彼女の理由
大学は夏休みに入り、唯一の友達も帰省してしまった。
だからといってやることがないわけではない。最近はまっているのは、あいつが教えてくれたスポーツ体験だ。なんといっても爽快感がたまらない。
ゴーグル型デバイスをつけ、スポーツプレイ中の選手の視線映像を投影する。これだけでスポーツをした気になれるというものだ。
とはいってもサッカーや野球を投影体験しても、僕には面白くはない。なぜかというと僕はサッカーや野球を全然うまくできないからだ。
スポーツ体験は「相手チームに囲まれた状況から上手くドリブル突破した」とか「160キロのボールを打ち返してやった」という神業映像ばかりだ。しかし実際にはドリブルすらできない僕には、神業映像を投影しても強い違和感しか残らない。自分でもこのプレーができるかもしれない思える力量がなければ、達成したという気持ちになれないのだ。
スポーツ音痴の僕に友達がおすすめしてくれたのは「落ちもの」だった。落ちものとはスカイダイビング、パラグライダー、バンジージャンプ、スキージャンプなどのものだ。地面から足が長時間離れるものをいう。これらはごくごく単純で、地面から離れたあとは着地するだけか、インストラクターがすべて世話をしてくれるものだ。だから誰が投影体験しても違和感がない。
映像効果はかなりのものだ。風切り音が耳いっぱいに広がるし、ジェットコースターが滑り落ちるような、胸のなかを風が通り抜けていくような心地よい気持ちになる。夏の海、冬の雪山。シチュエーションが変わればそれだけで、また新鮮な気持ちで楽しめる。僕はあいつに感謝しながら、むさぼるように落ちものを体験していった。
未体験の落ちもの映像を探すためにレビューサイトを見ていたら、あることを知った。非合法のものだが、飛び降り自殺の映像が売買されているらしい。
僕はこのころには時間にものをいわせ、出回っている落ちもの映像をほとんど体験しつくしていた。更なる刺激を求めていた僕が手をのばしてしまっても、しかたがなかったのだ。
その存在さえ知っていれば、すぐに映像は見つかった。値段は決して安くはなかったが、更なる刺激をと思った気持ちをおさえることはできなかった。
買ったデータをゴーグル型デバイスに送り込む。これから見るものはばれたらヤバいものだ。もちろん玄関の鍵は締まっているから誰にも見られることはない。しかし少しでも、ひとの目から離れたい。これは気持ちの問題だ。カーテンを閉め、部屋の電気を消す。さらに布団に包まれた。
深呼吸をして、息を整える。投影開始。
……画面は暗い。夜だ。街の明かりが下に見える。高さはビルの10階くらいだろうか。視界は開けている。ここは屋上だろう。不規則な呼吸音が聞こえてきた。この映像を撮影していた人のものに違いない。ときおり、うぅぅ、ぐふぅといううめき声も聞こえてくる。声が高い。飛び降りた人は女性だったのか。
これは自殺の直前の映像だ。悲痛なうめき声を聞き、彼女の自殺の理由を想像してしまう。借金だろうか。恋愛関係のもつれか、大切な人を不慮の自己で亡くしてしまったのかもしれない。
彼女はゆっくりと歩き始めた。一歩。また一歩。屋上の縁へと近づいていく。……とうとう縁にたどりついた。もう、一歩分のスペースすらない。少しでも前に進めば彼女は落ちていくだろう。
彼女はそこで立ち止まった。彼女のなかの絶望と、生きたいという意思が戦っているのだろう。その戦いは時間にしたらほんの数分のことだったが、しかし僕は長い長い時間に感じた。
そして彼女は中空に身を投げ出した。その瞬間、僕はおさえきれずにあふれ出た悲鳴を聞いた気がした。
今までに何度も落ちていく瞬間を体験してきたが、僕は初めて心地よさ以外のものを感じた。
彼女の体が着地する瞬間に聞こえたのは、何か固いものが砕けるような音。人の頭が割れるときこんな音がするのかと僕は初めて知った。
落下の衝撃でカメラも壊れたのか、映像は真っ暗になり終了した。
ゴーグル型デバイスを外す。布団に包まれたそこは、まだ真っ暗だった。その暗さに彼女が死んだ世界と僕が生きている世界は同じものなのだと改めて実感した。
それ以来、僕は投影体験をやめた。ゴーグル型デバイスをつけると、彼女の悲鳴が聞こえてくるのだ。幻聴だとわかっていても、耐えられるものではなかった。
残りの夏休みは何をする気にもならず、ただ時間だけが過ぎていった。
じきに大学の講義が始まり、僕に落ちものをお勧めした友達も帰ってきた。
「おっす。落ちものは十分満喫できたか」
「おすすめありがとうね。いろいろ楽しんだよ。でも、何十個も体験してるうちに刺激も減ってきた気がして、裏モノに手を出しちゃったんだ」
「裏モノって……。飛び降りとか、突き落としとかか」
「うん。飛び降り。でも体験するんじゃなかったよ。落ちる直前、女の人がうめき声をあげててさ。どうして私が死ななきゃいけないのって言ってるみたいで。その人に会ったこともないのに自分が呪われた気分。頭が痛いよ」
「俺も一度だけ見たことあってさ。その時はいやな気分になったよ。でも……」
「でも?」
「知らなきゃよかったことを知ってな。いや、知れてよかったことなのかな」
「どういうこと。自殺の理由とかそういうこと? それは僕も色々と想像しちゃったよ」
「一言でいうとな、詐欺だったんだ」
「詐欺にあって、借金だけが残ったってことか」
「いいや、違う。買った映像が詐欺だったんだ」
「どういうこと?」
「ネットに出回ってる飛び降りの映像はほとんど詐欺なんだよ。ビルのすれすれまでカメラを持って歩いていく。その間、もちろん演技も忘れずうめいたり嗚咽を漏らしたりする。でも飛び降りをするのはカメラだけなんだ。カメラだけを地面に落とす。どうせカメラは落下の衝撃で壊れちまうから死体を映す必要もない。それで完成ってわけだ。お前の映像もきっとそうだと思うぜ。どうだい。呪いはとけたんじゃないか」
「ちょっと待ってよ……。たしかに呪いはとけたけど、頭は痛いままだよ。お金をだまし取られてたなんて」
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