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ロンパールーム

 幼い頃の私は、大人の世界の仕組みがわからないまま、なぜかテレビの「ロンパールーム」に、いつか自分が出演することをずっと想定していました。

 そこに出ている子供たちの誰よりも、自分の方がしっかりしているという自覚があったからです。
 けれども、最大の不安がひとつ。

 おやつの時間にみんなでマグカップの牛乳を飲むのですが、極端に虚弱体質だった私には、カップの牛乳を短時間……みんなと同じペースでほぼ一気で飲み干すことは不可能だったのでした。

 私がへこんでいると父親が、ガラにもなく父親らしいことを私に教えました。

「あのな……ええこと教えたろか? あのコップは見た目は大きいけどな……中身は牛乳がほんのちょびっとしかはいってないんやで……そやからみんな、一口できれいに飲み干しよるねん。それにな、あのコップはガラスとちかうから、中にどんなけ牛乳が残ってるか外からは見えへんやろ? そやから全部飲んでのうても、まわりとあわせて"ごちそうさま"ゆうても、誰にもバレへんねん」

この父のアドバイスはとても幼い私の自信につながりました。

 さて以前にも書いたように、やたらと幼児期から歌詞にこだわりがあった私は、ロンパールームの歌にも一部こだわりを示しました。

 それは、ロンパールームの「ニコちゃんの歌」

 手ぶくろ型の蜂のような人形を動かしながらお姉さんが歌うのです。

♪ ニコニコ ニコちゃん
いつも良い子
おへんじ ハイっ!
元気にハイっ!
ニコちゃんで ハイっ!

 このさいごのところ、「ニコちゃんで ハイっ!」が気に食わなかったのです。

「ニコちゃん」は、キャラクターの名前であり、決して「笑顔の状態」を表しているわけではありません。でも、こんなふうに擬人化したものを、形容詞または形容動詞の意味合いとして共有するのは、大人が子供だましに使用する典型的なパターンであることを感覚的に私は知っていたのでした。

 私は完璧に子供のくせに、自分のまわりにある歌……歌詞の"子供だまし"というか、子供あつかいしたものに激しく嫌悪感を抱いていました。
 だから鉄人28号の、
「ビルの町に ガオッ!」や、「バババババーン」みたいな歌詞が許せず、「風のふじ丸」のような、
♪「時は戦国 嵐の時代 でっかい心で 生きようぜ」
 みたいな歌詞を"よし"としたのでした。

 さて話は「ニコちゃんの歌」に戻りますが、私が主張した歌詞はさいごの一行。

「ニコ ニコ ニコちゃん」 で、一行めの繰り返しで締めるという案でした。

♪ ニコニコ ニコちゃん
いつも良い子
おへんじ ハイっ!
元気にハイっ!
ニコニコ ニコちゃん

 そうです。これでこそ、「ニコちゃんの歌」なのです。

 だって「ニコちゃんでハイっ!」なら、これは「ニコちゃんの歌」ではなく、子供たちにニコちゃんの真似をさせる歌……つまり大人の事情……大人による子供の誘導……子供だまし……につながるのです。(ホントはそれが目的ですが)。

 昔あれほどこだわって、スジちがいはなはだしく親にそれを食ってかかって文句を言いましたが、まあ今から思えばどうでもええ話ですわ。

 そやけど、実は今も、人が書いた歌詞の一部を指摘して毒をはいたりするので、まさに三つ子の魂百までですな……。

 ちなみに写真左の「ニコちゃん」のライバルは、右側の「こまったちゃん」。
 
 すっかり大人になった私はいつでも、なぜマカ"こまったちゃん"なのです。

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