生きることと死ぬこと~ワクワクするか否か~
『生きることと死ぬこと』をテーマに私のなりの考えを書きました。
生きながら死んでいた私が生き返った出来事
主体的に行動してみよう。
そう思ったのは、仕事が少し落ち着いて心に少し余裕ができた頃でした。
今までは、もちろん生きてはいましたが、死んでいるかのように周りに流される主体性のない日々を送っていたように思います。
自分が本当にしたいことってなんだろうか。
どんなことをしたら楽しいと感じるのだろうか。
って所から、色々なことに取り組むことをまず始めました。
その過程で、最も私に大きな影響を与えたのが、オンラインコミュニティの「The Arth」でした。
加入してすぐ、世の中にはこんなにも情熱的で活動的なセラピストがいるのか!と驚嘆しました。
「The Arth」の方々のやり取りをみていると、
無性に「自分もっ!」って、何か熱くなるんです。
そこから生まれた熱量は、私の大好きだったテレビや睡眠を奪うほど笑。
人生が色づくとはこういうことを言うのか、と実感しました。
昔と比べてやっていることは増えているはずなのに、全然負の感情に支配されることがありません。
逆にワクワクしたり、日常の中で笑顔が増えた気がします。
今なら、人生を楽しんでいる。
「生きている!」と胸を張って言えるような気がします。
私はたぶん、「The Arth」のセラピストの皆さんによってリハビリされていたのではないかと思うのです。
少しずつ私らしくやりたいことを主体的にできるようになって、「今人生を謳歌しているぞっ!」と多少なりとも感じることができます。
生命力の伝染
意欲的に様々なことに取り組み、ワクワクしながら情熱的に何かに取り組んでいる人をみると、「生きているぞ!」って生命力を凄く感じます。
そのミナギル生命力があふれた場所にいることで、私にも少しずつ注がれていったのではないかなぁと思います。
私は言語聴覚士というリハビリの仕事をしているのですが、やはり意欲の高い人は回復が早い傾向にあります。
また、病室だと4人部屋とか一般的なのですが、一人意欲的な人がいるとその他の人も引っ張られて、意欲的になりやすく回復も早い傾向にあるように思います。
生命力の伝染というのがあるのでは、と感じる出来事です。
心に余裕がなくてはならない
生命力が注がれる器は心です。
心に余裕がないと、器が小さくなって生命力が注がれなくなります。
そうなると自然と生命力が枯渇し、心臓は動いているけど、心は死んでいる、といった状態になるのではないかぁと思います(宗教ではありません笑。例えです)。
心と体はつながっているとも言われているので、心が変調をきたすと体までそれに引きづられかねません。
「死」に近づくことになります。
まとめ:生きることと死ぬこと=ワクワクできるか
皆が、ワクワクしながら、楽しく笑っていられたらいいなぁと漠然と思っています。
ワクワクすることは、楽しく生きる意味でとても大切なことだと感じています。
なので、私はワクワクを感じていたいです。
そして、感じさせられるようにもなりたいという欲も出てきました。
ワクワクさせるには自分がワクワクしていないとダメなのかもしれません。
なので、能動的にワクワクしていきます。
そして、患者さんに対しても、心の余裕を作れるような、ワクワクを感じることのできるような、関わりをしていきたい。
何でもいいと思うのです。
考え方によっては、
「明日は、好きな林檎を食べるぞ。」
「明後日は休みで一日ゴロゴロするぞ。」
といったことでも、ワクワクしませんか?
今は今しかありません。
能動的にワクワクしていきましょう!
The Arthのメンバーで「生きることと死ぬこと」をテーマに記事を書いています。
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