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アンチコメントに対して 1
2525漫画に投稿していた作品に対して、一度このようなコメントをいただいたことがあります。
粘着アンチにも動じない姿勢…というコメントです
確かにずっと「更新やめろ」「気持ち悪い」といったコメントが毎回続いていましたが、動じていなかったかというとそんなことはありません。人間だもの。
ただ、脳の処理機能を騙し、自分にとって都合よく処理しているなのです。
どうしたのかというと。その前にちょっとコチラの画像を見てください。
これが現実の出来事だとしてください。どこを注視しますか? 木の本数を数えていたら生き残れません。当然外敵である獣を見るはずですね。血圧、脈拍、呼吸数は上昇し興奮状態となり、逃げるか(武器があるなら)戦うかを即座に決めねばなりません。
西洋の格言だと思うのですが、「ライオンはライオンという名前が付けられてただの獣になった」みたいなものがあります。あったような気がします。なぜか気に入っているのでくわしく調べてはいないのですが、おそらくこういうことです。
かつて人類はバラバラに暮らしていて、外敵にたびたび襲われていた。やがて大きな群れを作り、言葉を発明した。言葉は名前になる。右の睾丸を賭けてもいいですが、人類が早い段階で名前をつけていたのは敵でしょう。
ライオン、狼、熊、吸血蝙蝠などなどです。毒にも薬にもならない雑草や優雅な雲の形にだけ名前を与えていたような部族がいたとしたら滅びるか滅亡の危機に瀕したことでしょう。
なぜ敵に名前を与えるのか。それは対処がしやすくなるからです。名前を与えるということは外敵の解像度をあげることです。西の草原にライオンがいるから近寄るな、熊が来たら火に近寄れ、狼が来たらボス格をやっつけろ。こう共通の認識をもった部族と、「なんとなく敵がいそうだけど餌を探しにいこーっと」という部族、どちらが生き残る確率が高いかは考えるまでもありません。
外敵の脅威を失って初めて人は草木にまで名前を与える余裕ができたものと思います。
もう一度熊の画像を思い出して欲しいのですが、これが現実ではなくただの画像と思えば今度は余裕があるので、木が何本あって地面には落ち葉がある、などなど全体像が見えてきますね。
創作物に対する反応が森とすると、気持ち悪い、更新やめろなどの否定的なコメントは熊になります。
この瞬間、作者はこれに「アンチコメント」と名前を与え、血圧脈拍が上昇したちまち戦闘モードに入ってしまいます。解像度が高いのは熊だけです。
言うなればこんな状態。
たいへんだ。もうアンチしか目に入りません。本当は中立的なコメント、応援のコメントだっていっぱいあったのに、敵しか見えない。なぜそうなるのか?
だって人類はそうやって生き延びて来たからなんです。これはもう仕方ない。
本来なら外敵のない安寧の世界に我々はいます。それでも人間は索敵行動をずっと常に続けているのです。そして見つけた敵の姿。そして名前を与え、フォーカスする。
そして創作者であるあなたは、この敵を撃退するか、逃げ切らねばならないとパニックに陥るのです。逃げ切るために作品を削除してしまうのです。
こういう事例を何度も見て来ました。悲しいことですね。
では私はどう対処したのか。前おきが長くなりましたが、なんてことはない。前置きしかないんです。答えは簡単。アンチにアンチという名前を与えない事です。
苛烈なコメントだろうとなんだろうと、もらった一つのご意見、コメントと認識し、書かれた文字通りに読んでそれだけ。アンチだのなんだのと分類をしないだけです。
これだけでグッと敵の解像度が下がる。抽象度があがり、中立的なコメントがちゃんと目に入るようになる。
名前を与えないだけでそんなことになるのか? と思うでしょうが、人間は常に他者をラベリングしています。さいきんでは陰キャ陽キャという言葉が生まれましたが、私は絶対に使っていません。こういう言葉は人を規定するからです。キャラなんて本来は状況によるものです。どんな陽キャでも両親の葬式ではしゃいでいたらただの大馬鹿者ですよね。人は時と場合によって変化するものです。
血液型占いなんてものがありますが、A型だからこんな性格、こんな性格だからやっぱりB型、なんて規定している人をいくらでも見て来ました。その挙句、占いに当てはまらないと「隠れ血液型」なんてものまで出してくる。
なぜそこまでラベルを貼りたいのか、それは結局人は他人が敵か味方かただの背景かを急いで知りたいからなのです。人の脳は永遠に索敵中ということなのです。
だからラベルを剥がす。アンチをアンチと呼ばず、敵と思わずただ背景に溶かす。敵はいない。索敵終了。
私に考られるアンチに動じない予防方法はこれだけです。←結局アンチって言っちゃった。
風邪引いてるので書くの疲れた。余力があったら後半も書く。なんか気が乗らないから書かないかもね。ではまた。
サポ