骨を海に投げ返す

完璧なサーモンを探して

レベッカ ロビンス

7人兄弟の末っ子である、

マーク・タッパーはシアトル北部のウォーターフロント・コミュニティで育った。そこで彼は「魚がいなければ漁師はいない」という基本的な教訓を学び、それを忘れることはなかった。彼は今、完璧なサーモンを見つけ、それを可能な限り持続可能な方法で市場に送り出すことに人生を費やしている。それは容易な道ではない。

マークが17歳のとき、刺し網漁師の勧めで、1959年にアラスカからワシントンにやってきた2人のノルウェー人兄弟が経営するスモークハウス兼店舗、ポート・チャタム・スモークド・シーフードで夏の仕事をすることになった。彼らは、スカンジナビア航空のパイロットが(北欧の故郷に)持ち帰るほど(高品質な)の(スライスでない)センターカットのロックス(冷燻)を製造していた。ジュリア・チャイルド(アメリカの有名な料理研究家1912-2004、受賞、著作、テレビ番組出演多数)もこの店を訪れ、同じように魅了された。若い彼にとって幸先の良いスタートとなり、彼は留まって(仕事を続けること)を要請された。

しかし、3年後、オーナーになる望みが薄れ、マークは移籍した。今度の行き先はアラスカで、彼はアイシクル・シーフーズの「ベーリング・シー」という大型加工船に乗り込んだ。マークは20歳だったが、ポート・チャタム入港中から注目され、1年も経たないうちにプロダクション・マネージャーとなった。

「アラスカのブリストル湾での最初の1週間、サーモンの遡上は忘れられない、115,000ポンド(約52トン)だった。98パーセントがナンバーワンの品質だった。ここが(自分が居るべき)その場所だと思った」。

「しかし48時間後、その完璧なサーモンは、船倉の氷の上で缶詰工場並みに劣化していた。硬直後のぐったりした状態。それを見るのは辛かった。しかし、信じられないことに、それらはまだナンバーワンの品質だと言われた。その理由は?魚の格付けは、最初に持ち込まれた魚(の状態)によって行われる。ロットごとに格付けされていたのだ。

「私は品質について学ぶためにアラスカに行き、8年間過ごしました、実際にどう作業が行われているか学びました。毎年ブリストル湾に行き、照明を点けっぱなしにして(徹夜で)、魚をさばく。世界最大のベニザケ遡上の猛ダッシュだ。彼らは持てる力を最大限に発揮するんだ」。

マークはようやくシアトルに戻り、加工工場で営業職に就いたが、心の奥底では、自分が見たものよりももっといい方法があるはずだと確信していた。船倉の凍った海水、氷を盛られる前に網で傷つき、ストレスを受けた魚の塊。

時は流れた。マークは仕事を続けたが、より賢い方法を探すことをやめなかった。そして、より賢い方法が現れた。ブルース・ゴアと彼の会社トライアドは、1978年以来、アラスカ南東部で獲れた天然のサケを釣り針と釣り糸で釣り上げて販売していた。ゴアについて特筆すべきは、彼が特別な漁獲方法と加工方法を開発したことで、それはすべて、自分は魚を殺すビジネスではなく、食品ビジネスを営んでいるという認識からきていた。

ある日の午後、ブルース・ゴアはマークに電話をかけ、冷凍保存してある1万ポンド(4.5トン)のキングサーモンを使ってくれないかと頼んだ。マークは言う: 「私たちはキングサーモンを扱っていなかったのですが、ブルースから見に来るように言われたんです。私はそうした。そして私の人生は変わった。

「ブルースは魚を密閉されたトート(フォークリフトで運搬するパレットサイズ強化段ボール箱)に入れていて、彼がそれを開けたとき、私は唖然とした。どの魚も完璧だった。釣り針と釣り糸で釣り上げられた魚はすべて、すぐに洗浄され、急速冷凍庫で保存されていた。私が夢見ていた品質だった。そこにあったんだ」。

15年後、マークは自分と同じような感性の持ち主を見つけた。

その人物は、市場で働きながらも、漁獲物の本質的な品質を尊重する方法を見つけたのだ。

マークとブルースは友人となり、8年後にブルースが引退すると、彼はマークに自分のビジネスを引き継いでくれるよう頼んだ。そしてマークはそれを実行した。

「トライアド(法人)を買って、私はショックを受けました。漁師の気難しさは知っていたし、私は13隻のフック&ライン漁船のオーナーで、それぞれ3人のクルーがいた。でも、ブルースのクルーは違った。彼らは家族だった。時には父親と息子2人、時には母親と父親と息子や娘、あるいは父親と息子と親友。何年も一緒に釣りをする。優秀であることに専心していた」。

Amy Grondin,Greg Friedrichsと夫妻のトロール釣漁船Arminta
Searcher
BAXTER, KENNETH Rとマーク


Ocean Belle
Jonathan Moore,wife Laura,and daughters Anabel, Arden and Ayla
Arden Moore hauls in a hefty coho salmon aboard the Ocean Belle.オーシャンベル号でギンザケを釣り上げるアーデン・ムーア
Ayla Moore holds up a coho salmon she managed haul in.釣り上げたギンザケを掲げるアヤ・ムーア

フック&ライン漁船(トロール船trollersと呼ばれる)は(アラスカ州全体の)漁船の1~2パーセントを占め、残りは網漁船トロール船(trawlers)である。その1~2パーセントのトロール船trollersの大半は氷冷漁船である。しかし、ゴアの船(現在はマークの船)には急速冷凍庫が搭載されていた。魚を船倉の氷の上で冷やす代わりに、急速冷凍庫は漁獲物の中心温度をマイナス30度まで下げ、海上でそれを保持する。こうしてゴアは、魚の品質を文字通り、最初に(海から)舷側を越えて水揚げされたときのレベルで凍らせることを学んだのだ。

しかし、魚を冷凍庫に入れるだけの単純なことではなかった。ゴアの漁船は、品質を最大限に高め、漁獲魚の老化をほとんどなくすための特別な手順に従った。トローラ船は泳ぐサーモンのペースで移動し、通常3~4本の釣り糸を左右に引き、それぞれの釣り糸には12~16本の針が付けられている。魚が食いつくとベルが鳴り、そのラインが引き寄せられる。魚は木製の手鉤(てかぎ)で気絶させられ、慎重に甲板に置かれる。鰓下の動脈を切って血を抜き、頭を外して低圧の水を魚の循環系(血管)に流す。魚の背中にある血合いと呼ばれる背中の血のひもが削り取られ、最後の血が骨に埋まっている背中の最後の3本の骨も削り取られる。これで完全に洗浄された血のないサーモンができあがる。

二人目のクルーが皮の汚れを落とし、冷凍庫のトレーに並べ、最後に尾の部分を丁寧に扇形に広げる。こうして初めて、サーモンは急速冷凍庫の箱に格納される。

市場に出荷するために陸に上がった鮭は、生物学的には死後2時間経過である。

自分で鮭を釣ったことがない限り、この魚の味はわからない。しかし、この沿岸のサーモン漁の原始的な漁師たちにとっては、馴染み深い味なのだ。

シアトル酋長の部族、スカミッシュ族には、食べたサケの骨を海に投げ返すことを学んだという伝説がある。「そうすれば、季節の最初にマスノスケを送ってやろう。そして次にベニザケ、ギンザケ、シロサケ、そして最後にカラフトマスを送る。その時以来、サケはこの順番で、海、海峡、小川にやって来るようになった」。この伝説の隠された意味は、源流に敬意を払わない限り、その恵みを刈り取ることはできないということである。しかし、あまり目立たないが、もうひとつの意味がある。持続可能性の鍵は、狩猟対象への配慮だけでなく、狩猟者の心を保つことにあるということだ。

https://alaskasalmon.eu/web/wp-content/uploads/2014/08/Triad-Fisheries-www.finessemagazine.com_.pdf




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