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エッセイ 色々な思い

 鮮やかな黄緑色のポロシャツを買った。やや蛍光がかっている。

 着るものが変わると妙にわくわくする。これは重要なことだ。なぜなら私におけるファッションは「他者からどう見られるか」などとは無関係であり、あくまで自己の気分的高揚を最優先する手段のひとつであるからだ。

 けれども、なぜかこの蛍光がかった黄緑色がひっかかった。コンプレックスが潜んでいる気がして、どうしようもなく気色悪い。

 しかたがないのでその理由を追求してみる。つまり自分史をさかのぼって探り、掘り起こすのである。
 
 最初に連想したのはアマガエルである。幼児期それを見つけて、エナメルのような人工的な艶に違和感を覚え、かなり動揺したことがあった。近所の田んぼだろうか、それともどこかの水族館だったろうか。いずれにせよそれ以上の鮮烈な記憶は浮かびあがってこなかった。
 
 次に、初めて買った新車を思い出した。たしかにその時は色にこだわった。特別仕様車だったので選択肢はわずか二つ。白か、あるいは珍しい黄緑のメタリックだった。
 その車は日本のメーカーが英国と提携してつくった車で、黄緑の方は風になびく英国郊外の豊かな草原をイメージしていると、パンフレットでうたわれていた。
 
 無難さをとるか個性をとるか散々悩んだ末に後者を選んだ。ベージュの内装色との相性も好みにあっていた。けれども当時は白い車がインフルエンザのように大流行していたので、私の選択は小市民的にそれなりの冒険だった。

 納車の日、多少は他人の目なども気にしながら怖々運転していると、信号待ちで子供の声が聞こえた。

「お母さん見て、あの車、とっても綺麗な色だよ……」

 この一言で後悔の不安は消え去り、二度と再び浮上することはなかった。純粋な子供の感性と力は偉大である。

 思い出ではあるが、この時にコンプレックスがあったわけではない。むしろ逆であったことが判明した。
 
 父親に初めて夏の甲子園に連れて行ってもらった時である。

 その日の試合は、後にタイガースの監督もつとめた好打者"藤田平"が出場した試合だったと、ずいぶんあとになってから父に教えられた。

 薄暗い通路から客席の方へ手をひかれて歩くと、視界がパッと開けて、夏の太陽に照らされた外野の鮮やかな芝生の黄緑が目に飛び込んで来た。
 その感動が忘れられず、大人になってから甲子園を訪れた時、意識的に慎重に通路を進んでみたが、その時はさほどの感動がなく、ちょっとがっかりした。
 おそらく子供と大人の目線の角度が異なるのがその理由だとその場で決めつけた。
 これも、コンプレックスとは少し違う。
 
 二歳か三歳の頃、何百回も聞いた童謡のレコードがあった。《すずめの学校》や《牛若丸》、《めだかの学校》や《汽車ぽっぽ》、たしかコロンビアレコードのコロちゃんレーベルだったと思う。

 45回転の黒いドーナツ盤の中央の標記部分に、スポーツ帽をかぶった男の子と女の子の顔が印刷してあった。実にシンプルなイラストで、独特の安っぽさが記憶の情緒を後押しする。

 その台紙の色が二種類あり、ひとつがオレンジ色で、もうひとつが黄緑だった。

 全部で六枚あったドーナツ盤の、どの曲がどの色だったかまでの記憶がない。その程度ということは、コンプレックスの元は、そこにはないと考えられる。

 私なりの悶々とした気分が、それなりの時間いたずらに継続したが、やがてとうとう見つけて捕まえ拾い上げた。
 
 中学校で、私はサッカーにのめり込んでいた。とても身体が小さかったので、20センチも30センチも背丈が違うチームメイトとは身体能力に圧倒的な差があり、ボールが飛ばず、散々悔しい思いをした。中学校の運動部とはそういう場所である。

 一年生の時は、悪い蹴り癖をつけさせないということを理由に運動靴で練習させられたが、進級するといよいよサッカーシューズ(スパイク)を履けるようになった。
 それは待ちに待った瞬間であり、サッカーシューズそれ自体が、私の憧れだった。

 私の場合は特に筋力が乏しい分、どうしても道具にこだわってしまう傾向が強かった。サッカーシューズのわずかな性能の差が、自分のプレイを大きく左右するという呪縛に捕われていたのだ。しかし当然いいものは値が張る。

 当時サッカーの専門月刊誌は二種類しかなかった。私は毎月それをむさぼるようにして読んだ。その中でも大きな関心は、サッカーシューズの広告である。
 内外のメーカーが実にそれらしいコピーを添えて、競ってニューモデルの写真を掲載していた。

 サッカーシューズのトップメーカーは二社あり、共に西ドイツ製だった。今のようにタイやベトナムなどで生産しておらず、シューズのベロの内側のラベルに、小さな英字で「Made in West Germany」と刺繍されていた。

 その標記がブランドなどという甘っちょろいものではなく、国家的規模で私にのしかかっていた。ドイツも同じように戦争で敗れたはずなのに、日本との違いはいったい何なのだろうかと……。

 国内のメーカーもいくつかあったが、その頃の日本はサブカルチャー全般が欧州をはじめとする世界的な流れよりもむしろアメリカ寄りだったので、野球に比べてサッカーは、庶民にはまだ馴染みが薄かった。
 プロリーグがなかったせいもあり、プレイ人口も野球より少ないので、スポーツメーカーのモチベーションが低く、どうしても品質が劣っているような雰囲気が公然と漂っていたのだ。

 けれども国内メーカーには、価格が安い以外にも大きな強みがあった。それは足型を日本人の足にあわせているということである。

 日本人の足は欧州の人に比べ幅が広いといわれた。いわゆる「ベタ足」である。
 今でこそ海外の一流メーカーも、やや幅広のものをつくるようになったが、当時はそうではなかった。日本の市場などほとんど気にしていなかったのだ。なにしろ円が今より数倍安かったのだから、当然と言えば当然である。

 日本人なのに、私の足はなぜか、くるぶしからつま先まで、驚くほど幅が狭い。そして甲が低い。

 西ドイツ製で素材が本革のものは、一万円以下では手にはいらなかった。阪急電車の初乗り一駅料金が40円だった時代である。35年前の聖徳太子は恐ろしく威厳があった。
 そのうえ毎日の激しい練習、しかも関西の硬い地盤で酷使するので、いくら大事に扱っても数ヶ月しかもたないのである。
 
 どうしても欲しいサッカーシューズがあった。もちろん西ドイツ製で、定価が13,800円だった。そのひとつ下のモデルが、1万ちょい。

 その差は何かというと革の質である。安い方はオックスハイドだったが、上級モデルはカーフ(子牛)を使用していて、よりしなやかで柔らかい。

 けれどもオックスハイドの方が硬いので、長持ちする気がした。

 しかしそれは自分に対する言い訳で、臆病風に吹かれて、どうしても4千円近い差額が出せなかったのが本当の理由だった。

 私は上級モデルを買わなかった。それどころか、どうせ希望を叶えられないのならと、思いを断ち切るように、本皮で最も安い国産を買った。そのメーカーは他のスポーツでは一流だが、ことサッカーにおいては嫌々付き合いで参加しているようにさえ思えた。そのかわり値段は半額以下だったのである。
 
 数ヶ月後、上級モデルをはいていたチームメイトが、かなり使いこんでくたびれてはいたが、やはり幅が狭いという理由で、私にそれをタダで譲ってくれた。

 その時の相手の名前も顔も表情も場所も、今でもはっきりと覚えている。名は生田、私よりはるかに裕福な家庭に育ったはずだ。大学卒業後はテレビ局に就職したが、たぶん、彼はこの時のことを覚えていないと思う。

 実はサイズが一センチ大きかったのだが、それくらいのことは気にしない。

 家に持ち帰り、使い込まれた靴紐をはずした。

 皮がのびて形崩れするのを防ぐための、トレードマークである3本線は、特に内側の何本かがちぎれていた。

 それでも、丁寧にソールの隙間の汚れを爪楊枝でほじくり、クリームと靴墨を塗りこんでから新品の紐を通した。

 初めての西ドイツ製である。
 わざわざ試合前のようにソックスを履いて、丁寧に足をすべりこませ、ギシッと靴紐を結び、畳に新聞紙を敷いてその上に立ってみた。そして驚いた。

「こんなに違うのか」と、心の底から感動したのだ。靴を履いている気がしなかった。軽さとフィット感が別世界だったのである。
 西洋との靴の歴史の圧倒的な差に気付き、今までの無知だった自分を思いっきり恥じた。
 
 そのシューズは《レンジャー》というネーミングだった。広告には、さっきも述べた、トレードマークである《勝利を呼ぶ三本線》が、若草色だと標記されていた。

《レンジャー・若草色》、それは当時まだデザインとしてはほとんど使われていなかった蛍光色だった。
 
 それでも結局、中学高校を通したサッカー部現役のあいだ、一度も《レンジャー・若草色》を買ったことがなかった。

 あたりまえのように安い国産メーカーのものでごまかしまくった。
 もちろん家庭の資金不足が主たる理由ではあるがそれよりも、自分の身体能力や技術が大幅に向上したことの方が大きい。
 用具に頼る必然性が、特に精神面において消滅したのだ。

《弘法筆を選ばず》といえば大袈裟だが、用具にこだわるのは、技術的には、超入り口(初心者)と、超出口(プロ)に違いない。本来、高校生が夢中になるべき場所はそこではないのだ。
 
 いずれにせよ、鮮やかな黄緑は、実は若草色だったのだ。

 わくわくする気分の中で胸が「キュン」と可愛く軋んだ。

 涙を伴わない乾いた音だった。

 いつもより、ほんの少しだけ空が青かった。
 
 
 

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