よ〜
  瞼(まぶた)合わせりゃ
  瞼ににじむ
  霧の波止場の
  銅鑼の音……

  熱い〜涙も
  故国に着けば〜 
  嬉し涙に
  変わる〜だろ〜
  カモメ〜行くなら〜
  男の心〜〜
  せめて〜あの娘に
  伝えてよ……

 ずっとうつむいて聴いていた老人の閉じた瞼(まぶた)の端から、大粒の涙が溢れて、深いシワの頬をナイアガラのように一気に駆けおりました。

 それから、
「ニイさん、ありがとう、ありがとう、無理ゆうてすまなんだな、ありがとう、ありがとう」

 一呼吸おいて、

「ニイさん、アイツらがおったから、カラダ洗われへんかったやろ? ワシもだいぶのぼせてきたから、先に上がらせてもらいますわ、ゆっくり身体、洗うてください。若いもんは全部、引き揚げさせますから」

 そう言って私の両手を握りしめ、湯船に背中を向け立ち上がりました。

 その時私は初めて、老人の背中の図柄が、鯉にまたがった金太郎だったことを知りました。

 ひとり残った私は、一からリラックス感をとり戻そうと、ふだんより丁寧にカラダを洗ったあと、もう一度湯船にゆっくり浸かり、必要以上に時間をつぶし…もうそろそろええやろ! とタイミングを見計らって浴室を出て脱衣場にいくと、もうそこには誰一人居ませんでした。

 それから服を着て、ロビーに出て、瓶のコーヒー牛乳のんで、下駄箱から靴をだして自動ドアを出たら……なんと入り口正面の両側に若い衆がズラリと並んでいるではありませんか、

 その真ん中…花道を、しぶしぶ私が進んでいくと、真ん中ほどで両側の全員が、
「ありがとうございました」と、声をあわせて頭を下げました。ヤクザというより、軍隊系のように思えました。

 私は自分の車に荷物を入れながら、キョロキョロとさっきの老人を探しましたが、すでに先に帰ったのか、どこにも見当たりませんでした。もちろん、それでええんですけど……。

「帰り船」がつないだ、まさに、一期一会。

 私にとっても、歌や人生の深みをあらためて考えなおす、貴重な体験になりました。

 ヤクザには、決してかかわったり、憧れたりしてはいけませんが、つきつめれば、やっぱり、いくら外道で反社で犯罪者でも、やっぱりどこかで同じ人間なのだと、しみじみ、思ったのでした。おしまい。

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