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猫について

「犬派?猫派?」

と、たまに聞かれることがある。


犬のいつでもフルパワー出迎えは嬉しくなるし

猫の稀にあるデレ期はとても尊い。


フルパワー出迎えに元気をもらうので
どちらかといえば犬派ではあるが

飼ったのは猫が先だった。

以前の「ペットについて」でも触れているけど

子どもの頃に野良猫のミーコを飼っていた。


アメリカンショートヘアに似た猫の家族が
うちの家の近くによく来ていて
遠くから可愛いなぁと眺めていた。


そして気付けば一匹だけ子猫を残して
他の子猫と親猫はいなくなっていた。

その残っていた猫がミーコだった。

構ってくれの顔


我が家の母は動物が苦手なので
父と結託し、内緒でホームセンターで餌を買った。

離れたところから食べている姿を毎日見守った。

何日も経ってから、
餌の準備をしていると初めて自ら擦り寄ってきた。

逃げないかなと思いながら恐る恐る触ってみると
ゴロゴロと喉を鳴らしていた。

あの時の嬉しさは未だに覚えている。


ちなみに父は自分から触りに行ってしまい
最初に嫌われたので慣れるまで時間がかかった。

姉が猫アレルギーなので外で飼っていた。

物置小屋にクッションをひいてそこで寝ていた。

外で飼っているとどんどん犬化していき、
こちらが外に出ると
無限に後をついてきて遊ぼうとせがむ。

学校から帰ってきたらまず家の裏にある
草むらで30分は遊んでいた。

よくカエルや鳥を捕まえては持ってきて
「褒めて!」と言わんばかりの顔をした。

私はお礼を言って近くの川に水葬した。

蜂に挑んで刺されたのを見た時は
自分が刺されるより辛かった(私は刺されたことはない)

ハーブの虫除け首輪をさせられている。


私が骨折して一緒に遊べない時は額が禿げていた。

生き物もストレスを感じるんだなと初めて思った。

自分と一緒に遊べないことを
ストレスと感じてくれるんだなとも思った。


最後は突然いなくなってしまった。

息を引き取る時にそばにいたいと思っていたけど

猫はなかなかそれは許してくれないらしい。


まだそこまで歳をとっているわけでもなかった。


遠くの道路で
猫が車に轢かれていたので埋葬しました
という張り紙が貼ってあった。

詳しい猫の特徴は分からなかったけど
ミーコではないことを祈り続けた。


我が家では、
ミーコはロード・オブ・ザ・リングの指輪を拾い、
指輪を捨てる旅に出たんだという結論に至った。


いつか指輪を捨てられたらまた帰ってくる。


なのでその後に引っ越しが決まったことが
本当に嫌だった。

いつかミーコが帰ってきてくるのに
私は出迎えなければいけないのに。


「犬は人に帰り、猫は家に帰る。」

と、いつか聞いたことがあった。

当時の家は今はもうなくて
その辺りは拡張された道路になっている。

ミーコはずっと指輪を捨てる旅を続けている。


そんな風に猫のことばかり考えているのは、
この小説を読んだからだ。

媚びない挿絵がまた良い。


この小説を読んで、
生き物と暮らす何気ない毎日や
ちょっとしたトラブルが
どれもこれもかけがえのないものだと改めて感じた。


仕草や鳴き声、目線の一つでさえ
君からの大切な贈り物だ。

一緒にいる時間は当たり前ではない。
もちろん無限でもない。


明日私が生きているとも、
君が生きているとも限らない。


だからこそどれだけ君を大切に思っているか

どれだけ君の存在に救われているか

言葉が通じなくても伝えたくなる。


君の走る姿に、眠る姿に、食べる姿に
私は無限のパワーをもらって生きているのだ。



人はすぐに後悔する。

そして幸せな時間よりも後悔を引きずりやすい。


あの時にこうしていれば、
君は苦しまずにいられたのではないか。


あの時ここに行かなければ
事故に遭わなかったのではないか。


あの時、君が私に出会わなければ
もっと幸せな環境で生きられたのではないか。


どんなに今まで君を大切にしてきたとしても
亡くした時はそんな気持ちが拭い去れない。


長い時間をかけて少しずつ

自分なりに大切にしてきたんだと

思えるようになっていく。


ミーコの時も

長介の時もそうだった。


たくさん責めた。

でもたくさん思っていたのも
たくさん楽しい時間があったのも事実だった。


そうやって生き物に救われながら
今まで生きていたんだ。


今は猫を飼っていないけど
いつかまた飼う時がきたら

きっとまた君がどんなに素晴らしいかを
ありったけの気持ちを込めて伝えるんだ。


そして
「出会ってくれてありがとう」
って言えるようになるんだ。


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