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死ぬこと

 3日前、飼っていたハムスターのハミちゃんが死んだ。2歳3ヶ月。人間ならまだよちよち歩きの幼児だが、ハムスターだと80歳台後半位らしい。
 ハミちゃんはペットショップで980円で売られていた。下の娘の不注意から骨折させてしまい、動物病院に通院した。爪楊枝より細い彼の足を整復固定して治療して、治療費総額5万円くらいかかって骨はくっついたが、足の向きが反対になった。それ以外は特に怪我も病気もせず、2歳を過ぎても元気だった。家族によくなれていて、上の娘の掌の中でよく昼寝をした。 
 それが、急に食べなくなり、いつも寝床にしているキノコの形をした陶製の巣箱ではなく、ケージの隅っこに蹲って寝るようになったので、お迎えか、と予想はついた。 
 死ぬ数時間前、妻の手の中でぐったりしているハミちゃんの口元に大好きな胡桃のカケラを近づけたら急に元気が出て口に咥えた。でも飲み込むことはできなかった。 
 やがて間もなく丸まって、ちょっと痙攣して、そして呼吸しなくなった。ことり、と死んだ。 

 その翌日、高校時代からの親友Tが死んだと、彼の父親から連絡があった。 
 大学時代、彼も東京の別の大学に通っていて、一緒に散々馬鹿みたいに飲んだ。ぶっ倒れるまで泥酔するのは、俺の場合、Tと飲んでいる時が多かった。朝、目が覚めると、そこは高田馬場の道端の植え込みだったり、麻布署のトラ箱だったりした。そういう時、いつも俺は上着を着ておらず、財布も鍵も持っていない。お巡りさんから電車賃借りてアパートに帰ると鍵が開いていて、部屋の中から「お前はきっと無くすから、大事なものは俺が持って帰っといた」というTの声が聞こえて、むっとしながらも安堵したものだ。
「何で俺も一緒に連れて帰ってくれないんだよ!」と抗議すると、「だって、お前、酔うと必ず何処かに走っていくじゃん」と言った。確かに、俺はその頃、酔うと何故か何処かに向かってやたらと駆け出す癖があり、一度など赤信号の道路に飛び出しそうになって、追いかけてきた彼から羽交い締めにされたこともある。 
「追いかけるの疲れるから、走りだしたら放置するって前から言ってあったじゃん」と言われては反論できない。 
 TはTで、当時あった新宿の高層ビルの下の大きな時計オブジェの針を、酔っ払って全力で止めようとしたり。本当、若さを無駄遣いしながらお互いにアホばかりやった。 
 そういう無茶苦茶な大学時代を経て、Tは写真雑誌の記者になった。バリバリ働いて、芸能人のスクープ写真を撮ったりしながら、毎晩、高円寺駅前の屋台で酒を飲み、不規則な生活をしていた。 
俺が再受験して歯医者になって上京して間もなく、Tは脳卒中で倒れた。 
 それからは郷里でずっとリハビリの日々を送っていた。 

 3ヶ月の余命宣告受けた、と本人から突然のメッセージを受けたのが、昨年の冬。既に大腸癌の末期で手術もできない状態だった。 
 慌てて飛行機を手配して会いに行った。 
 Tと、彼の両親と一緒に、彼のお気に入りの蕎麦屋まで食べに行った。 
「やっぱりここの蕎麦が一番美味い」としみじみ言い、そこそこの量がある1人前を普通に食べた。   
 まだ全然大丈夫そうに思えた。 
 3週間前、再びTの父親から連絡があり、残り時間は週単位、と聞かされた。 
 黄疸が出ていて、もう食べるのも苦しいとのことだった。 
 見舞いには行けなかった。家族以外面会は受け付けないと言われたからだ。コロナ禍のご時世だとしても、彼にはもう先がないのに何故?と思ったが、コロナの蔓延している東京から無理に出て行く訳にはいかなかった。 
 本人からの電話があり、最期の話をすることはできた。 
「ペッパーライスが食べたい。それと、海軍屋のラーメンが食べたい」とTは言った。 
「痛みは?」と訊いた時、「大丈夫、痛くない」という答えが返ってきたことは、せめてもの救いだった。 
 携帯を持っているのがきついから切る、と言われて電話が切れた。 
 亡くなったという電話を親父さんから受けたのはその3日後だった。 

 生きて、死ぬ。 
 きっちりと、皆、そうしている。周りに迷惑をかけずにちゃんと死ねたやつはホント、偉いと思う。 
 いつか自分の番が回ってくる。別に怖いとは思わない。その時がきたらジタバタせずに、生き物の最後の義務を淡々と果たしたい。 

 ハミちゃんは胡桃、Tはペッパーライス。 
 俺は最期に何を食べたくなるだろうと想像してみる。食い意地がはっているから一つに絞りきれない。でも、死ぬまで食べたいものがちゃんとある、というのは幸せなことかもしれない。 



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