チバユウスケが死んだんだそうな

死んだんだそうな、って感じだ。


あまりにも、実感が湧いてこない。
悲しさも、寂しさもあるし、この気持ちを何か言葉にしたいような気持ちはあるのに、どんな言葉もしっくりこないような、そんな感覚になる。

昔、Feelgoodのアルバムの背帯にさ、チバが「思い入れが強すぎて何も言葉が出ない」ってコメントしてたんだけど、おおむねそんな感じなんだと思う。
自分の言語化能力にそれなりの自負があったんだけど、今どういう気持ちかを言語化するのは難しい。

「俺とチバユウスケ」みたいなエピソードを語ろうと思えば、そりゃ20年とかずっと好きだったんだから、語れる事くらいいっぱいあるんだろうに、言葉にならない。
チバが書いた、俺が大好きな曲もたくさんあるし、歌詞から好きな言葉を引用して、RIP、とかって締められたらいいんだけど、どうしてもそういうことができない。
なんだか、あらゆる言葉が無粋だと思えてしまう。

チバの訃報が流れて来た時、結構酔っ払ってたんだけど、嘘だろ、って動揺して、Twitterに嫌だ、って書いた。
わかるよ。俺。俺も嫌だわ。

しばらく嫌だ嫌だってわめいて、少し冷静になって、訃報のツイートに「ありがとう」ってリプした。
多分この状況で絞り出す一番適切な言葉がそれだと思ったから。

そんで、もう少し冷静になった時にそのリプを消した。
なんか、野暮ったいなと思って。
嫌だもありがとうも本心だけど、しっくりきていない。
何もしっくりこないまま4日経って、何事もなかったかのように仕事したりして、ラッキーストライクを吸って、全然うまくねえなと思いながら今これを書いている。
この文章も全然しっくりこない。

アベが死んだ時、俺はどう思っていたんだろう、と思って、昔懐かしいmixiで当時の日記を漁ったら、一言「死ぬなよ」って書いてあった。

俺もそう思うよ。

死んでほしくなくても人は死ぬし、明日も仕事だし、俺は今、腹が減っている。何も変わらない。
明日もまた人生をやらなくてはいけない。
チバユウスケはもういないけど、俺の人生のほとんどずっとチバユウスケの音楽を聴いてきた。
これからもそうする。

舐め尽くしたドロップの気持ち、の意味を理解した。
口の中にはもうないけど、甘さは残ってる。そんな気持ち。
だめだわ。やっぱり無粋かも。

チバユウスケは死を悔やんだのだろうか?
多分悔やまなかったんじゃないかな、と思う。わからないけど。

だから俺も、せめて彼の死を悔やまない事にする。
まとまらないけど、まとめる気もない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?