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エッセイ オールドブラックジョー

 意外に知らない人が多いのだが、アメリカ音楽の父とさえ呼ばれる、スティーブン・フォスターは、作曲と同時に作詞もしている。

 作曲者と作詞者が同じ歌は、ほぼ、その歌の空気感が、限定、確定しているという意味で、独特の安定感がある。

 フォスターの代表作のひとつである、「オールド ブラック ジョー」。

 日本語JAZZの流れで、洋楽の日本語訳詞の面白さを覚えた私は、とあるアメリカン・ソングの依頼を受け、さっそくその翻訳作詞作業にとりかかった。

 まずは、冒頭の歌詞の、原詩。

Gone are the days when my heart was young and gay,
Gone are my friends from the cotton fields away,

 高校の時、英語が欠点だった私は、そのトラウマから、生兵法に頼らず、まずはGoogle検索をかけてみる。
 すると、

「私の心が若くてゲイだった時代はなくなりました。
 私の友人は綿の畑から離れていますが」

 と、なった。

 まあ「gay 」は、たしかに今の時代は、同性愛者の方が先にたつのかもしれないが……

 ちなみに、別の機械翻訳にかけると、

「私の心臓が若くて同性愛者だった日が、なくなります、Goneは離れて綿のフィールドからの私の友人です」

 今度はハッキリと、同性愛者 になってしまった。おまけに「my heart 」は、「私の心」から、「私の心臓」に具体化した。

 さらに、別の翻訳ソフトにかけると、

「私の心臓が若く、陽気であった時に行く、 私、綿フィールドから向こうに行く」

「ハート」は、「心臓」のままだが、ようやく、「gay」が、「陽気 」と、訳されて一安心。 だって私、男のカラダ、嫌いやから。

 でもまあ、それら直訳を理解したうえで、まあ、フォスターが言いたかったことを推測すると、こんなふうな感じになるのだと思う。

「 若く陽気…つまり、若く楽しかった日は過ぎ去り、
 綿畑(黒人労働者の勤務地)で、一緒に働いていた古くからの友人は、みんな逝ってしまった」

 さて、冒頭に、メロディの「ふわり」にあわせた、どんな歌詞を持ってくるべきか?

 実は私、なぜかこの部分で、珍しくスランプに陥ってしまった。
 なかなかスカッと思いつかないというか、原文の冒頭部を、ようまとめきらなかったのである。

 歌詞の翻訳は、その部分だけでなく、前後の意味や空気をいったんまとめて、それから歌詞をセンス良く再分配するという、特殊な技術が必要になる。

 行き詰まったあと、何気に、昔の人がすでに訳した歌詞を、見ることにした。

 普段は、決してそんなことはしない。だってろくなものがないし、意味は原文と全然ちがうし、ひどい場合は、ロシア民謡の「トロイカ」のように正反対やし…さらに、悪くはなくても、言葉づかいや文法が古めかしいので、参考にならないからである。

「オールド ブラックジョー」の、古くからある日本語訳は、こんなである。

♪ 『若き日 はや夢と過ぎ
我が友 みな世を去りて
(さらに続く)
あの世に 楽しく眠り
かすかに我を呼ぶ
オールド ブラックジョー』

 なるほど、そうきたか?

「若き日 はや夢と過ぎ」

 正直「その手があったか?」と、気づかなかった自分に、苛立ちがつのったのだが、素直に先人の技に拍手を送った。

 ちなみに、これはほんのちょっとした工夫からなる直訳である。

「なんでこんな簡単なことがわからんかったのか?」

 コロンブスのたまごで、自己嫌悪。

 そして、奮闘努力して、書き上げた。

【オールド ブラック ジョー】 改訂版
作詞・作曲:Stephen C. Foster、日本語詞 K.Kubo

1  若さは とおに消え去り
よき友は みな先立って
あの世で 楽しく歌い
やさしく 呼んでいる
オールド・ブラック・ジョー

2 なぜだろぅ 涙がにじむ
なぜだろぅ 心に染みる
懐かしい 顔がそろって
笑顔で 歌ってる
オールド・ブラック・ジョー


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