私の瞳

 私はアイドルに向いていないらしい。

 先日発売されたアイドルのライブ映像がこういう仕様だったとは。たしかにあのイベントのチケットには変な文言があった。

「今回のイベントは映像化される予定があります。お客様のうち、映像化されて困る方はマスク・帽子などでお顔をお隠しになるようお願い申し上げます」

 客の姿が映り込んでしまうことなんて当たり前だ。いまどきどんなイベントの注意書きにも書かれていない。

 しかし、今回のライブ映像の仕様を知って納得した。この映像はアイドルを撮った映像ではない。アイドルが撮った映像だったのだ。

 ライブの最中にアイドルの視点から撮られている映像。それはあの日彼女がつけていたネコ耳に内蔵されたカメラから撮られていたものだった。なるほど、確かにネコ耳ならば彼女の視線と同じ方向を向いているし、眼と同じで二つある。左右両方のネコ耳から撮られた映像をゴーグル型ディスプレイで視聴すると3次元映像として投影されるのだ。

 この映像は確かにすごい。ライブ最中の彼女の視線が体験できる。彼女が歌詞を間違えたところがあったが、その瞬間、彼女の視線が斜め上におよいでいた。それはまるで彼女のあせりまでが伝わってくるようだった。

 だが、私にはちょっと苦しい映像でもあった。彼女が客席の方に視線を向けると、笑顔のお客さんが映っている。……いや、「私」を見つめているのだ。

 私は人前で何かをすることが昔から苦手だった。小学校の号令当番がくると思っただけで1週間も前から憂鬱な気持ちになっていたほどだ。だから、この映像は私には合わないものだった。

 お客さんさえ映っていなければ、このライブ映像は最高なのにな。

 舞台袖からステージに出ていくときの緊張感。ライブが終わりフィナーレで照明が落ちていくときの切なさ。それらは私が決して味わうことがないだろうドキドキだった。

 ネット上の感想を見ると「オレ……、映ってた。オレのこと見てくれてたんだね……」、「開幕前、舞台袖での円陣にオレも参加できて最高だったわ」と高評価なものばかりだった。私のような人前恐怖症はなかなかいないようだ。

 ある日、ニュースを見ていたら彼女のことがでていた。また面白いことをやったようだ。

 なんでも、新曲発表のためにファン向け記者会見をしたらしい。ファン向け、というのはテレビ局や雑誌向けの会見ではなく、ファンによって撮影され質問されたということらしい。

 彼女は熱狂的なファンがいるアイドルだ。報道陣向けに通り一遍の受け答えをするよりも、少数であってもファンに対して熱量のこもったやり取りを直接した方が、結果として情報が波及していくのだろう。

 彼女のファンサイトを見ると、会見に呼ばれた人たちによるレポートや、撮影された映像がアップロードされていた。レポートによると大手ファンサイトの管理人や、オタク向けニュースサイトの管理人、古参のファンなど100人ほどがその会見に参加したそうだ。

 多くのファンサイトにその時の映像がアップロードされていた。様々な視点から彼女を映している。彼女もこの100人のうち大半は知っている人らしく、会見は和やかな雰囲気のなかで行われていた。会見は新曲の歌唱で締められた。

 またきっと笑顔のお客さんに囲まれてたんだろうなあ。ライブ映像のことを思い出した。キラキラした緊張感は楽しかったけど、人に見られるのは耐えられないしなあ。

 後日、またファンサイトを見ると、あるデータファイルがアップロードされていた。それは先日の記者会見の様子を3Dデータにおこしたものらしい。複数視点で同じものを撮った映像があれば、視差を利用して3Dデータを作成できるそうだ。つまり視差の範囲内であれば、本来撮られたカメラの視点ではなくてもどんな角度からでもあの会見を楽しむことができるようになったということになる。

 会見に呼ばれた100人以外のファンも張り切りだしたようだ。「俺の考えた最強の記者会見動画」と称して様々な編集を重ねた動画をアップロードし始めた。

 私も3Dデータをダウンロードしてみる。彼女の顔をズームアップしてみるとお人形さんのようにつるつるした肌が現れた。会見に行ったファンたちはよほど高価な機材を持っていたのだろう。一般人の私はちょっと想像もしていなかったレベルの解像度だ。

 次に彼女の瞳を見てみる。彼女の右目には一部に色素の欠落があり、それがまるで半月のようだとファンから話題になっていた。半月はきれいに映り込んでいた。それどころか瞳孔や眼球の微細な動きまでが分かるレベルだ。

 まてよ。

 瞳の動きまでわかるなら、彼女の視界を再現できないだろうか。ライブ映像では無理でもこの会見場なら……。

 それは思ったよりも簡単な作業だった。あらかじめ3Dデータとして会見場が再現されていたからだろう。

 きっとこんなことをするのは私くらいだ。私の目的はそう。彼女になりきりたいのだ。この3Dデータのもととなったカメラはみんな、彼女を、撮っている。

 できあがった映像をゴーグル型ディスプレイに投影する。彼女の視界を再現したその映像には、しかしお客さんの顔は映っていない。

 それでも歌を歌っている私は視線を感じ、心地よい緊張感になる。そうだ。私にはこれくらいがちょうどいい。

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