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沈丁花。

3月12日(月) 2018

めきめきと春が日脚を伸ばし
厳しい寒さがゆるむ三月初旬。

それは、ある日、不意に
やって来るのです。

耳と喉の奥をじんわり刺しこむような
甘ずっぱさ。

寒気と寒気のすき間をくぐって
わたしの体内に届く、その匂いが
沈丁花の香りだと認知するまで、
かなりの時間がかかってしまいます。

「あっ、ああぁ」。

毎年、必ず、声に出てしまい
その度、言葉にならないまま、また

「あっ」。

「あ、そっか」と一人問答の末に、
一人納得の年ルーティン、七年目。

2011年3月11日。
誰であろうと、沈痛な気持ちを抱え
ふさぎ込んでしまう記憶だと思います。
あの、あれが、現実だったことの残酷さ。
同じ時代に、同じ日本に生きる人たちの
誰かと誰かと誰と誰か、、、、、が
あれほどの地獄を味わった、その日でした。

と思いきや、数年たったその日。
14時半をすぎると、そわそわする
わたしを「ヘンな人」という人もおり
驚くよりほかない。
たった1分、ほんの1分。
手をあわせ心をあわせる時間を
惜しむほどの、いったい何が
あると言うんだろうね。
と、思ってしまうのは青くさいのか。

などなど、世の中はいろいろなんだ、と
「いろいろ」に、文字通り、
いろんな思いを込め、あえて、
長らく使い続けたけれども、
そろそろ「いろいろ」言うの、やめよう。

そんな、どうでもいいことだけで
頭のなかを占有させてみるんですね。

たまたま、その日は、ちょうど
仕事がお休みでした。

まだ再上京したてのカフェ仕事の
延長として働いていた頃。

新宿のビルの2階におり、
一人じゃなかったことが
いまだに、ありがたく思えます。
目の前の大きな窓ガラスに
ビシビビビビビッとひび割れ
真ん前の信号機が
地表との接点を軸に、左右に
逆振り子のように揺れて
ひたすら、あわわわわあわわ。

多くの人と同じく、徐々に
何が起こったのかを把握していく
ことになりました。

翌日は、勤務。
連絡もなく、連絡もせず、
つねのごとく行くのですが、
いつもと違ったことは、
電車ではなく自転車で。

朝早くに、
新宿から品川まで、迷いながら
生まれて初めて抱く種類の不安とともに
自転車で。

皇居を過ぎ、品川の気配を感じ始めたとき
何かが、鼻腔と通じて
わたしの体内に入ってきたのですが、
それが、沈丁花の匂いでした。

三月に入り、その年の春の
最初に認める、沈丁花の匂いにふれると、
必ず、「あっ、ああ」と声に出てしまい
頭のなかで「?、!」と処理するのに
時間がかかる、という例年の春初め。

妙なところで
妙に記憶力がよくて、厄介で
あの日と、あの日の翌日と、
あの頃の自分と、あの頃の自分の背景を
芋づる式に思い出してしまう、または
それ以外でも、なにかをキッカケに
思いに溺れることが多々あります。

克明すぎるほど、
あの日の翌日の朝を思い出し、
風の冷たさと湿り具合と
ときどき、生ぬるい風が吹くことと、
日本の全土が慟哭していた
空気の震えと、
何もできないし、何もしない自分。
わたしだって、つい最近
やっと再興し始めたばかりなのに。
何ができるって言うんだろう。

それに、、、、、それに。

わたしには、できないないな、と
いう思いが、つい、昨日くらいまで
ずっと心にこびりついていました。

瀬戸内海の見た目にはおだやかな
波を眺めて育っているので、
同じ四国でも、高知の桂浜の
大きな大きな波の端っこに立つだけで
恐怖心が生まれます。
海には、たくさんの思い出があり、
たくさんの思い入れがあり、
怖さも親しさも、そこそこ知っています。
大好きな海が、たくさんの人を
呑み込んだ事実。

たくさんの人の、消せない悲しさ。
他人が踏み込む行為に、わたしは
ものすごい抵抗を感じていました。

気仙沼や東北に向けた
糸井さんのTwitterが、今の自分に
とてもとても、しみました。
「思い出しすぎないこと」。
このところ、記憶に溺れる時間に
甘んじていましたので。
七年前のあれも、これもを吐き出すように
文字にしてノーカット版を仕上げる寸前に
タイミングよく、目にした
「思い出しすぎないこと」。
これは、芋づる式に思い出すわたしへの
金の言葉。

2016年の夏、
ほぼ日のwebサイトで知った出来事は
わたしにとって、それはそれは大衝撃でした。
元東大物理の教授、早野龍五先生が
福島の地元高校生を引率して
廃炉現場を見学したこと。

それまで、福島産の農産物はおろか
茨城産、群馬産なども
スーパーで買うことはありませんでした。
自分かわいさゆえに、というよりも
有害だと思って疑いもしなかったから。

何よりも、行動の持つインパクトに
ただただ打ちのめされました。
すぐに買った『知ろうとすること』は
まだ読めていません。
一年以上、寝かせてますね。
けれど、積極的に、福島の
(とくに桃!)農産物を買おうとする
激変の自分がいました。

そして。今年は、面白いコンテンツを
追いきれないよー、と思いながらも
面白く拝見。

行くと、そこには喜ぶ顔があるのか。。

わたしには、自分の枠を超えた感覚なので
なかなか受け入れがたいものでしたが、
まぎれもない笑顔は、言葉いらずで、
なるほど、、、、、と思いました。

抜粋させてもらいます。

〜 思えばそれは「ありがとうを
言い合える関係」なのだ。東京で何度も
伺っていた「まずは、友だちから」の意味が、
自然豊かな飯舘村に来て、ようやくわかった
気がした。

言おう、ありがとうを。言ってもらおう、
ありがとうを。そんな関係を、一人でも
多くの人と築いていこう。

それがたぶん、働くということであり、
生きるということであり、つながるという
ことなんだ。 〜

震災とセットで、社交辞令に使われがちな
つながる、とか、絆、とか、の言葉が
ここでは、するっと胸に届きました。
素直に、応援もできないけど、
ただ行くだけなら、今年は
そのうちできそうな気がします。

ただ行くだけなら。ね。
なんだか、それでも、いいような
気がしてきました。
そうしようかな、そうしたいな。

沈丁花の匂いのシナプスを
つなぎ直しましょう。
味わった悲しみが深い人ほど、
その人がかもす笑顔も深い。

沈丁花の匂いは、わたしにとって
震災とセットになっており、
それを書き換えることは無理ですが、
楽しい、とか
うれしい、とかに派生していけるなら、
(スキー以外で)
一度だけ行ったことのある福島に
心が向かっています。

無理やりですが、、
沈丁花の香りにちなんで。

和に親しんで運を開く。

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