病名APL看病 3-1

退院後の事書いて行きます。

(注∶この話は昔(2009年〜)話です)
退院 当日∶(外食)昼食+夕食  
※兄∶退院日に会社に退院報告
(会社/総務課長&職場責任者が時間出来次第、家に来るとの事。)←今回はコノ話し中心に書きます。

親元∶通院する病院まで片道(電車で1時間)だいたい1時間半。
うちの家∶通院する病院まで片道(徒歩散歩がてら45分)
と言う事で、兄の退院後(地固め)は、うちで療養。
会社の人は退院後数日後に来ると兄と私は、思っていました。
が 退院の次の日の朝9時30分に来るとの事と決まりました。
勤め人って大変だとつくづく思った。形式上∶病気欠勤届は、入院期間中に提出だったようだが緊急入院無菌室といろいろあり退院後提出となった。 (ここまでは、表面上の事) この話し合いは、事務手続き書類作成と書類提出だけではなかった。(会社の福利厚生は、各会社で違う) 兄の会社は、規定勤務年数に達すると4/1に年有休20日+前年の残り有休15日まで繰り越し可=最大35日/残り5日の有休は絶対に消化する事になっていたようだ。(兄の会社は規定勤務年数に達すると5年毎にリフレッシュ有休休暇20日間) 兄の場合∶繰り越し含め年残り有休20日+リフレッシュの年で20日間+病気欠勤6ヶ月(185日)間=入院から通算8ヶ月間の間に地固め(最終骨髄液検査)成功しなければ“退職“勧告!!を言いに来たのだ。 うちに来た時から会社の人は、緊張した表情で“謝りに来てる“雰囲気感を出していた。なぜ?かなぁと思っていたが話しの終わり頃に何故なのかわかった。(そりゃそうだわ、病気の原因も判らず生命落とす病人に面と向かって(会社の規定だからと) 退職勧告 つげに来たんだから)  仕事とは言え会社の人もやな役回りを引受けてうちに来てくれたものだ。(心情察しします)
※兄∶会社の人に∶判りました。ありがとうございます。と言ったあと会社の人(=同期&同僚)に“病気治すわ““大丈夫“と話しした後、話し合いは終了した。(相手の心情も分かる兄の一辺を観た私でした)
…会社の人が帰った後重い空気のなかお昼(空気重すぎたのでお昼)外食~散歩~夕食も外食~散歩
退院当日∶病気の事 心配しながらも退院の喜び(生きててよかった)兄&私&家族が感じられた日。
退院2日目∶退職を突きつけられて 兄は困惑(病気の原因が兄自身でわなく、突然降って湧いた自然災害なのに退職勧告)  私や家族も兄になんて言っていいか判らず声をかけ辛く困惑。
ただ、時間は過ぎる事が憎らしかった。退院後(最初の7日間か10日間“後“から私の自宅で兄の地固めが始まる) 精神的に不安定な状態で強い薬使った地固め治療に不安を抱いた。生きるんだ!生きてて良いんだ!と言う思いが、兄から消えていた。ぉ~ぃどうしたらいいんだ!!たった1週間でどぅしろと…考えグジャグジャの状況で退院3日目が来る。ちょっと時間止まってくれよ整理するまで待って兄にかける言葉見つけるまで時間よ止まってくれ!!

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