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歌詞批評 東京讃歌

作詞:水木かおる、作曲:藤原秀行、歌 :西田佐知子 の、【東京讃歌】の歌詞は、こうである。


恋をすれば東京の
空は青い
青空に手をさしのべて
胸に抱きしめよう 
金色の光
貧しいけれど 
こころは幸せ
太陽が夢を
育てる東京


恋をすれば東京の
空は青い
木枯に痛められても
明日を夢みていた 
街路樹のつぼみ
苦しみ悩む 
ふたつの生命に
美しい花を 
咲かせる東京


恋をすれば東京の
空は青い
雨がやみ若葉の空の
虹も薄れてゆく 
たそがれの舗道
静かに祈り 
捧げるこころに
星屑が今日も
微笑む東京 //


この歌に刺激を受けて、私は以前「山口でうまれた歌」で、
「温泉讃歌」とゆうのを書いた。

 似ているのは「讃歌」だけなのだが……。

 撮影は高級旅館「天宿」さんの露天風呂で、若いモデルさんを脱がせて……。
 由美かおるかイレブンPMのうさぎちゃんか……「泉質は…」…あっ、ヨダレが……失礼。

 そんなことやのうて……この、「東京讃歌」の歌詞である。

 この歌詞は、しょっちゅう、今まで何度も作詞講座で使わせてもらっている。

 シンプルで典型的な全3完結、対々(トイトイ)構成で、①②③ すべての歌詞は、冒頭完全一致である。

 つまり、例外なく、
「恋をすれば東京の 空は青い」
から始まるのだ。

 ここでは、作詞家のペンに決めの文句を並べる潔さを見出すことができる。

 讃歌であるこの歌の最大テーマは、
「恋をしたら、空が青く見える」と言う、ある種、鴨長明の方丈記 につながる、普遍的趣きである。

「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず」というやつ。

 平家物語の、諸行無常の鐘、もよく似ている。

 実はこの冒頭「トイトイ」は、相当勇気がいるのである。

 何故なら、案外このやり方は難易度が高いのだ。一歩まちがうとめちゃ臭くなる。

 いずれにせよこのケースでは、必ず①②③番の、冒頭以外での相対性が通常よりきつく求められることになる。

 たとえば、
①番では、朝から午前中くらいの青空と光。
これが、

②番の、寒い日の街路樹のつぼみ、に対応し、

③番では、雨上がりの夕方から、さらに、夜に移行する。
(トータルで、24時間。季節は、一つ足りないから、"時間"までのこだわりはなかったのであろう)

 作詞家がボギャブラリーやレトリックを駆使しながら、最もバランスを気にする箇所である。

 各番のエンディングの変化を比較すると、

①番、夢を育てる
②番、花を咲かせる
③番、星屑が微笑む

 さらに、それらはすべて、この歌の真の主人公、「東京」に吸い寄せられて、首都の手柄となる。
 それを讃える「讃歌」、であるから、一応スジが通っている。

 このあたり、きちんと押さえるべきツボをおさえたプロの作詞家の作品だというのが、見てとれる。

 けれども、さらに、あんこ……つまり、モナカの餡の部分というか、中身を見ていくと、
①番②番に比べて、③番がやや浮いている。

 砂糖の量にバラツキがある。
 混ぜ方が足りない。

①番 貧しい
②番 苦しく悩む
③番 祈り捧げる

 いや、③番の、「清きこの夜」的な空気を、作者は最も強調したかったのだ。

 この当時の歌謡曲は、テレビなどで、①番と③番だけを歌い、②番を抜くケースが多かったのだから仕方がない、という意見もあるだろう。

 たしかに讃歌の元は賛美歌である。

 でも、それなら今度は、②番があまりにも浮きすぎることになる。

 私は、この作詞家が全③完結にまとめあげるのに、イメージの構成の未完成さによって、やや手間取ったのだろう……という、そんな足跡を、警察犬のように嗅いでしまうのである。

 ようできた作詞ではあるが、残念ながら、膝を打って、口があいて呆れるまでの冴えはない。

 作詞家の名は、水木かおる。しげる、ではない。

 1926年大正15年に生まれ、21世紀になる数年前に、すでに故人となった。

 初期はこの「東京讃歌」のように、西田佐知子の歌をよく書いている。

 デビュー作は、
「アカシアの雨がやむとき」
 さらに、
「エリカの花散るとき」。

 その他、
「赤い風船」といっても、浅田美代子のではない。

 中でも有名なのは、
「くちなしの花」

 100万枚以上の大ヒットは、1978年発表の「みちづれ」(牧村三枝子)と、
 晩年の、「二輪草」(川中美幸)である。

 どれを見ても、そこそこよくはできてはいるのだが、「歌詞」という作品としては、ずば抜けたものがなく、やはり……もしも生きていたとしても、
「私がすべてを投げすてて、手弁当で弟子入りしたい!」

 とまでは、思える作詞家ではない。

 しかして、
 今の作詞家とは月とスッポンであることには疑う余地がない。

 残念ながら、そんなのは当たり前の時代になってしまったのである。 合掌。

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