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小舟の蜃気楼

2020年2月 メモ帳の殴書抜粋


その人と初めて絡んだのは10年前、ニコ生で配信中に凸してきて絡み始めた。

私は10代から成人になりたてで、好奇心や興味で活発的に活動始めた頃いろいろ付き合ってくれた。

その後も忘れたころに、ふと思い出した時に絡んだ。ニコ生。Skype。Twitter。LINE。

2020年1月に家に泊まりに来た。

たった5日間、それが最初で最後となった。



その人はうどんとお酒が好きだった。
笑顔は素敵。

わがままで、顔はちょっとぷっくらしてて、お胸がIカップにしては わりとすっとした体系。

深い赤色が好きで車や服は赤色だった。

ドライブが好きで親友とよくあちこち行ったことを聞かされた。
両親は別居していて普段は母親とおじいちゃんの家。
それでも時々、パパの家に遊びに行っていた。


ここ8年くらい、ほとんど向こうから忘れたころに連絡が来ていた。
ボイチェンを使っているような高い声。

成人してからは、彼女が仕事行く前や終わった後に突然LINEで連絡してきたときがしばしばあった。
最近の出来事や愚痴を言いあったり、通話したままお互いに寝るこもとも何度もあった。

電話越しにチューしたり、好きと言い合うときもあった。


正直好きとか恋とか真剣な感情はなく、雰囲気を楽しむ程度で話していた。
これだけ長く絡んでいても会うことはなかった。
ネットで知り合った人に会ったことも数回あるし、相手の顔は知っている。
だけど離れた場所に住んでいることを言い訳にしたり、お互い彼氏彼女がいたりいなかったりで、そこまで本気にはなれなかった。


2020年の1月に入り急に会おうと言ってきた。
突発的な思い付きの提案だったのかもしれない。

それが冗談だと思ったけど乗る気で応えてみせて、
なんだか約束をした。

当日は東京駅の新幹線改札口で待ち合わせをした。
赤いコートですぐにわかった。

彼女も慣れない電車や新幹線でよく無事に着いてくれたとほっとした。
それより自分が東京駅でちょっと迷子になった。

それからは、まぁ、付き合いたての二人のような時間を過ごした。
手を繋いだり、足を重ねたり。服を掴んだり。
人混みの多い場所は行きたくないようなので、ちょっとした外出をして、あとは殆ど家で過ごした。


歌舞伎町にある大きめの下着が売ってるお店に連れていきプレゼント。

地元にはそういう店なくて困るらしい。胸が大きいのも大変だなー。

ケイト・スペードのブランドが好きで、鞄をプレゼント。

樽一に連れていき鯨の刺身たべさせた。


あとは、居酒屋に行ったり、カラオケで歌ったり、家で動画みたり。
FC2ライブで「笑ってはいけない24時」が永遠と放送してたので、ずっと観て笑ってた。
イニシャルDもハマって観てた。お酒飲んで食べながら。
私以上に缶を消費していた。エッフェル塔を完成させた。

朝ごはんは卵かけご飯やなめ茸に銀座で買った柚子胡椒をちょっと乗せたやつを作ってあげたら

おいしい!と言ってたべてくれた。

彼女はタバコは吸わないけれども、私が好きで吸っていたPEACEのinfinityが好きと言ってくれた。
ふざけて煙を吹きかけたら教えてくれた。
煙を相手に向けて吐くとH了承の合図らしい。知らなかった。
味見したいというから渡してあげたら、こっちに吹き返してきた。
でもなんとなくまだ早い気がして、とりあえず煙に巻いた。

だけど結局はやることはやった。

最初はキスが嫌いと頑なだったが、それも和らいだ。
乳首はとても感じる方でいじりがいがあった。
驚くほど締りがよかった。抱き心地は十二分に堪能できた。
元々甲高い声がより高く聞こえた。
マッサージも上手。


1つ嫌なことを聞いてしまった。
初めての体験は学生のころ強引にされたもので、最悪の体験をしてしまったようだ。
それ以上の話はしなかった。

そんなかんやで、のんびり過ごした。
本当は4日目に帰るはずだったけど、帰りにくくさせて1日伸ばした。

最終日は東京駅まで送り届け、イベント店でグッズをプレゼントして、
ポケモンのぬいぐるみが沢山おいてある店では、
彼女はヤドン、私はチコリータを買い合った。
ラーメンたべて、新幹線の時間まで一緒にいた。

だけどその時はあまり話すこともなかった。
もうすぐお別れと思うと、何を話していいのかわからなくなった。
あまりにダンマリしてたから彼女に怒られた。

人が多いところでするのはドキドキして気が引いたけど、軽くキスして改札をくぐっていった。

新幹線であっても、とても遠い場所へ帰ってしまう寂しさ。
たった5日間という物足りなさ。
隣で賑やかに、且つ少し我が儘であったものが去ってしまう物静けさ。
それらとは別に、どこかぼんやりと、もう会えないかもしれないと不安な気持ちになって、
帰りの電車ではポロポロ泣いた。マスク持っていてよかった。

そのあとは、これまで通り連絡しあった。でも前よりも少し頻繁にはなった。











彼女の悩みがいよいよのところまできて、自殺願望を持つようになっていた。

私は肯定と拒否のどちらもした。

否定は恐らく誰にでもできる。だけどその反抗で無闇にやる可能性も伸びる。

適度な肯定で何か道が開けると考えていた。
私がそうだったから。

死ぬ気になれば何か変えられたり、始められることもあるかもしれない。

練炭は彼女が用意し、睡眠薬はこちらで手配してあげた。
物が揃うと、最初は少し落ち着いた感じをみせてくれた。

だけども、あまりの堂々巡り続きで苛々してしまい
少し強く言い過ぎたかもしれない。
難しいことを言ったのかもしれない。
私が関わりを断つようなことも言ってしまった。


当日、アパートのお風呂場で、ドア周りと換気扇にガムテープを貼り
密室状態にした写真が送られてきた。

花火みたいな匂いでそんなにわるくない。

でもサウナのようにあつい。

ゴーグルとおむつ、つけておけばよかった。

火をつけてから何か飲んだり食べたりする暇はないみたい。
まだ眠くならない。もっと薬のんでおけばよかった。

死ぬのが怖い。


そんな実況中継のようにLINEで連絡を受けていた。
それでも彼女が本気だとは未だ思えず、真剣に止めることをしなかった。
ここが本当に後悔することだ。

ちょうど仕事中で、返事をするのも遅くなった。
そばにいてあげるよとか、冗談の返事を送っていた。

今見返してもその時の自分に腹が立つ。

しっかり否定してあげればと強く悔やむ。

その状況が一時間くらいして彼女からの返事が途絶えた。


翌日も連絡はこなかった。既読もない。
恐らく発見されて病院に担ぎ込まれたのかもしれない。
スマホをいじれる状況ではないのかもしれない。
そのうちケロッと連絡がくるかもしれない。
そうも思っていたが、同時に最悪のことも予感していた。
もちろん生きていることを望んだ。






2日後の夜ににLINEが入り、彼女が亡くなったことを知った。
送信者は親友の方だった。
ドッキリも疑ったが、本当のことだった。


葬儀に出席するか悩みに悩んだ。
予め式の場所と日時はLINEで送られていたから、行こうと思えば行ける。
奮い立たせて、前夜に深夜バスで向かった。

殆ど眠れず、ずっと泣いた。

もしかしたら、式場に誰もいなくて、
彼女の家に行ったらドッキリでしたとオチが待っていることも期待した。

何時間かかったかわすれたけど、7時間かそれ以上かバスに乗っていた。

着いた場所は殺風景のバス停で、大した待合室もなく、早朝で寒かった。
雨は降っていなかったけど、空が灰色だった。

キャリーケースに喪服は入れてきたけど黒靴を忘れていたから、付近のホームセンターに向かった。
まだ開店前で少し待ってたら店員さんが来て、早めに入れてもらって靴を買った。
ついでにトイレで着替えた。

爺:こんな朝早くにどっからきたんだー
うち:TOKYOからですよー
爺:なにしにきたんだー
うち:これから葬式なんですよー
なんて話したら、流れで爺さんの人生観を少々聞かされた。

式場に到着したら、ご両親以外に誰もおらず1番のりだった。
簡単に関係を説明したら迎え入れてくれた。

彼女の遺体はとてもきれいだった。
肌色もよく、こんなにも綺麗に死ねるのかと感心した。
少し触れたが、頬と手は柔らかかった。
もし寝てるふりならば、こちょこちょしてやろうかと思うほど。
だけどさすがに胸を触る気にはなれなかった。

ご両親は力を落としている様子だった。

亡くなったことについては、

なんでこんなことに、勇気だしたんだろうね。

恐らく本気で死ぬつもりはなかったのかもしれない、

止めてほしかったんだろうね と言っていた。

聞くと、遺体現場の状態に“出たい”と思わせる姿があったのかもしれない。

死因については急性心筋梗塞と関係者や友人には伝え、事実を伏せていた。

ご両親と少し話した。
実家でもお嬢様のような扱いだったようだ。
一人っ子だし、甘やかされて育ったんだろうなと思う。
会話では余計なことは言わなかった。
でも心の中で「目の前にいるのは、あんたらの娘を殺した人よ。」とつぶやいた。
だが周りはそんなことを知らない。
それよりも彼女を悩み苦しませた、恐らく数名が知る他のものに対して様々な感情が湧き上がった状態なのだろう。なににせよ、矛先は私ではない。

自分は答えを急がせたのかもしれない。時間が経てば違う結末になっていたのだろうか。それはもうわからない。

式中は泣かないように我慢した。、のだろうか。

何に対してどう思えばいいのか戸惑っていた。

もう会えないから悲しいのか

多少親しい人が死ぬからか悲しいのか

もっと親しくなれる可能性がある未来を潰したからか悲しいのか

堂々巡りの悩みで進歩も割り切ることも出来ず、
ただ時間と心身を浪費した彼女の結果を見て哀しむのか

勇気を持って解放されたことに喜ぶのか

人の死に携わり悔み哀しむのか

滅多に経験できない事柄に遭遇して愉しむのか


親友の女性にも会えた。
時折よく会話に出ていた人なので人物像はわかっていた。
傍から見ても羨ましいご親友に思いましたと最後に伝えた。

意外だったのが、あの日うちに泊まりに来たことは誰も知らなかったこと。


葬儀が終わり、お花を手向けた。
周りの人からは、”誰あの人”という視線が痛かった。

火葬にはついていかず挨拶して式場を去った。
骨になった姿なんて彼女からすれば見られたくないだろうし、見たくもなかった。

タクシーで駅に向かい、電車の時間まで暇していた。
初めて来る土地とはいえ、どこか見覚えのある田舎の風景を眺めてぼんやりした。空はまだ曇っていた。寒かった。

そういえば半日程、まともに食事していないことに気付いた。
以前、一緒にうどんを食べに行こうと言われたことを思い出して、
駅中の立ち食いそば屋に入り、何かのうどんを注文した。
大して美味しくなかったけど、食べ終わるのに時間がかかった気がする。

帰りの新幹線と電車でまた泣いた。マスク持ってきてよかった。
東京に近づくと人も増え、顔を上げて歩くのが辛かった。





もし、お互い相手がいないときにもう少し早く積極的に寄り添うことがでたのならば、

こんなことにならなかったのかもしれない。わからないけど。

正直まだこの事実は受け入れられない。

夢じゃないのか、夢であってほしい、夢でもいいと願う。


最後にした通話で、私のこと好き?と聞かれたので、

すき焼きくらい好きと答えたら拗ねられたので、

鰻と同じくらい好きと言ったらよくわからなそうな感じだったので、

ただ「好き」とと言ったら(* ̄▽ ̄)フフフッ♪と言いやがった。


そんな女の子との物語

おわり
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その後の話

この人が夢に出たことは一度もない。
👻オバケになって出てくるとかもない。虚しいくらい。
残ったのは、いくつかの写真と動画、チコリータのぬいぐるみと少ない思い出だけ。



過去、付き合った女性の“親”は、いわいる世間が求める普通と少し異なる。
見放された人、裏切られた人、別居している人、片親の人、汚された人、離婚している人、離れられない人。

付き合う彼女はこういう家庭が多い。少ない友人もそんな感じ。
だからなんだというのだが、不思議な巡り合わせと昔から思っていた。
偶には例外もいた。

私の両親はこれらに該当しないが、だからといって内心は円満ではない。

周りの環境によって人が変わるのも見てきたし、自分自身もそうだと思う。

性善説は信じない。

唯々、好きになった人全員、どんな結末になろうとも、愛らしく愛おしい。

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