【コラボレーターの仕事術】誰にでも「できる」社会活動を掲げ、世界中の貧しい子どもたちを救う 社会活動家 竹中俊
今回、コラボレーターの仕事術第3弾として、世界中を旅しながら貧困・環境問題、慈善活動を行うフリーランス社会活動家「竹中俊」さんにインタビューさせていただきました。
竹中さんは、1996年大阪生まれで、2016年にネパールの孤児院をみて、貧困問題に向き合ったことを機に、子どもたちのために貧困や社会問題を解決していきたいと思い、慈善活動・国際協力活動を開始されました。
学生時代まではサッカー好きの普通の少年だった竹中さん。
ご自身は当初、まったく社会活動家になろうとは思わず、ただひらすらに貧困の子どもたちを助けたいという一心で取り組んでいたところから、地道な活動から多くの方々に応援されるようになりました。
現在では、ネパールで児童養護施設の運営、年間80回以上の講演を全国各地で実施し、毎回満員御礼の状態を作り上げています。
ミニマリズム、アドレスホッパーという生き方をされながらインフルエンサーとして多くの方に影響を与えています。
サッカー好きの少年のところから社会活動家・インフルエンサーへと変化されてきた竹中さんが、仕事や人生において大切にされていることをインタビューさせていただきました。
普通のサッカー少年から社会活動家への転機
インタビュアー)
社会活動家、インフルエンサーになろうと思ったきっかけはなんでしょうか?
竹中さん)
正直、最初は勢いではじめました。
2016年夏、20歳のときに世界を飛び回っていたときにネパールの孤児院をみたときがきっかけで、飢えに苦しむ現地の子どもたちをみて「ご飯を食べさせてあげたい」と思ったからです。
当時は、普通の大学生で、ずっと大好きなサッカーに明け暮れる毎日でしたが、春休み、夏休みを使って、毎回キャリーバックにサッカーボールや食料品を詰め込んで訪れるうちに、いつの間にか周りから社会活動家といわれるようになってきました。
インタビュアー)
最初から活動はうまくいきましたか?
竹中さん)
最初からうまくはいきませんでした。特に最初の3年間はやってもやっても状況は変わらず苦しい毎日でした。ネパールに34人の孤児が生活を送る児童養護施設を運営していますが、子どもたちに与えられるご飯も最初はお米だけで、おかずはありませんでした。
たしかに苦しいと思ったことはありますが活動を止めようと思ったことはないです。
ただ、同じことをずっとやり続けたことが大きかったです。
最初の3年間は目立った結果は出ないながらも、ずっとInstagramなどのSNSで自ら情報を発信していくなかで、徐々に多くの方に活動を知ってもらい、応援してもらえるようになってきました。
社会活動とシンプルな生き方の源泉とは
インタビュアー)
ミニマリズム、アドレスホッパーの生き方をされている理由を伺えますでしょうか。
竹中さん)
世界各地で慈善活動、国際協力しているうちに自然にミニマリズム、アドレスホッパーというライフスタイルになってしまいました(笑)
各地を周っているので、自宅を持たず、ホテル暮らしになります。そして、荷物も必然的に機内に持ち込める量しか持ちません。
インタビュアー)
講演活動も年間80回以上されていますが、大事にされていることを伺えますでしょうか。
竹中さん)
現在では年間80回以上講演をしていますが、最初のころは人が全く集まらず、1回の講演も5名もいない機会もざらにありました。
自分で主催し、自分で集客していました(笑)
だけど、継続していくなかでどうやったら多くの人に知ってもらい、講演に来てくれるだろうかと工夫していきました。
結果、現在では全国各地どこに行っても満席状態が当たり前の状況になってきました。
インタビュアー)工夫されたこととは?
竹中さん)
例えば、沖縄で講演をやった際は、1回目は3名の方しか来ませんでした。沖縄においても社会活動家として知名度はありましたが、ただ知っているだけと講演会に行ってみたいとなるのは違います。
そのために沖縄の方たちがどのようなことに興味をもってもらえるか。
例えば、沖縄独自の貧困問題、サンゴ礁保護の問題を取り扱い、訴えかけることによって、沖縄のことも学べるんだと興味をもってもらえるようになりました。
その結果、2回目では30名以上の方にご参加いただけるようになりました。
社会活動が当たり前の世の中に
インタビュアー)いま取り組んでいることを教えてください。
竹中さん)
現在は、ネパールの支援活動を行いながら、日本国内においてもサスティナブル、SDGs(持続可能な開発目標)をより浸透させていくために動いています。
現状、日本では20代かつ男性でそういった活動されている方はあまり多くない状況です。
私個人としても企業や自治体に呼ばれて、実際に企業との間に入って事業や広報活動、プロジェクトを動かす機会が増えてきました。
行政、自治体との取り組みとしては、2050年の菅政権が掲げる脱炭素宣言に沿うべく、二酸化炭素の排出を抑えるための活動などを行っています。
こうした取り組みも「シュンくんが言うなら」ということで一緒に活動してくれる若者も多くなってきており、企業、自治体、行政と活動していくことにも繋がっています。
また、今年2月からオンラインサロン「Broker」も運営開始しました。
大きなことを成し遂げていくときにはオンラインでもオフラインでも一緒に動く仲間が大切です。
SNS上のフォロワーの数も大事ですが、何よりもコアのファンを増やしていくことが大切だと思っています。
すべては楽しいが原動力
インタビュアー)
世界中を旅しながら、年間80回以上の講演、児童養護施設運営など、多岐に渡って活動されている原動力はなんでしょうか?
竹中さん)
そもそも活動が楽しいからです。
良いことをしたときに人から「ありがとう」と言われる経験が幸せに感じますし、人のお役に立ちたいと思う気持ちでやっています。
そうした活動で自分が幸せになって、かつ誰かのために貢献できることが何よりも原動力になっていますし、夢中になっています。
だから苦しいときでも感情やモチベーションに左右されないですし、動けば動くだけその分新しい出会いや発見があります。
自分を通して、周りの人にとって新しいニュースがある人間でありたいと思っています。
何事も楽しむことが大切だと思います。
インタビュアー)
社会活動家として、人を巻き込む時に大切にしていることは?
竹中さん)
やっぱりここでも「楽しい」という気持ちが何よりも大切です。
これまで国際協力や慈善活動はハードルが高いイメージで、簡単にできるものではないという心のなかでどうしても見えない壁がありました。
その見えない壁を壊し、誰でも「できる」という世界にしていきたい。誰にでも貧しい子どもたちに食事を届けるのもできるのです。
自分が楽しみながら、人を巻き込む時には、その人自身も当事者としてやっているんだという感覚が大切だと思います。
例えば、自分が募金したお金もどのように使われていくかまで、自分が募金したことによってこれだけの多くの人々のためになったというようにわかることが大切です。
そういったできる環境づくり、社会づくりをしています。
こうした活動も問題意識からくるものではなく、新しいライフスタイルとして提案していきたいです。特別なものではなく、ライフスタイルの一環として、社会活動を行えるようにしていきたいです。
だれでも社会活動ができる社会に
インタビュアー)
最後に、今後のビジョンをお聞かせください。
竹中さん)
誰しもが社会活動に取り組むことができるようなプラットフォームを創ることです。
これまでどおり、私自身が講演をしたり、インフルエンサーとしてSNSで情報発信すれば、たしかに伸びはするけど、私一個人の活動としてだけ注目されてしまいます。
それは望む姿ではありません。
そのため、全国各地にみんながいつでも寄り添える、村づくり、コワーキング、アパレル店舗をはじめとしたプラットフォーム作りに集中しています。
そうした取り組みによって、社会活動や国際協力を本当は行いたくてもなかなかできなかった人たちにも国際協力、貧困・環境問題などに取り組んでいきやすい社会を創りたいと思っています。
最終的には世界中のご飯を食べられない人たちをなくす。果てしない目標ですが、そこに向けてやり続けていきたいと思います。
一同)
長い時間、ありがとうございました。
竹中俊
プロフィール
1996年大阪生まれ。社会活動家。インフルエンサー。
ネパールで34人の孤児が生活を送る児童養護施設の運営。年間80回以上の講演。世界中を旅しながら慈善活動を行う。社会貢献を仕事にし、貧困・環境問題、ミニマリズム、アドレスホッパーの生き方を発信している。
Instagram
https://preprod.instagram.com/takenakashun/
オンラインサロン
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