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縁は凄まじい

 古い物が好きで且つそこに執着する傾向が強い私は、歴史的な街並みを保存している人々をホンマに偉いと尊敬します。

 今回、今までまったく知らなかった町、本来なら縁もゆかりもなかった愛媛県西予市の卯之町を訪れた私は、心底感心しました。

 街並み保存は地域の住人の心がまとまらなければ不可能です。
 人が集い棲息すれば、必ず何人かはワケわからん文句を言うアホが生まれます。
 それだけではありません。
 人々の生活様式は、近代的なモノや便利さに、ついつい時代の隅に追いやられて、チリトリからゴミ箱へとはき捨てられていきます。

 1世紀……出来れば2世紀ほど耐えれば、街並み自体が観光資源として価値観を表出するのですが、なかなか世の中そうはうまくいきません。

 また、街並み保存……の街並みは、本来そこを訪れて、日常とは違う風情を味わうために役立ちますが、本気になればそこに住み着くのが一番です。
 もちろんほとんどの人は、そんなとこで本気になりません。それを多分オトナというんでしょうが……私はそのオトナの成分が嫌いです。

 風情とは少し異なりますが、私は10年ほど前に山口永住を断行しました。結局は萩の中山間、佐々並を選びましたが、実は他にも候補地はあったのです。
 たとえば、尾道・倉吉・札幌近郊・新潟 etc……。深い考察や検証はなしにです。あくまで思いつき。

 移住願望の最大の理由は、誰に何といわれようと、たとえ水粥をすすってでも、自分の人生……精神的生命を本気で大切にしたかったからです。都市部には本質的に私が望む幸せはありませんでしたから。

 地方に腰を据えたこの10年。小指の爪の先も後悔していません。生まれ育った賑やかで便利な阪神間や首都圏。半世紀も前からの友人知人がわんさか居る暖かい尼崎、伊丹、西宮、芦屋、神戸、大阪、京都……。

 たまに阪神間に帰省すると、その暖かさに、カレーのジャガイモのように溶けこみそうになりますが、でも、やっぱり山口に帰って一晩寝て小鳥の声で目覚めれば、魂が思いっきり落ち着くのです。心と身体の底から。

「縁」というのは、凄まじいものです。

 関学高等部の1年下の尾崎武蔵くんが、この四月から、くだんの卯之町に牧師として住み込むことが決まり、元号変わって「いの一番」に駆けつけたら、そこは見事な街並み保存地区でした。

 私は突如バブル経済化した自分のテンションを抑えるのに必死のパッチでした。

 私もたいがい変わり者ですが、尾崎武蔵 くんもよう似たもんです。
 変わり者の周りには変わり者が吸い寄せられ、頻繁に奇跡が起きます。いや、大小様々な事件を引き寄せるのです。
 その「事件引き寄せの素」が、2人も居るのだから、当然不思議な出会いが喚起されます。

 思えば何年も前から、尾崎武蔵 くんは度々山口に遊びに来ました。
 人生相談も受け、なんや知らんうちに付き合いが続きました。
 そのあげく、50歳を超えて、関学大 神学部に入学し、58歳でホンマに牧師になって、私と同じような、いわゆる「地方」に住み着いたのですから驚きです。

 もう一度言います。

「縁」というのは、凄まじいものです。

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