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エッセイ サンドウィッチ

「宮田恒男 遺作展」が、無事に終了した。
 
 ずっと雨……しかも時折極端な豪雨に見舞われたにもかかわらず、ビックリするほどたくさんの人が観にきてくれた。

 最終日、あと2時間ほどで終了という時刻になって、山口駅まで旧知のシンガーソングライター 島崎智子嬢を迎えにいった。
 
 前夜ライブをした広島から新幹線と山口線を乗り継ぎ、天候不良での遅延や運休を、本人も私も共に気にしながらのハラハラドキドキする移動だった。

 宮田氏と島崎智子嬢は、宮田氏の事務所があった「カフェパフェ」で、かつて一度面識があった。
 その時にサンドイッチを食べたことを、ちゃんと本人は記憶していた。そのお金を払ったのが誰かは、きっと忘れているだろうが……。

 個展会場の入り口で記帳をして、グリっと絵を眺める島崎智子嬢を、私は少し離れた場所からそっと見守った。

「この絵を観たら痛みを感じるやろな」と、案じたからである。

 人が好きな道に出会った時、その後、もがきながら生きるのか、生きながらもがくのか、そこが大きな境目になる。

 悲壮な泥沼に足を踏み入れ、底がズブズブなのに気づいた時点で、さて、岸に引き返すべきか否か?

 故人が、天井に映し出された天国が広がる地獄の淵に立って、最後の最後で断ち切った情景が、展示されたすべての作品に粒子となって染み込んでいた。私の目には、とてもわかりやすく……。

 それこそが、毎日新聞のインタビューで書いてもらった、

「ひとりの青年が生きたあかし」なのである。平たい言い方をすれば歴史であろう。

 だからこそ、遺族を中心にした縁が開花した空気の暖かさと素晴らしさが、会期中ずっと充満したのだと思う。

「サッとしか、観られへんかったけど……」

「痛かったやろ?」

「うん。ものすごようわかる。ついつい自分に置き換えてしまうから……」

 広島市内と山口の山陽小野田。そのわずか2回のライブが、今年私が受動する島崎智子嬢となるはずである。

 私の目から見て、彼女の歌の核に居座ってしまっていたのは、「悲しみの限度と匙加減」への迷いと戸惑いだった。

 不安定を引きずったまま、現実との接点に一喜一憂し、喜怒哀楽と支離滅裂をマイクと音符で造形化して 一期一会に流し去る島崎智子の独特のスタイルが、妙に客観的に実感できた。
 意外なことだが、これは自分にとって初めての経験だった。

 帰りの車の中で、愚かなことに、ふと彼女に本音を吐いてしまった。
 
 ふだんから私は、めったに人に本音を見せないようにしている。なぜなら本音を伝えようとすれば、ついつい説明がくどくなるからである。
 そして必ず、後で自己嫌悪に陥って後悔しまくるのである。

「あんな…ともちん……トルストイの作品の中でな、

《幸福な家庭は、どれかってみんな似通ってるけど、不幸な家庭は中身がそれぞれぜんぶ異なる》ゆうのんがあるやん?

 自分がこの広い世の中の、何に一番興味があるんか?

 何が一番好きで、何を一番やりたくて、何になりたいのか?

 そのんなことは、小学校の低学年までに、ワシ…ホンマは全部、気付いてた気がするんや。

 そやけどやっぱり、現実的な壁と、遠すぎるという虚無感、さらに大人や社会や常識という、どこかの駅に確実に着くレールの幻想みたいなもんの前で、安易に顔を出す子供と老人の顔した甘え。

 ほんでもってそこに、いつしか自分自身への言い訳が性懲りもなく生まれて…その後年月とともに、騙し騙され、友達にも流され、社会にも誘導、洗脳されて、結局は、幼い、こんまいこんまい胃袋にぜんぶ呑み込んでしもうたんや。

 そやからワシは、半世紀をかけて、消化不良のそれらを吐き出し、もう一度拾い集める旅に出なあかんかってん。故郷を離れて、はるばる山口まで……。

 すべては、幼い日に自分を騙したところから始まった、典型的な自業自得なんや。

 もしもワシが生まれかわれたなら、次は絶対に、自分を騙さへんで。
 
 わかりやすい成功を見上げるんやのうて、最初から一直線に本質をきっちり見つめたる。地べたを這って、迷わず泥水すすったる。

ありきたりな表現やけど、大切にすべきものは、外からは見えへんからな、自分の奥底でたたずむ、心なんやから。

 そやけどそいつは、四六時中ささやき続けてんねんで、こっちが真摯に耳を傾けたら、必ず聞こえるはずやねん。馴染みがある、自分にそっくりな声がな……。

 この先、まだしばらくは、嫌でも人生という摩訶不思議なサファリパークが広がってるやん。あと何回かは、ドン底に突き落とされることは、間違いない。

 そんな時、ともちんの歌にもあるような、「穴ぼこ」な……落ちた「穴ぼこ」からさらに下を見下ろして、そこから下はないんやから、あとは上がるだけやと励ますようなことをせんと、ほんまはその場で足元をさらに掘ればええんや。

 上に登ったり、他の場所に移動する必要なんかないねん。ひたすら掘り続けることに意味があるんや」

「久保さん」

「なんや?」

「なんか、サンドイッチみたいなもんが食べたいんですけど、どっか途中のお店に寄ってくれません? 最悪、コンビニでもいいけど……」

「ええよ、宮っちゃんがおった《カフェパフェ》は、ちょっと前に店閉めて、なくなってもたけどな、そねあたりに、ちょっと美味しいパン屋があったはずやから……」。

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