もふにっき1〜高校受験と1年を過ごして〜


今回は、私の高校生活1年目も終わりに近づいているということで、1年を通しての振り返りと、高校受験についてを書いてみようかなと思います。
とは言いましても、完全なるただの私の独り言にすぎませんし、誰かに何か影響を与えるつもりも毛頭ありません。ただ、お時間を割いてまで読んでくれた方々から、何か一言でも私の文章の中に心を刺激するものがあったと、思っていただければ、私の人生も世界に微小なりとも価値があるものだなと、私が1人幸福に浸れるかもしれません。
いやいや、そんな自己満の作者の気持ちなんて知ったこっちゃないですよね。
はい、それでいいんです。
すみません。全然無視して頂いて構わないので。
でも、綺麗な文章とはまた違った、自分の、1番は自分の為の文章なので。装飾のない文章だからこそ、心の本当の本心に近い部分を晒すことも出来るのかなとは思っています。
それでは、ごゆっくりどうぞ。


私はこの高校に入れて、この高校で勉強が出来て、生活が出来て、出逢いがあって、そしてこの高校で部活を、社会経験を積むことが出来ていることを、本当に今、入った瞬間から現在進行形で最高に幸せなことだと思っています。


それは人生色々ある中で、義務教育でない高校に通わさせてもらえていること、その為の家庭環境、社会環境が整っていたこと等、挙げ出せばキリなく出てくる、当然に埋葬された幸福がありますが。
けれどもそれ以上に、"この"高校に入れたこと。言わば、入るに至れた経緯のほうが、自分の中では感動とか幸福とかを占めていて。自分の手で、最後は本当に周りに左右されないで己の手で選び取った幸福であると、今の私ならそう思う。
自分で自分の為に味わう幸福の美味しさを私は初めて、受験を経て知ることができた。
私がこの高校に入れたのは、ド直球に言うなれば公立高校から"落ちた"というのが全てなのだけど、まあそんなのよくあるお話、御伽話といったことでして。大事なのは、私がこの"落ちた"という事実を、"落ちた"という言葉として、そのまま認識はしていないということ。寧ろ、ネガティブ方向全開の言葉を、綺麗に180°回転させたような、ポジティブ満載の意味で受け取っている。
それは一体どういうことなんですかと。
まず一言申しあげたいのは、私は落ちることには恐怖を1mmたりとも感じていなかった。(流石にそれは少々嘘で、正確には周りの支えへの申し訳なさ的な意味での恐怖はあったけれど、受験で言う恐怖とはまた少し意味合いが変わってくるので今回は除外します)
受験を何よりも楽しんでいたし、ここで失敗したとしても、人生溝に棄てる訳でもなかったから。
だからと言って、決して、落ちてもいいやなんて捨て身で臨んだ訳ではない。

私の受験勉強は常に命懸けの、努力の結晶のような時間だったんだ。でも、最後その結果は全て、受験の全ては、運命に引っ張られた。
そう、滑り止めという名目で受けた今の私が通う高校から合格発表が出た日からずっと、私はこの高校に心身の奥の、もう核に近い部分からきっと、何かが繋がっていたんだと言える。
この高校に受かった時に、もうここに決めちゃおうかなと心がとても傾いたことがあった。沢山の葛藤がそこにはあって。志望の公立校は、判定的に今の状態じゃ受かる訳が無かった。あと1ヶ月頑張って合格に漕ぎ着けたとしても、底辺で入ってそこからやっていくのはあまりにも酷で。まず、私が入りたい部活はそれなりに強豪寄りの部活で。文武両道していくのには、入学時点で周りより飛び抜けている必要があることを自覚していたから。私立に決めて、高校生になる準備を一刻でも早くするほうがいいのではと、公立受験を棄てるかと、かなり苦悩しまくって。担任と何度涙を拭いながら話を交わしたことかと、今では笑ってしまう程。
たぶんそうして自身の中で葛藤が起こったのも、第1志望を本気の第1志望として、ここでしか私は無理だとは思っていなかったからだと思う。何処へ行っても、その環境の中でそれなりにやり遂げる自信もあったから。だけどやっぱり、まだ自分の知らない魅力が眠っているであろうこの私立に、無意識下の中で惹かれていたのは、きっと事実で。明確な理由はなかった。ただ、この私立で私は3年間を過ごせる自信があった。
だけどそれからといもの公立高校の受験勉強は勿論めちゃくちゃ本気でやった。学校で給食を食べなくて怒られたり、移動中も常に何か持ち歩いているくらいには。(お世辞にも効率が良いとは言えない勉強スタイルだったけれど)
受かる為の努力は本気でやった。
結局は、受かることはなかったんだけれど。
最後まで全力で、尽くせるまで尽くす、はちゃんとやりきれたし、受験帰りなんて、不安はスッキリと楽しいに全部掻き消された。
それだけ、自分の中でしっかりと、受験の終止符を打てたんだと思う。

私の受験の為の努力の矛先が第1志望に受かること、というゴールを指していなかったことに気付いたのはかなり最近のこと。指していないという表現だと不適切になってしまうけれど、実際には、合格を遥かに越えた先の未来の姿態を思い描いていたこと。
何故私が、ここまではっきりと物事を言いきれるのか。そんなの、自分でも分かるもんじゃないよ。
私のゴールは、もっともっと先の先にあったんだ。

この1年間、本当に色々あった。
私には抱えられないほどの沢山が、あった。
世は、怠ける人も死ぬ程働いた人も、かなり各々の生活スタイルがあったんだろうと。縛られる反面、今までにない自由が効く部分も多かった。
私は、伊達にこの1年を無駄には過ごしてきていなくて。元々、学生の1年なんて経験値だらけの濃いものだけど、それでも。
私が言い切る自信を持てる位には、この1年間には経験と情と命が詰まっている。
他の何にも代えることの出来ない、自分だけの最上級の体験が。

何度も何度もこれまで、シュミレーションをしてきた。もし私が合格して公立に行っていたらとか。友達と同じ高校に通っていたらとか。もっと良いこと出来たし学べたかなって。自分の中で色々な世界を比較したんだ。だけど、この学校来て後悔したことは、本当に1度も無い。夢見ればもっと行きたい学校だって山ほどあるけれど。自分が生きているこの現実と照らし合わせて、ここまで良いこと無いだろうって思う。1度きりの人生ゲームを、誰よりVIPコースで進んでいるよう。もちろん、人生比べるもんじゃあないことは当然だけどもね。

もしかしたら、私はこの高校でなくとも、そもそも高校に入るとか以前に、今の歩みを掠りもしない人生を歩んでいたとしても。自己を過大評価するようで申し訳ないけれども、自分で自分の人生、楽しくする力はきっとあったと思うのだよ。これが、本当に恵まれない環境で、生きていくのも精一杯だったとしても。教えはあったけれど、この力は、誰かに与えられたものじゃないから。
だからそれを踏まえてだけど…
本当に、私はこれ以上あってない幸せを体験させて頂いているし、体験しに行っている。
偶然なんて言葉じゃ説明もつかないって思っているよこれは。幸せになってしまうことに、申し訳なさすら感じてしまう。
けれども、幸せになることが、誰かの幸せに繋がることもあるのだろう。
本当は、1人1人に、こうした運命は携えられているのだと私は信じている。
私の場合は、受験を1つ大きな例として挙げさせて頂くが、不合格を受け取ったことも、より最高の幸せを得るための神様からの片道切符だったのではないかと、思っているという訳である。
私に与えられた不合格は、私の手に渡ったことで合格となったのだ。



信じ難いことだらけだきっと。
特に、私個人の、幸せ者の意見1つで誰も何も変わることはない。
けれども私は、この運命を導いてくれる見えない糸が存在していることを、ずっと信じ続けると思う。
そしてそれは、あなたがたにも。
世界で何億人もの苦しんでいる人全てに、幸せな運命を辿ってもらえるように。
ずっと信じ、願い続ける。
いつか、この手を差し伸べられる日まで。


✞あとがき✞
ご拝読して頂きありがとうございます。
長々と失礼しました。
日記のように綴らせて頂いているので、表現の誤りとか、色々と不適切なものが多々あると思いますが、ご了承ください。
では、またどこかで。


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