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「手放す」事に未練を感じるなら「厄介払い」とすれば良い

コロナ騒動
終息はまだまだですが
日常の営みも少しずつ進んでいってますね。
当たり前だと思っていた事が
ちゃぶ台をひっくり返されたような気持ちの方も多いと思います。
ましてや
元どおりに戻る
などという事はまずムリでしょう。

私のちゃぶ台には
・卒入学式の仕事
・結婚式の仕事
・レッスン
・イベント
が乗ってましたが、もれなくひっくり返りました。

卒入学式と結婚式は挙行自体がキャンセル
レッスンは自主的に縮小
イベントはキャンセル料がかからない段階で会場を解約しました。

この時の私は
仕事が無くなった喪失感よりも
開放感の方がまさっていたのでした。

実のところ私は
コロナの騒動が深刻化する前の2月の時点で
自分が関わる仕事
特にイベント関係のものについては
全く満足をしていませんでした。
理由はまず、収益ありきであったこと。
収益は確かに必要でしたが、
そのための下準備がほとんどなされないまま
つるべ打ちにイベントを打ち出していました。
もちろん、内容としては申し分ないものを企画したつもりではありましたが
とにかく毎度毎度、集客に苦労する。
内容の良さをうまく発信する事ができていなかったのでしょう。
うまく発信できない、という事は
自分達が扱っている企画の価値を
自分達が正しく理解できていなかったのです。
今にして思えば
自分達の中に棚卸しがきちんとできていなかった
という事でしょう。
そのちぐはぐな違和感がピークに達した時に、
コロナ禍に見舞われたわけです。

ちゃぶ台はひっくり返りました。
だけど何も乗ってないちゃぶ台に
落ちたものを拾うことはしませんでした。

白紙の自分。

私を悩ませていたちぐはぐな違和感がなくなった!

そこで私は
収益に必要だった集客を手放しました。

いえ
むしろ「集客=収益」という悪しきループを厄介払いしたのです。
「手放す」と言うとなんだか未練がましいですが
「厄介払い」だと思うとものすごく良い事をしたような気持ちになれます。

ひとつ厄介払いを始めると
自然と他の悪しきものもはがれ落ちていきました。
嘘のようにさっぱりとしました。
無理矢理泣く泣く手放したのではなく、
厄介払いができたのだから。

今はその仕事に関しては
正直収益はありません。
だけど
じっくりと腰をすえて棚卸しをしているところです。この作業が完了したら
その時こそは本当に良い企画と良い商品を作ることができます。

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