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みなしごのバラード

 テレビアニメのタイガーマスクといえば、やはりエンディングの「みなしごのバラード」でしょう。

 あの当時……1970年前後……は、やたらと「みなしご」という主人公が登場しました。しかも「みなしご」は、漢字では「孤児」と表記されます。

「みなしごハッチ」は、そのまんまですが、「タイガーマスク」と同じ作者である梶原一騎の「あしたのジョー」の主人公、矢吹丈 は、やはり親がなく施設で育ちました。

「巨人の星」の主人公 星飛雄馬は、逆に強烈な父親とのからみがテーマの軸になりましたが、母親はおらず、姉が母親がわりをしていました。

 たぶん主人公に、ある種の「かげ」が、求められた時代だったのかもしれません。そこからでてくる「ど根性」みたいなものが注目される不思議な時代でした。
 それがどんなふうに社会的役割を果たしたのかは、私はまだ研究……勉強しきれていません。いつか取り組みたい課題のひとつではあります。

 何度も書いてきたように、私は幼い頃から異常に歌や歌詞に興味がありました。
 その私は、稚拙な思考ながらも、「みなしごのバラード」で、4回でてくる「も」の強意と、そのあとの「ば」の仮定から「だ」の断定に続く強意のテクニックを学びました。

 特に1番の出だしを相対的に受ける形での、2番の「も」の展開の空気感にいたく感動しました。
 これが大人(プロ)か書く歌詞なのだ、と。 
 もちろん全体のバランスや造りのしっかりさもです。

 この「みなしごのバラード」は、案外今の私の作詞の血肉となっているのです。

 私はアニメファンやアニメマニアでは、まったくありませんが、昔のアニメソングを歌詞も曲も非常に高く評価しています。
 ホントに、いい意味での時代の正直さや大人の思いなんかが含まれているからです。
 小林亜星の書いた曲なんか、アレンジも含め、その本気度とセンスの爆発感に涙ちょちょぎれます。

 話は変わりますが、軍歌をあたまからイデオロギーのフィルターで全否定し、存在そのものを毛嫌いする自称平和主義者の方がたくさん居ますが、そういう人は実に精神がさびしく、また、人間の器が小さいと思えてなりません。
 そもそもそんなケツの穴の小ささで平和を主張しても屁の役にももたちません。

【みなしごのバラード】


 あたたかい人の情け も
 胸をうつ熱い涙 も
 知らないで育った僕は
 孤児(みなしご)さ

 強けれ ば それでいいん だ
 力さえあれ ば いいいん だ
 捻くれて星を睨んだ
 僕なのさ

 ああ…だけど こんな僕でも
 あの子らは 慕ってくれる
 それだから みんなの幸せ
 祈るのさ


 吹く風が 冷たい時 も
 降る雨が 激しい時 も
 眼をあげて明日に希望を
 かけたのさ

 ああ…だから きっといつかは
 あの子らも わかっくれる
 孤児(みなしご)の 正しく生きる
 厳しさを

 孤児(みなしご)の正しく生きる
 厳しさを

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