ははむすめ旅 その2

またもや、この存在(note)を忘れかけていた。
冷めるの早っ。
なるべく続けようと思うため奮い立たせて続きを書きたいと思います。

成田から11時のフィンエアーで飛びたった私たちは、10時間ほどでフィンランド、ヘルシンキバンター空港に到着。

娘が背負うリュックには私の一眼レフが1台入っている。なぜ、私が背負わないのかって?
私は背中にドローンをしょっているからである。

規制が厳しくなり、バッテリー類が預入荷物に入れることができなくなった昨今。
ドローンのバッテリー2つ、スマホ用バッテリー類2つ、カメラバッテリーが9つ、それだけでゆうに3kgくらいにはなっている。
さらにはラップトップ、ドローン本体、一眼レフ2台は機内手荷物にしなければ安心できないため、娘にも持ってもらった。ありがとう、娘よ。

機内食は、いたって普通。いやちょっとよく言い過ぎたか。
美味しいわけではないが、食べられないことはない。

機内のエンターテインメントではリメンバーミーがすでに追加されていた。
お陰で娘も飽きずに10時間を過ごせたと思う。

魔のトランジット

私は通常、トランジットは3時間以内のチケットを選ぶようにしている。
見知らぬエアポートで楽しめるのは2時間くらいだと思うからね。しかし今回はどうしても短い時間のチケットが取れなかった。そのため、私たちはバンター空港で6時間のトランジットを経験する羽目に。
もちろん、一度入国して市内に出ることもできたんだけど。調べると30分ほどでヘルシンキ市内に行けることがわかっていたし。
しかし、ここフィンランドは冬。雪もまだ残っており、バスで出たはいいが、何かがあって戻れなかったら…
そういう所で、普段は持ち合わすことのない隠れた慎重派な私がひょっこり顔を出し、結局空港内で過ごす事を選んだ。

日本を昼の11時に出て機内食を2回食べているため、お腹も大して空いていない。
体は日本時間の夜のはずなのに、フィンランドはまだ三時のおやつ時間。
1時間もすると、そこまで大きくないバンター空港の隅から隅まで探検し終わってしまった。
私は緊張もあり睡魔よりも、いかに早くこの待ち時間を終わらせるかを考えていたが、娘はまだ10歳。フィンランドの17時ごろになると「眠くなってきた」と。

ベンチに寝る娘はバックパッカーのようである。
トイレや喫煙所、売店に近い場所を選んで娘を寝かせ私はその付近でウロウロ。

ヘルシンキからロヴァニエミまでは1時間ちょっとのフライト。
そしてすぐ宿泊先まで行けるはずなので、とにかく少しでもここで体力を補ってもらわなければ。

結局、私は娘が常に見える所でグルグルと歩き回り、なんとか次のフライトまでをしのいだ。
そして次の旅では絶対に長いトランジットのチケットは取らないぞ、と心に決めた。それくらいこの6時間はきつかったのである…


はじめましてラップランド

ヘルシンキ発、ロヴァニエミ行きの機内にはアジア人が私たちしかいなかった。
地元に帰るフィンランド人や、オーストラリア人、メキシコ人など様々な国の人がいたが、アジア人がまったくいなくて少し心細く感じた。

飛行機もかなり小さく通路は1つだけ。両脇に3列の席。1時間のフライトなので機内のモニターもない。娘はそれが不満そうだったけれど、仕方ない。映画見終わる前に着いちゃうからね。

そしてここで驚いた。
てっきり冬のフィンランドは日照時間が少ないと思っていたが、3月末は既に日本より日没が遅い。そして既にサマータイムになっていた。豪雪なのにサマータイム…
一体、summerとは何なのか。

22時ごろの上空はまだ空と陸の境界線がオレンジだった。

ロヴァニエミ空港は小さな小さな空港で、バゲージが流れるターンテーブルはふたつ。その真ん中にサンタがいた。
サンタクロースの街、ロヴァニエミ。
私たちが今夜から泊まるのもサンタクロース村にあるコテージだ。
送迎のスタッフが来てくれていて、既にマイナス5度の中、実に日本で朝5時に起きてから24時間後、ようやく私たちは1泊目の寝床にたどり着いた。

娘は大きくなったと言ってもまだ10歳(この日から10日後には11歳になったけれど)。
海外への旅に必ずぬいぐるみを同行させる。そういうところを見ると普段は口達者で生意気なところもあるのにまだまだ可愛いところがあるな、と思う。

もちろん疲れ切った私たち、お風呂に入って即就寝。実に26時間ぶりの布団の優しさに包まれながら。
しかしこの行動がこの度最大の後悔になるとは、この時の私はまだ知る由もなかった。
(つづく)

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