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エッセイ シンプル・イズ・ザ・ベスト

 関西の商売人のことばに「ボチボチ」というのがある。

「おはようさん、最近どないでっか」という挨拶がわりのことばは、一般人のような天気や体調のことを問うのではないのだ。

 商売がうまくいっていますか? 
 景気はいいですか? 
 という意味なのである。

 その答えとしての決まり文句が、

「いやあ、ボチボチですわ」なのだ。

 ボチボチというのは、可もなく不可もなくという意味である。

 同業者や取引先、いずれにせよ同じ商売人である相手に対し、ねたみも軽蔑もされにくい一番無難な解答をして、人間関係を円滑にしようとする昔からの商売人の知恵ともいえる。

 それでも、中には突っ込んで聞いてくる相手もいる。

「ボチボチやおまへんやろ、えらい忙しそうにしはって、どっからどう見たって、おたくだけは商売繁盛でんがな」

「いやあ、そんなことおへん。いそがしゅう見えるんは、見た目だけでおます。
 しょっちゅうバタバタしてるだけで、ほんまにもう『貧乏ひまなし』ですわ」

 こうして「ボチボチ」から「貧乏ひまなし」に変化するのである。

 いずれにせよ、「ボチボチ」も「貧乏ひまなし」も、同一線上で、余裕がある状態をいう。

 先日私の旧知の悪友が、深夜コンビニで買ったするめをくわえながらしみじみつぶやいた。

「俺らが若い頃、まだ学生の時分、今と同じように金はなかったけど、暇は腐るほどあったやろ? 

 暇をもてあまして、それで本読んだりレコード聞いたり、喫茶店で粘ったり、時間を消化するのにいろいろ工夫をこらしたやろ? 

 それがあれから30年以上経った今、金もないし暇もないやん。おかしいと思わんか?
 30年経って発展どころか衰退しとるやんか?

 なんかこの国の仕組み、どこか根本的に間違ってないか?」

 おっしゃるとおりである。

 しかしこの場合、確かに貧乏で金はないのだが「貧乏ひまなし」と表現すると、ニュアンスが異なってくる。

 なぜなら、さっき言ったように「貧乏ひまなし」は、まだ余裕がある状態をいうからだ。
 
 この時の悪友の状態を正しく表現すれば、「貧乏金なし」が最も的を射ている。

「そのままやん」と、思う人もあろうかと思うが、シンプルな言い回しであるからこそ、少し先までぼやっと照らしだせることもある。

 事実を加工せずにそのまま語ることが、現実以上に真実味をかもしだすという、言葉の霊妙さがここにあるのだ。

「貧乏金なし」と潔く言いきることで、暇の有無は問題ではなくなる。

 仕事がたまってどうしようもなかったり、仕事がなさすぎて途方に暮れていたり、そんなレベルの悩みに至る以前に、とにかく今現在、現金がないのだという切迫感が伝わる。

 形式としては、金がないから貧乏だという論理的、定義告知的表現ではあるのだが、より深い味わいを求めることが大切だと思うのだ。

 そうすることによって、さらなる微妙な情緒や湿度が見えてくるかもしれない。

 同じように、「そのままやん」と、言われてしまいそうな例をあげる。

 もうだいぶ前だが、最高級飛騨牛を本場で味わう機会があり、そこで私は初めて、タンの刺身というものを食べた。

 レバ刺しならともかく、タンの刺身は誰に聞いても珍しがられる。

 その美味いこと、美味いこと、美味いこと。

 この話を方々ですると、おおかた羨ましがられ、そしてうまく伝わりっこないのを承知で、必ずどんな味だったかを問われる。

 それが人としての素直な人情というものである。

 そこで、悩みに悩んだ私の答えが、

「あまりの美味さに、舌をかんでしまった」だった。そのまんまやん。 
 

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