平成ネット史(仮)を完全に見逃したが、インターネット老人会向けの記事を書きます
本来であれば、その番組を見て、懐かしい話を書いていたと思う。
もうこの辺の記事を見ると、本当にこういう風な記事を書いてしまいそう。
まったく番組を見ていないので、想像だけでしか書かないのですが、僕とネットの歴史を軽くまとめて置こうと思う。
隕石が落ちてくるブラウザネットスケープ
初めてインターネットに出会ったのは超電導の研究所でバイトしていたころだろうか。
Macという西洋からやってきたパソコンがあって(Macとの出会いもこの時が初めて)、その画面で開くインターネットというのを横目で見たのが衝撃的。まだCUI(黒い画面に白いアルファベットだらけの画面)のPCのイメージしか無かったこのころのMacの操作性に驚いた。
30分500円、高速ISDN回線のネットカフェに通う
ジーンズショップで働いている頃、「インターネット」というのがあるらしい、とテレビ番組言い始め、リーバイスのカタログにもURLが記載し始められた。
一度ホームページというのを見てみたいと思い。梅田三番街にあるネットカフェに行ってみた。
気がつけば、毎週のように通っていた。
ヤフーのリンクを辿れば(検索ではない)、あらゆるホームページを見ていくことが出来た。
このころいわゆるテキストサイトとか流行っていた時期だと思うのですが、一番記憶に残っているのが東京トイレマップ。
そんなくだらないことを真面目にやっている人いるんだ、というのが率直な感想だが、その後、そのサイト運営主とリアルに出会ったり、一緒に映像に映ったりしている。
Netscapeを買う
企業買収ではありませんw
当時ブラウザをお金を出して買った記憶があります。電気屋で4,000円ぐらいだったかな。Netscape Navigator 3 Goldとかいうの。
パソコンオタクの上司がいて、Windows95を入れて起動させていたんじゃないかな。
初めてのプレゼンはHTML
その後、Netscape Communicator にComposerというどうやらホームページを作るツールみたいなのがあるのに気がついた。
これからはインターネットだ!と思い、当時携帯電話屋だったのですが、勝手に企画書を作り、勝手に大手プロバイダの営業の人に連絡をとり、代理店契約を結び、インターネットプロバイダ加入者獲得の事業を立ち上げた。
それをやりたいと社長に説明するのに、当時はパワポとか存在すら知らず、ブラウザで閲覧出来るプレゼン資料をつくり、ノートPCを持って社長プレゼンをした。
こうやってPDA(ザウルス)+PHS+プロバイダ加入という商品を作り、インターネットが流行ろうとしているときに売っていこうとしていた。
と思ったら、一気に会社全体が市外通話法人向け営業モードになり、大量のプロバイダCD-ROMが置き去りにしてそのまま、その事業は終わったという苦い思い出。
PHSが高速通信だった時代
PHS回線が高速だったため、PHSにPCを繋げたり、その後CFカード型のPHSとか出たぐらいPHSがイニシアチブをとっていた。
当時の携帯電話屋はPHS専門店だったので、最先端を体験している気分だった。
ホームページ作りが趣味へ
ホームページ作りが楽しくて個人サイトも立ち上げた。
個人サイトだけでなく、趣味の吹奏楽団のホームページも作った。当時まだ大阪府内でも3団体ぐらいしかホームページ持ってなかったと思う。
インターネットで検索して探す人は、自然と集まってきて、一気に団員が増えた。インターネットスゴイと思った。
そのうち、Office98かそれぐらいでFrontPageというホームページ作成ソフトがあるのに気づいた。メニューナビゲーションを作成したり、少し本格的なホームページが作成できた。
そして会社の仕事でもPHSのプロモーションサイトでホームページの作成も進めた。これが初めての商用ホームページ作成の始まりだと思う。
地域密着サイトの立ち上げ
会社の事業で地域密着サイトを立ち上げることとなった。
大阪にいるのに東京支店のメンバーが営業して大阪でつくるという体制で、舞台は練馬区。
まだ、iモードもカラーに対応したばっかりのころで、画像の容量制限がかなり厳しい時代だ。そもそも携帯は白黒が当たり前だった時代です。
写真もFireworks(当時はマクロメディア)で色数を減らして軽量化するということをやっていたりするのですが焼肉の写真を4色にすると意味不明な画像になったことを覚えている。
この辺、最近の人にはまったく通じない話だ。
と書き始めると1年ぐらいかかりそうなので、この辺でやめておきます。
読んでくださり、ありがとうございます。