見出し画像

【焼肉屋釜山港】100日後に初老を迎えるわたし-あと36日-

2020年7月20日(月)

~焼肉屋釜山港~



忘れられない恩人が、辞めた会社の向かいにあった焼肉屋釜山港のマスター。

画像5

画像6



音楽の夢が諦めきれず辞めたことを肯定してくれて、しょっちゅうご飯食べさせてくれたり、親身になって話を聞いてくれたり、ときに本気で叱ってくれたりしました。

秋田から出てきた若者集団も可愛がっていて、みんなの兄貴分でした。


叙々苑に卸しているのと同じランクの激ウマ焼肉を、腹減ってるだろう?とたくさん飲み食いさせていただいたのに、「出世払いでいいよ!」とわずかしか受け取ってもらえません。

画像7


レバ刺しも旨かったなー!

画像2


その後身体を壊してしまい透析生活になり、残念ながらお店をたたんでしまうのですが、飲みながら何度も熱く語ってくれたマスターの夢を実現するお手伝いをして、元気づけて恩返しするんだと思っていました。

閉店ラスト2DAYS、たくさん友達集めて飲んだくれ!!

↑閉店ラスト2DAYS、たくさん友達集めて飲んだくれ!!

閉店ラスト2DAYS、のちに従妹の夫になる人も!笑

↑閉店ラスト2DAYS、のちに従妹の夫になる人も!笑

画像7


2012年1月12日。

妻とファミレスでご飯を食べているとき、秋田メンバーの一人から久々に電話。

マスターの訃報でした。

人目もはばからず涙が止まりませんでした。


最後にマスターと会ったのは、1年前の年越し。

年明けにわでかくらぶの前身となる塾を立ち上げたり、東日本大震災が起こったり、婚約したりと目まぐるしい1年を過ごしていました。

落ち着いてちょうど会いたいなぁと思い、マスターに連絡しようと思っていた矢先の訃報はほんとつらかった。


事業を立ち上げたことや、結婚の報告もしたかったのに、なんでもっと早く連絡しなかったんだろうと悔みました。

告別式では、マスターの兄貴分だった方にはじめて会います。


実はマスターにも食えない時代があって、そのときに「出世払いでいいから!」と同じようにご馳走していたそうでした。

ようちゃん飲み会でおなじみの、冷ややっこにニンニクごま油醤油は釜山港の味だったのですが、実はマスターもこの兄貴分から教わったものだったことを、このときに知ります。


マスターの兄貴分の「なんでお前が先に行くんだよ…逆だろう」と号泣する姿は痛かった。

『マスターの優しさは、こうやって引き継がれていたのか…自分も受けた恩を次に紡いでいける人になろう』

と、このときに強く思いました。

マスター、会いたいよ…。

画像8

画像9


#100日後に
#100日後に初老を迎えるわたし
#焼肉屋釜山港
#初老まであと36日

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?