もはやアンチヴィーガンになりかけているヴィーガン

つい昨日、ヴィーガンの説明を誤った企業に意見したところではありますが、“ヴィーガニズム”という言葉が割と世間に浸透しはじめている感覚があります。

ただやはり、ヴィーガニズムの説明を見ても人々は否定してきます。
畜産や動物利用の現状を知らないままで言ってきている人が多いと思うのでその点に関しては仕方ないですね。
見たら分かることは本人も分かっているけど分かりたくないから、「そっちの言い方が悪い」とかで論点をずらして必死で真実と向き合うことを拒否して食肉という動物虐殺を肯定しにかかってきます。

ただ、ヴィーガニズムの説明に関しては私も思うところがあります。

イギリスのThe Vegan Society(ヴィーガン協会)の初代副会長だったレスリー・クロスが1951年に寄稿したエッセイで、それまで曖昧であったヴィーガニズムの概念を「人間は動物の搾取なしで生きるべきであるとする主義」と定め、「食物、売り物、労働、狩猟、実験およびその他のあらゆる用途の為の人間による動物からの搾取を終わらせる」ことを目的「個人的な状況が許す限りこの理想に近い生活をすることに努めている人」をヴィーガンとしている。また、The Vegan Society(ヴィーガン協会)は、ヴィーガニズムを「衣食他全ての目的において、実践不可能ではない限りいかなる方法による動物からの搾取、及び動物への残酷な行為の排斥に努める哲学と生き方」と定義している。

wikipedia

「人間は動物の搾取なしで生きるべきであるとする主義」
というのはどうも個人の自由が存在している感じがします。
「人間は動物の搾取なしで生きるべき」というと、
「いや、私は搾取して生きていきます。」という人が出ます。

肉食や動物利用は個人の自由ではないことくらいまともな人なら分かりますけどね。いや、個人の自由なんですよ。でも社会的に肯定されるべきことじゃないんでダメなんですよ。

「衣食他全ての目的において、実践不可能ではない限りいかなる方法による動物からの搾取、及び動物への残酷な行為の排斥に努める哲学と生き方」
この言い方も、なんか思想の一種なんですね感が拭えないし、「生き方」となると「私はこっちの生き方を選択します」ということができてしまうのでなんかちょっとなと思うんですよね。

「人間は動物の搾取なしで生きるべき」という言葉自体、人間が最初に来てるから人間都合・人間主体感がすごくて偉そうです。
「動物は人間に搾取されるべき生き物ではない」
というのがアニマルライツ精神を持つヴィーガンの主張だと思いますが他の方はいかがでしょうか。(ヴィーガンに聞いています)

あとアニマルライツ=動物の権利ですが、権利を与えるなんてそれも偉そうだし権利なんてもの
本当は存在しない
(権利がないということではない)
人間が都合のいいように作った言葉なので本当はあまり使いたくないですが名詞的な感じで使っています。

ヴィーガンの人っていうよりアニマルライツの人で判断したほうがこちらとしては分かりやすいんですよね。

「食物、売り物、労働、狩猟、実験およびその他のあらゆる用途の為の人間による動物からの搾取を終わらせる」ことを目的「個人的な状況が許す限りこの理想に近い生活をすることに努めている人」をヴィーガンとしている。

ヴィーガンと名乗るやつらでも自分の都合のいいように定義を変えてくるし、「個人的な状況が許す限りこの理想に近い生活をすることに努めている人」の加減が曖昧なので、「自分はここまでやってます!だからたまに食べるけど悪くないでしょ!許してぴょん!ヴィーガンだもん!」みたいなやつがうじゃうじゃいるんですけど。そういうやつに限ってフォロワー多かったりするんですけど。
「食物、売り物、労働、狩猟、実験およびその他のあらゆる用途の為の人間による動物からの搾取を終わらせる」ことを目的に生きてるやつがそのなかでどれだけいるだろうねて話。
搾取を終わらせようと思ってる人が少ないし、完璧になくすのは無理!とかいってるやつはじゃあどこまでなくそうとしてるのか言わないし、それが達成できれば搾取が存在していてもいいのかって話だし、生ぬるいやつが多すぎんでもう本当に命なめてるやついい加減にしてくださいって話。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?