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エッセイ 雪の進軍

 子供の時に、いわゆる"耳コピ"をして覚えた歌が、今になってどうやら原曲と微妙に違うと気づくことが時々ある。

 軍歌【雪の進軍】がそうだった。

 それが発覚するに至った事の発端は、私が、【雪の進軍】の、旋律ではなく、歌詞を調べていたことだった。

 冒頭、
「♪ 雪の進軍 氷を踏んで
    "どこが河やら" 道さえしれず〜」

 なのだが、時々、"どれが河やら"と、歌われるのである。

 明治44年(1911年)に『軍歌傑作集』に掲載されたものでは、"何處が河やら"と記されているが、この時点で初出と思われる"音樂雑誌 52号"が出てから16 年が経過しているので、もしかしたらその時に変更されたのかもしれない。

 この歌の歌詞の変更で、有名というか、わかりやすいのは、全部で4番あるうちの、最後の最後で、

「♪ どうせ生かして還さぬ積もり」

が、実際には、

「♪ どうせ生きては還らぬつもり」と、歌わされたことである。

 国家からすれば当然の話で、"還さぬつもり" の対象は、自分たち兵隊を前線に送りこむ、上官や軍の上層部をさす。

 当初は、兵隊の戯言のように笑ってすまされた歌詞が、後々、厳しく取り締まられるようになった。

 あとで書く"戦友"の、

「♪ 軍律厳しき中なれど、これが見捨てておかりょうか」が、軍律違反の容認にあたるとして問題視されたのと、同じ作用である。

 逆に言うと、明治時代の軍部や軍隊は、まだ、明るさや人間性の余裕が残っていたということが見えてくるので、それはそれで興味深い。

 そもそも、"雪の進軍"の歌詞を、ちゃんと普通に読んでみると、絶対に、戦意高揚のためでないことがすぐにわかる。

 余談だが、馬鹿な左翼は、"軍歌"というカテゴリーやラベルだけで、異様なほどに嫌悪感を示すが、それこそ私から言わせてもらえば、ラベルにまどわされている、"アホ極まれり"の典型的なサンプルである。

 そしてなぜか、そういうのは、平和主義エコロジーを自称する安物のヒューマニズムおばさんに多い。
 本人はその平和が"エセ平和"だということにまったく気付いていないので、救いようがない。

 とにかく、日本刀と刺身包丁が、共に鋭利な刃物であるにもかかわらず、その目的がまったく違うのと同様に、仮に軍歌にカテゴライズされたところで、"雪の進軍"が、戦場での兵士の生の姿、愚痴や不満が、当事者視線で正直に書かれているかぎり、私はこの歌が作品として好きなのだ。

 これによく似た歌が、先にチラッと出した、「♪ ここはお国を何百里〜」の、"戦友"であるが、“戦友"の歌詞を、真下飛泉が書いたのは、【雪の進軍】の、10 年あとである。

 実は、この10 年が、日本の歌詞の歴史を語るに非常に重要なのである。

【雪の進軍】は、当時は実に珍しい、作詞も作曲も同一人物、従軍軍楽隊員であった永井建子が日清戦争の頃に書いた作品である。
 建子は"ケンシ"と読み、要は男性ソングライターの走りだったということになる。

【雪の進軍】は、まずは軽快な、明るいメロディに歌詞をのせたことと、さらに、言文一致体になっている点が、最大の特徴である。

 言文一致体とは、ふだんの会話で使われる"話し言葉"に近いもので、今では"口語体"と呼んであたりまえになっていて、逆の"文語体"は、ほぼ一部の公文書にしか残っていないが、明治時代はそうではなかった。

 その言文一致の先駆者は、坪内逍遥に影響を受けた二葉亭四迷で、1887年の"浮雲"が有名であるが、【雪の進軍】が、書かれた当時は、まだまだ、文芸作品にすら言文一致体が容認されなかった時代だったのである。

 それが、軍歌に適用されたということは、極めて異例であると同時に、前衛的で、まさにパンクと呼べるレベルだったと推測できるのだ。

 念のため、歌詞を復習する。


雪の進軍 氷を踏ふんで
何處(どれ?)が河やら 
道さへ知しれず
馬は斃(たお)れる 捨てゝもおけず
此處は何處(いずく)ぞ 皆敵の国
儘(ママ)よ大たん 一服やれば
頼み少なや 煙草が二本


燒かぬ乾魚(ひもの)に 半煮え飯に
なまじいのちの あるそのうちは
こらえきれない 寒さの焚火
けぶいはずだよ 生木がいぶる
しぶい顔して 功名ばなし
「スイ」というのは 梅干ひとつ


着きみきのまま 気楽なふしど
背嚢(はいのう)まくらに 
外套(がいとう)かぶりゃ
背なの温みで 雪とけかゝる
夜具の黍殻(きびがら)シッポリ濡れて
結びかねたる 露営の夢を
月は冷たく 顔のぞきこむ

いのちささげて 出でてきた身ゆえ
死ぬる覚悟で 突喊(トッカン)すれど
武運つたなく 討ち死じにせねば
義理に絡めた 恤兵(じゅっぺい)真綿
そろりそろりと 首締めかゝる
どうせ生かして 還さぬつもり

(※ 恤兵 とは、兵隊に対する現地からのプレゼント)

 さて、どうやら私が歌うメロディの一部が違うらしい。

 そばに居た、プロのシンガー・ソング・ライターが、目ざとくクレームをつけた。

「さっき流れていた音源と、大先生が歌う歌と、微妙に音程が違っていますよ」

「そうやねん、もともと、最初にこの歌をワシに歌って聞かせた奴が、どうも違うメロディを教えたみたいで、それをちゃんと修正したいんや」

「ちょっと、もう一度、歌ってみてください」

「♪ ゆき〜のしんぐん こおりをふんで……」

「そこそこ、まずは出だしのところ」

 それから何度も歌い直して検証すれども、なかなか、正解にたどりつけない。

 YouTubeなどで調べても、歌い手やバージョンによって、微妙にちがうケースが多々あるのだから厄介だ。

 それに、Wikipediaには"軽快でヨナ抜き音階の七七調"とあるのに、違う資料では、当時では珍しいヨナ抜き音階ではない作曲、とか、さらに、三味線でも伴奏できるように作曲された、などと書かれていたりもする。

 結局、何が正しいのかわからずじまいで……と言いながら、正しい旋律がわかったとしても、若年期にプリンティング(刷り込み)されたメロディは、この歳になると、修正するのは実に困難である。とにかく、海馬が萎縮して、のうみその表面が干からびているのだから。

 その上、なまじ歌を創ることを生業にしているだけに、"自分ならこうする"という、けしからん思い込みも、普通の人より何倍も濃ゆい。

 草葉の陰できっと、永井建子が泣いている……いやまてよ……笑っている、だろうな。

 まちがいなく、私も将来、草葉の陰で自分が書いた歌を聞き、同じ想いを味わうはずだから……今からその時が楽しみでならない。

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