一生遊んで暮らしたい。

時々、意味のないことをしたくなる時があります。
意味のない、と言ってしまうと身も蓋もないような感じがしてしまうけど、なんとなくどうでもいいことばかりやりたくなるんです。

最近で言えば小説を読み始めたのもそうだし、配信で喋ったりするようになったのもそうだし、ドット絵を打ってみたりとかもしました。
そういう、生産的なようで、非生産的なようで、やっぱり生産的なような、意味があるのかないのかわからないことを漠然とやってしまうんです。
「新しいことを始めたい」なんてポジティブな感じじゃなくて、本当に漠然となんだけれど、もしかしたら「死にたい」の範疇の話なのかもしれないなあ、と少しだけ思うんですけど。
いやそんなネガティブな話ではないのだけれど。別に全く病んでないしメンタルは最高なのだけれど。

仕事も変えようと思っているし、住むところも変えようと思っているし、そうやって、何か漠然と、今までの自分が消えていくような感覚を味わいたいときってないですか?
「ないなあ」って言われてしまえば「ああ、そうですか」くらいの、別に伝わらなくてもいい感覚なのだけれど、僕はそういうのがあります。漠然と。

そういう時期に始めたことが大体続かないので、小説を読んだりはするだろうけど、多分ドットも打たないだろうし、配信も多分しなくなるだろうなあと思うし、本当に意味のないことなんです。
でもドットは海外の人が気に入ってくれたし、配信も何人かと喋れたし、僕にとっては楽しい遊びで、まあなんとなく意味を感じられることなんですよ。わかりますかね。
小窓を開けるイメージです。別に何が変わるわけでもないけれど、空気がちょっと入れ換わるような、風が入ってくるような。もしかしたら鳥なんかが入ってくるかもしれない。
それでいいのです。

「意味があることってどんなことだ?」
とか
「生産的であることとはどういうことだ?」
とか
難しいことを考え出すときりがないけど、例えばポーカーの役って言ってしまえば意味のない絵札をいい感じに集めたやつじゃないですか。
意味のないことをみんなで評価して、いい感じに絵が揃ったね!君の勝ち!なんてやっているわけで、そう考えると意味わからないなと思うんですけど、要するに、非生産的な、全然意味のないこと、それ自体になんとなく意味を持たせることが遊びなのではないかなと。

ちょっとよくわからないですね。
この文章にも全然意味はないんですけど、それを書いていることになんとなく意味がある、遊びなんですよ。

そうやって、意味のないことをやる意味のないものとして生きていたいなあっていう希望があるんです。漠然と。
よくわからないけれど、そういうものなのです。

一生遊んで暮らしたいなあ。

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