レオポン
私は幼い頃、祖母や伯父が居た尼崎の杭瀬や、父が営む洋服店があった出屋敷、共に阪神電車のコテコテな沿線だったので、しょっちゅう阪神パークに連れて行ってもらいました。
阪神電車の甲子園駅を降りると、正面に巨大な蔦がからまる甲子園球場がそびえ、左手に迂回して浜側に向かって歩くと、ちょうどレフトスタンドの先くらいに、道路をはさんで阪神パークのゲートが見えました。そこへの道すがら、歩道に動物の石像が設置されていたことを何となく覚えています。
阪神パークは全国各地によくある動物園と遊園地が合体した施設で、阪急が経営していた宝塚ファミリーランドに対応します。
その阪神パークに、私が生まれる前年の1959年(昭和34年)世界的にも非常に珍しい、ヒョウとライオンのハーフである「レオポン」が誕生しました。
レオポンというネーミングは、決してヒロポンからとったのではありません。
余談ですが「ヒロポン」の由来は、「疲労がポンっ!と飛ぶ」です。
昔は普通に薬局で打って…失礼…売っていましたが、要はメタンフェタミン。つまり覚醒剤です。今なら持ってるだけで即アウト。
さて、気をとり直して「レオポン」。
これは英語の「leopard」と「lion」の合体ですが、だいたい当時の業界(学会)の慣習では、ハーフの場合、父親を前に、母親を後ろにつけるようになってたようです。
父親がヒョウ。母親がライオンの組み合わせの場合、なぜか頭がライオン…つまり母親を引き継ぎ、身体がヒョウ…父親になるようです。このヒョウの柄を、なぜか関西のおばちゃん、ヤンママがこよなく愛するのは、なんか関連があるのかもしれません。
さて、実はこの要領で後年、阪神パークはさらに複雑な三つ巴のかけあわせ、「タイポン」というのをつくろうとしましたが、これは見事に失敗に終わりました。
先程の公式にあてはめると、「タイ」は、Tiger、「ポン」は、ヒロポン…失礼…「レオポン」、つまり父がトラ、母がレオポン。これが成功していたら、ヒョウの頭に縞模様のボディ、さらにライオンの尻尾やったんやろか? 知らんけど。
残念ながら、失敗の理由は、その母親になるはずのレオポンの身体が妊娠に適さなかったからでした。
さて人間界においては、人種が異なっても自然界での交合に差し支えがありませんが、ヒョウとライオンは生息地域が一部被っているにもかかわらず、種の壁が人種以上に厳しくプログラミングされていて、お互い、自然に結ばれることは、まずないそうです。
それを考えると、やっぱり人間という動物は性の営みに関して実に浅ましいというか、業が深いですな。犬や羊や鶏といたす変態がゴロゴロおりましたからな昔は……谷岡ヤスジのバター犬もそうですが……。
さて、そのいわゆる、我々が時としてケモノ…もしくはケダモノと呼ぶ、思春期と発情期真っ只中のヒョウのニイチャン。
いくらライオンの若いオネエちゃんとセットして個室に入れて、ムード歌謡を流してピンクの照明照らしてベッドを回しても……どうしてもそんな雰囲気になりよりません。なんという聖人君子。
そこで考えられたのが、まず、生まれた直後、めちゃ子供の頃から、ヒョウのオスとライオンのメスをいっしょにさせて、まるで兄弟、家族のように育てることでした。そして互いの思春期、発情期を待つ。そうすることによって種の壁がとりのぞかれるんとちゃうやろか?
ところがさすがの体力持て余しのヒョウのニイチャンも、たとえ血がつながっていなくても、ずっと一緒に居た妹みたいな娘は単なる幼なじみとは割り切れず、やっぱり近親相姦は精神的にキツイ。そこはヤクザとはちがう。
さて、そこで人間は何をしたか?
これ、人間のニイチャン相手ならバイアグラを煮詰めて何倍にも濃縮したやつを赤マムシドリンクで割ってのませてヒロポン打っておさまりがつかんほど興奮させるところですが、相手は人間よりもはるかに自然界のモラルとルールに誠実なネコ科の紳士。
よって、逆に精神安定剤を与えて本人朦朧としてわけがわからんうちに交尾に誘導したのです。
いずれにせよ神が絵を描いた自然界の摂理に反するという批判が多く、生命倫理の観点からもおおいに問題視され、このプロジェクトはやがてなくなりましたが……。
さて、それよりも私が問題にしたいのは、なんとかうまれたレオポンのネーミングです。
まず最初に生まれたレオポン。
ヒョウである父親の名前が、甲子雄(かねお)。
そしてライオンの母親の名が、園子(そのこ)。ふたりあわせて甲子園。
ダサい……この時点ですでに、センスのかけらもありません。
さて、この2頭に、2人…? 兄妹の赤ちゃんがうまれました。
兄の名が……予想がつくと思いますが、レオポンのレオ吉。
さて、ここからが大変です。レオ吉が兄ならば……そう、やっぱりこうなってしまうんですね、この国というか、関西なのか阪神間の定めなのか……妹の名は、レオポンの、ポン子。ポン子はないやろ! なんぼなんでも。ちなみに、ポン中=シャブ中ですからね。
さらに2年後、レオ吉とポン子に3頭の兄弟ができました。さすがにポン子のネーミングが、甲子園警察の留置所以外ではあまりに不評やったんで、一気にここで宗旨替えしよりました。
そこでつけた名前が、「ジョニー」「チェリー」「ディジー」。
どないやねん!
両親と兄弟5人がそろえば、名前バラバラ。
さて、こどこよりも複雑な家庭…家族の運命。
まずは1970年に末っ子「ディジー」が婦人病で亡くなりました。
さらに4年後、「ポン子」が肝硬変、さらに3年後、「レオ吉」が老衰。「チェリー」が腸癌で死亡。
病に侵されず、最後まで生き残ったのは雄の「ジョニー」。
でもその、お〜おジョニー……1985年7月19日、私の25歳の誕生日のわずか4日後に、老衰でこの世を去りました。
もちろん、ヒョウとライオンの両親以外、5頭すべてが剥製となって阪神パーク閉園まで展示されたのであります。
思えば阪神パークの他の動物…ライオンやトラやヒョウなどと異なり、レオポンはいつも、子供心にも際立って淋しく悲しそうな目をしていました。幼児期の私は、その悲しみの理由を想像する知識をまったく持ち合わせませんでしたが……今なら、わかる気がします。合掌。
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