長く親しむということ―老害に至る病―

昨年から続く外出自粛のおかげで、私も例に漏れず外的な刺激の乏しい穏やかな生活を送っている。
にもかかわらず、何かを書き留めようという試みを始めたのだから、何かお話の「種」が必要になる。

noteにもハッシュタグというものがあるらしい。早速眺めてみたところ、ある二つの特徴に気付いた。
一点目は、やたらとギャンブルや投資に関するハッシュタグが多かったことである。これは私が見た時間帯が悪かったのかもしれない。ギャンブルになじみのない私でも万馬券というのは聞いたことがあるが、競艇だと万券のことを万舟券、競輪だと万車券と呼ぶのを初めて知った。
二点目は、類似の内容のハッシュタグが多かったことである。
確かにハッシュタグをつけると読んでもらいやすいのかもしれないが、類似のハッシュタグの行列は果たして何の意味があるのだろうか。

ハッシュタグは自分の情報収集にも多用するのでそれ自身に違和感があるわけではない。しかし、以前にinstagramやFBで長文のハッシュタグをつけるのが流行した際に、先ほどと同じような違和感を覚えた。おそらく多くの人の目に留まるため、そしてインパクトを強くするための試みなのだろうけど、いったいそれは誰に向かって発信したいのだろうか。

唐突に以前流行したブログサイトを思い出した。そういえば、アレにもランキングサービスなどが、ブログ主による閲覧者に対するアピールをサポートしていた、気がする。
あの頃はとても過ごしやすかった。個人を匿名の集団で非難するようなことは少なかった。かまって欲しさに過激なことをする人も少なかった。なによりネチケットが浸透していた。そう思った瞬間に自分がインターネット老害に片足どころか腰あたりまで漬かっていることに気づいてぞっとした。

冷静になって思えば別に当時だってろくなものではなかった。ネチケット啓発サイトはあれど徹底されていなかったのである。確かに現在のSNSでの取り扱いに比べてかなり厳しかったジャンルも存在する。そして、成人向けの二次創作などに対するアクセスはワンクッション必要であった。ガバガバだったけど、正直現在の作品公開サイトなどに比べたらまだ守る気があった気がする。(ソースコードを少し勉強するきっかけにもなったし)
ただ、一方で個人情報に対する扱いなどは現在とは違うベクトルでガバガバであった。学校裏掲示板が問題視された時期も知っている。実際に友人が被害にあったこともある。PCがおじゃんになる系のブラクラをうっかり踏む確率は今よりも当時の方が高かった気がする。今は精々エログロ系の精神ブラクラ程度だろう。ついでに本人たちは否定するだろうが、もやし買い占め事件なんかは、内輪でのバカ騒ぎによって周りに迷惑を掛けるという意味で一昔前のバカッターと根本は一緒な気がする。でもゴミ拾いは評価してもいいと思うよ。あと著作権や肖像権に関しては昔はとてつもなくガバガバだった。ジャスラックさんも真っ青くらい。いや昔も小学館から怒られてた人もいた。私はドラえもん最終回はしばらく公式だと勘違いしていた。

別にインターネット老人会に入ることは嫌ではない。
でも老害になるのは嫌だなと思う。
昔を懐かしむことと、昔の方がよかった今は悪くなったと考えるのは全く違うのである。言い換えれば、長く居続けていろんなことを知っていることと、そのただ古いことを知っていることだけを誇りにし、ほかの人に対して頭ごなしに説教するのとは違うのである。

新たな刺激を恐れ、古い時代に固執し、そして古い時代の価値を大声を上げて振りかざすのが老害なのである。

そんなわけでインターネットおばあちゃんは新たな刺激を恐れず、不慣れなnoteになじむべくまず書いてみてハッシュタグを使ってみるのである。

ところで( ´∀`)←こいつ としぃちゃんは 今どこにいますか?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?