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かんとだきとおでん

 子供の頃、テレビのおそ松くん を見て、チビ太がいつも持ってる大好物の「おでん」が、うらやましくてしかたがありませんでした。

 串に刺した三角のコンニャクと、丸い団子と、ちくわのようなもの(ちくわぶ)。
 多分関東では、実際にそんなふうに串に刺して一般的に販売されていたのだと思います。

 けれども、私が住んでいた尼崎……大阪界隈には、そんな串に刺した「おでん」などは見たこともありませんでした。

 同様に「ひみつのアッコちゃん」の、エンディングテーマの歌詞にでてくる、
「♪ 用もないのに 納豆売りが〜」
 という「納豆売り」も、意味がわかりませんでした。
「とうふ売り」や「竿だけ〜」や「麦茶 はったい粉〜」は、ウチの近所にもよくきていましたが……。

 さて、その「おでん」。

 関西では「関東煮」と書いて、「かんとうだき」いや、正確には、「かんとう」ではなく「かんと」、ですから、「かんとだき」 と言います。

 小学校高学年で、私が通っていた有名中学受験のための学習塾 「浜学園」。
 ちなみに「浜学園」は、のちに全国チェーンとなりますが、その※発祥の地は、尼崎の下坂部、城ノ堀 というバス停の近くにあったのです。当時は創始者である上治夫妻自ら教鞭をとっておられ、私はその当時の浜学園のエースでした。

( ※ 正確には、 浜学園 創立は1959年 、兵庫県尼崎市の潮江(ダウンタウンの出身地)が始まりで、当時の名称は「英語・数学塾」でした。翌 1960年 、潮江のすぐ近所の「浜」(伊良部投手の出身地)に教室を移転し「浜学園」と改称しましたが、塾生が増え手狭になったために、4年後の1964年 、同じ尼崎の下坂部(阪神の村山投手の出身地)に教室を移転したのです。
 私が浜学園に入ったのは小学4年生の春。つまり1970年、大阪万博の年でした。
 なお、私と同学年の塾生が、1972年 、浜学園 が創設以来最初に輩出した、灘中 合格者になりました)

 その「浜学園」の近くに、持ち帰り専門のほんの小さな「かんとだき屋」がありました。
 そこで生まれて初めて私は「おでん」なるものを食べたのでした。
 一品10円か20円だったように思います。

 当時の浜学園は、たとえば日曜日など、朝の9時から夕方6時くらいまで授業があり、昼は弁当を食べても、夕方必ずお腹がすくので、皆各々、パンやオヤツなどを買い食いしてしのいでいたのです。

 その「かんとだき」は、大人から、それは「おでん」のことだと言われても、私がイメージしているチビ太のおでん とは形が違うので、どうしても違和感満載でした。むしろ串カツの方が、チビ太の「おでん」に近いと思いました。

 ずいぶんとあと、大人になってから東京に行った時に屋台のおでんを食べましたが、やはりチビ太のおでんのような形状ではありませんでした。
 そして口にいれても、私が浜学園の近くで食べた時の「かんとだき」とは全然味が違いました。

 私は、やはり関東の「おでん」なるものと、関西の「かんとだき」は、別物だと思うのです。

「おでん」は、濃口醤油で味付けをしているようですが、関西では基本、味付けは薄口を使うので、出汁の色がまず違います。
 余談ですが、濃口醤油は「こいくち」、と呼ばすに、「キッコーマン」。薄口は「ヒガシマル」と、メーカーの名で呼ぶ職人が多かったように思います。

 さらに関西の「かんとだき」は、牛 スジ肉 から出汁をとる傾向にあり、出汁じたいも関東の「おでん」と比べて少し濁っています。

 調べてみると、具 にも差があるようです。

 昔はコロ(クジラの皮)なんかもはいっていましたが、関東ではコロなどは「おでん」にいれないようです。
 逆にゴボウ天や竹輪はいれても、関西では、ハンペンはあまりいれたのを見たことがありません。
 あと、タコやタマゴ、こんにゃく、ジャガイモ、大根、厚揚げ、などは、東西問わず共通のアイテムなのかもしれません。

 とにかく、私が懐かしいのは、やはり「おでん」ではなく「関東煮」かんとだき。

 たまたま今日はいいスジ肉が手にはいらなかったので、根本を妥協して、たっぷりの長州鶏の手羽元からスープをとり、酒、みりん、醤油、塩、砂糖で、優しい味に調整し、ゆでタマゴ、こんにゃく、大根、竹輪、ゴボウ天、厚揚げ、を放り込みました。 さすがにコロとタコはありません。

 これをグツグツ煮込み、寝かして冷ましてはまた沸騰、を繰り返し、明日和がらしをたっぷりつけて食べる予定です。

 あかん、ヨダレでてきた。

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