見上げてごらん
高層商業ビルの屋上、そこには飛び降り自殺をしようとしている男がいた。
「飛び降り自殺なんてやめなさい。親御さんも悲しむぞ」
「よかった。来てくれたんですね」
「よかった、というのはどういう意味だ。飛び降りるのがこわくなったのか。だったらはやくこっちへ戻ってきなさい」
「ちがいます。そもそも僕は自殺したくてこんなところにいるわけじゃないんですよ。とはいっても邪魔をされるくらいだったら飛び降ります。こっちには近づいてこないでください」
「どういうことだ」
「目立つことがしてみたかったんです。よかった、っていうのはこんなことをして警察の方にも相手にされなかったらバカみたいですから。自分で言うのも変ですが、僕は地味な人生を送ってきましてね。一度くらいライブで歌っているアーティストみたいに、その場にいる人全員の視線を集めてみたかったんです」
「視線だったらもう十分じゃないか。下の広場にいる人たちはみんなお前を見ているぞ」
「そうです。今はあんなに多くの人たちが僕を見てくれている。でもこれじゃちょっと足りませんね。そうだな、3000人。3000人っていうのは僕の好きなアーティストがこの前のライブで動員した人数なんですが……。3000人が僕のことを見てくれたらそっちに戻りますよ」
「ここは街の真ん中だ。3000人くらいは見てくれるかもしれないが、それをどうやって数えるつもりだ?」
「おまわりさんは下の状況も見てきたんですよね。みんな何をしていましたか。カメラで僕のことを撮ってる人ばっかりだったでしょう」
「ああ、たしかに。みんながみんな、お前をカメラ越しに見ていたよ。しかしあれは悪趣味だな。飛び降り自殺を撮ろうと思うだなんて」
「僕もそう思います。でも、カメラで撮ってくれるからこそ数えられるんです。ご存知ですか。今はカメラで写真や映像を撮ると、GPS機能がはたらきます。あと、カメラが向いている方向と被写界深度も記録されるんですよ。それがどこから、どの方向、何メートル先を撮ったものなのかが分かるんです。カメラメーカーのサイトでデータも集計されてるんですよ。トレンド・ロコって知りませんか。リアルタイムで更新される、多く撮られた場所のランキングがあるんです」
「なるほどな。それでお前が撮られた枚数が3000枚になったら、こっちに戻ってくるということだな」
「いや、今回は写真じゃなくて映像ということにしてください。写真だと撮ったあとすぐにどっか行っちゃっているかもしれませんし。3000人が同時に僕を映してくれたらこんなことはやめますよ。もともとこのビルは常に何千人というお客さんが来ているビルだ。ビルの屋上から飛び降りようとしている男がいるという情報もすでに拡散され始めています。待っているだけでも、一服しているあいだに達成できるでしょう。僕は誰かを傷つけるわけじゃない。それくらい待ってくれてもいいじゃないですか」
「そうだな。よし、わかった。待ってやる。ここは風も強い。それまで落ちないように足元に気をつけろよ」
「ありがとうございます。……待っているあいだ暇ですし、このままお話を続けませんか」
「ああ。問題ないが、何か話したいことがあるのか」
「そうですね……。下の広場にテレビ局のカメラは来ていましたか」
「来ていたよ。この現場も生放送されてるだろうな。そうだ。生放送されたら3000人なんてもんじゃない。何万、何十万という人間がお前のことを見ているじゃないか」
「そうですね。でもその人数はカウントできません。その人たちは生身の僕を見ているわけじゃないですからね。アーティストだってライブビューイングのお客さんに気付くことはできませんからね。原理として。でも来てくれたのはうれしいなあ。今日の夜のニュースで僕のことが話題になるかもしれませんね」
「そのニュースが、無事に確保、と報道されていることを祈ってるよ。……どうだ。そろそろじゃないか。今何人がお前を撮っている?」
「おまわりさん機械音痴なんですか。こんなところに立っている人に聞かないでくださいよ。ええと、ちょっと待ってくださいね……。3027人が僕を撮影中みたいです。うれしいなあ」
「じゃあ、こっちに戻ってくるんだな」
「ええ。でも、もう3分だけいいですか。もう二度とこんな体験はできないですから」
「待つのはこれっきりだ。3分だけだぞ」
「ほんとうにありがとうございます。わあ、ここからでもみんながこっちを見てくれているのが分かりますよ。レンズに反射した光がキラキラしてる。きれいだなあ。」
*
3分後。耳をつんざく爆発音がした。これは下の広場からだ。
「いやあ、すごい爆発ですね。待ってくれてありがとうございました。これで満足しました」
「今の音はなんだ。お前と関係あるのか」
「ええ、僕のお友達がやったことです。みんな頭上の僕のことばっかり撮っているから、足元に爆弾を置かれても気付かなかったんでしょうね。ああ、安心してください。ちゃんとそっちに戻りますよ。これで僕は英雄だ。しかし残念ですね。下の広場にもおまわりさんみたいに、足元に気をつけろよって言ってくれる人がいればよかったのに」
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