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お金で買えないものと失うもの

 歳をとるということは、カラダの部品が壊れたり、見た目が一層劣化したり、物忘れが激しくなったり、加齢臭が出たりと、とにかくろくでもないのですが、探せばきっと素晴らしいこともあるはずです。
 若いうちは、単に探そうとしなかっただけなのでしょう。

 2018年の12月、関西学院高等部の時のサッカー部の1年上のキャプテン、森井さんと神戸で会食をさせていただきました。

 ふりかえれば、森井さんとプライベートで一緒にご飯を食べたのは生まれて初めてでした。
その森井さんが、約束当日の前日にメールをくださいました。

「サッカー部の私の同級生で山田を覚えてますか? 昨日会った時に久保君と食事する言うたら一緒に行ってええかと聞かれました。久保君が山田を覚えててOKやったらええよ、と言ってます。覚えてる?」

 こちらは強烈に山田さんを覚えているわけで、断る理由など小指の爪の先もないのですが、なんというお心遣い。しかも君付け。

 それで、サッカー部ではなかったですが、神戸在住の同級生の太田を連れて、結局4人で18時30分から23時まで、たっぷり4時間半、食事とお茶で会話が弾みました。

 今は太田は花隈で写真屋。山田さんは花隈の目と鼻の先、神戸元町の「コウベサコム」という会社の社長。
 そして森井さんは、現時点ではヴィッセル神戸の実力者です。

 もちろん、私は、

「いったい何をして、飯を食ってるねん?」

と、常に不審がられ、説明に窮する浮浪雲でございます。ひとつ漢字を間違えると浮浪者。実際に、たいした差はありません。

 40年前、1学年上、しかも同じチームのキャプテンは雲の上の人でした。
 それこそ、親よりも先生よりも校長よりも実質的に偉く、さらに、警察よりもチンピラよりもヤクザよりも怖い……これは暴力的な意味ではなく、畏れ多いということ。

 そんな人でも、40年たてば完全に垣根がとりのぞかれるのです。
 かといって先輩であることには変わりがないので、そこは目上の人だと言う意識が、ごく自然に無理なく骨身に定着しています。……が、私が何より嬉しいのは、あんな雲の上……テンジョウビトだった方が、立場や学年や、そんな枠を外して、ホントに1人の人間として対等な立場で「昔話」を、本音の爆笑トークで一緒にしてくださる。
 もっと言えば「楽しめる」「共有できる」「そんな時間を持てる」。

 その奇跡に、身震いするほどの感動するのです。
 40年前には想像もできなかったことが、現実として目の前にあったのです。

 もちろん、キャプテンの森井さんだけやなく、山田さんもですが……。

 実は山田さんは、もともとものすごくフレンドリーな方で、1年下の私らともよく交わってくれてたので、失礼ですが、ありがたみよりは懐かしさの方がはるかにまさったのでした。

 まあ、こんな40年前の山田さんのキャラをして、森井さんは私に、山田さんが来る前に、

「ヤマ(山田)は、高校の時と、なんも変わってへんで、ホンマに、あの時のまんまのアホやから」

 関西人の「アホ」の使い方は、実に奥が深いんです。

 歳をとって叶えられる夢。

 それは、お金では決して買えない、最高の幸せ。しかもかなり快楽に近い幸せ。

 たとえるなら、脳みそを切り開いて隅々からピンセットで記憶の断片をつまみあげ、さらに脳みそのシワを伸ばして7枚におろし、ふぐ刺しのように丁寧に皿に広げてゆく。

 それを箸でつまんで、口に運び、舌に乗せる快感です。

 逆に言えばお金を稼ぎ過ぎたり、経済的に成功しまくることによって、見えなくなり、失っていく「何か」が、必ずあるはずなのです。

 金が大量にあれば、余計な人間、よからぬ輩も確実にまとわりついてきます。そう意味では金は明らかに強力な磁力を持っているのです。そして、いつのまにか本当の意味の孤独に追い込まれてしまいます。

 多くの人……特にこの国をリードする立場の支配層や資産家がそれに本気で気付けば、少なくともこの国の未来は少しは良くなるのだと、腹の底から感じました。

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