正しい歴史
近隣諸国……特に半島の住人は、ことあるごとに「日本人は歴史を学べ」と言いますが、それに目くじらをたてて、
「どの口で言うんや?」とか、「知らん方がねつ造よりマシやろ!」とか言うのもいいですが、やはりここは我々世界最高水準の温厚が売りの国民としては、何事にも真摯に耳を傾け、それを機に我が身をチェックするのも、これまた君子たるものの行いであろうと思う今日この頃です。
ちょいと見直しただだけでも、たしかに知らんかったり、すっかり忘れていたりする大事件が、私のような雑学に貪欲な者でも多々あるわけですから、常に振り返って復習せなあきません。
以前、金賢姫の「大韓航空爆破事件」を語りましたが、実はこの「大韓航空」、最近では「ナッツ姫事件」がありましたが、大勢の乗客の命にかかわる重大な事故や事件を、最低でもあと2つ、かわいそうに経験しているのです。
ひとつは、1983年に操縦ミスでソ連の領空侵犯をしてソ連の戦闘機に撃墜され、乗員・乗客合わせて269人全員が死亡した「大韓航空機撃墜事件」。
そしてもう一つが、1969年におきた大韓航空機 YS-11 ハイジャック事件です。
私は、前回同様、ハッキリ言って北朝鮮のやり方が嫌いで反吐がでます。
先の「大韓航空機爆破事件」もそうですが、こんな国を世界は絶対に許したららあきません。時間が過ぎてナアナアにしてよいことではないのです。
まあみなさん、今一度「大韓航空機 YS-11 ハイジャック事件」の腹が立つ要点、流れだけでも復習してください。ザッと書きます。
まず、乗客にハイジャックされた飛行機は北朝鮮の飛行場に着陸します。それで、
北朝鮮当局は事件の翌日、何を言うたか?
「2人の操縦士が、自分の意思ですすんで北朝鮮に脱出した」…つまり亡命。
韓国はもちろん、
「たいがいにせえよ!」と言いました。
その後北朝鮮は、人質である乗員と乗客を政治的交渉のカードとして扱おうとしたのです。
そしてさすがに国連軍の要請で「軍事停戦委員会秘書長会議」が板門店で開かれ、乗客と乗員と飛行機をすぐに返せと要求しました。
もちろん北朝鮮は知らんぷりです。それどころか「操縦士歓迎市民大会」を開いて政治宣伝を行なったから開いた口がふさがらず、みんな顎ごと下に落ちました。
それでも、あまりに世界中から非難されて雲行きがヤバくなったので、事件から2ケ月後、ようやく民間人乗客の韓国への送還を約束したのですが、案の定これは息を吐くようについた嘘で、送還予定日当日にドタキャンして約束を破りました。
これが北朝鮮です。
ところがいろいろまわりからおどかされ、ついに事件から66日経過後、搭乗者のうち乗客39人(男性32人、女性7人)を板門店経由で韓国に返しましたが、残り11名は渡さず、結局現在に至るまで乗員4人、乗客7人の計11名が拉致されたまま帰還していません。
さらに機体 YS-11 も、いまだにパクったままなのです。
たぶん本音は、飛行機とパイロットが欲しかったんでしょうね。
これが北朝鮮のやり方です。
個人でも国家でも故人でも、こんなのを許したらあきません。
それこそ、こういうのこそ、千年語り継がなあかんのとちゃいますか?
自分の身内が拉致された状況を想像してみてください。たまりませんよ。
もしも私の身内が北朝鮮から拉致されて帰って来んかったら、私は自衛隊に入って戦闘機盗んで、ソ連のベレンコみたいに1人で平壌に飛んで爆弾落とすかもしれません。まあだいぶ計画に無理がありますけど……。
なんでこんな事件を詳しく教科書で教えないのか、サッパリ私には理解できません。
でも、日本と違い、韓国ではきっと、正しい歴史を学校で教えていると信じたいです。知らんけど。
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