映画「モッシュピット」

自分たちがシーンだと信じているものは至極局地的なもので、ある程度クローズドな作品になってしまうのは予想できた。それでも2015年は新品のサンダルを2足潰すほど踊り狂ったし、イベントに出演してもらったことを誇りに思っているのも確かなので、ぼんやり悩んだ挙句、最終日に滑り込んだ。

新宿LOFTの副店長を務める望月さんのレーベル・オモチレコードに所属するHave a Nice Day!、NATURE DANGER GANGという2組のバンド、そしてアイドルのおやすみホログラム。ストーリーは主要人物であるこの3組のドキュメンタリーと、彼らのライブに熱心に通いつめるファンへのインタビュー、そして数え切れないほど撮影されたステージ映像の中からピックアップされた幾つかのパフォーマンスのシーンで構成されている。主軸となるのは、2015年11月に恵比寿リキッドルームで開催された、クラウドファンディングを利用したハバナイの完全無料リリースパーティーの当日の模様、そこに至るまでの経緯である。

今作は望月さん、実質的な主人公であるハバナイの浅見北斗、ジューク/フットワークで活躍するDJ APRILがドミューンに出演した際の映像から始まる。「自分たちはこんなに面白いことをずっと続けているのに、自分たちよりつまんないことをやっているミュージシャンがずっと大きなハコでやっているのが腹立たしい」と怒気を抑えた声調で告白する望月さんに同意するAPRIL、「リキッドという規模のハコでやったら何かが変わるんじゃないか」「音源のリリースとパーティーが地続きになっている形態をとりたかった」と語る浅見さん。おそらくはこの3人の義憤に感情移入できるかどうかで離脱してしまう観客もいるだろう。2組が身を投じるクラブミュージックシーンに限らず、音楽に限らず、与り知らぬうちにマイノリティとされてしまった人間はすっと入り込めるかもしれない。

しかし、肝心の本編が何も知らない初見の観客にはやさしくない構成になっている。時間軸の前後する展開、合間合間に挟まれる3組の裏事情、遮るように挟まれるファンの独白と背景。その一方で「浅見が掲げる東京アンダーグラウンドとは何か」「そもそもなぜこの3組が出会ったのか」といった根本的な情報が欠落している。説明過多と説明不足が混在するスクリプトのいびつさが、不親切さという影を落としている点は否めない。

ジューク/フットワークを基軸に置きながらも、端から見れば暴動とも狂騒ともつかないほど観客とステージの入り乱れたパフォーマンスを汗だくでこなすネイチャーとハバナイは、お互いを「血を分けた兄弟のような存在」と話す。後にハバナイとのコラボ曲「エメラルド」を発表したおやホロも、やはり収集のつかないほどパンクなステージングが特徴のひとつで、それはカットインするライブ映像で察することができる。取り付く島もないくらいの下品さが演劇性の範疇に収束されるネイチャー、おやホロがアイドルと呼ばれる所以を律儀に保つ八月ちゃんといつ暴発するか予想できないかなみるの相反したキャラクターは伝わるだろう。
個人的に惜しいと思ったのは、ハバナイのシンボルである内藤さんの不在という不安を抱えた浅見さんがギリギリの心理状態で死守した虚勢が、逃れようのない舞台上で揉まれ続けることで本物になってしまう過程、そのカタルシスが映されなかったことだった。自分も本人とそこまで付き合いがあるわけではないが、白目をむいて、肘先を後ろに回して腰を支え、挑発的で調子っぱずれなほどに熱苦しいアジテートを吐き捨てる目にすると、どれほどナイーブな人間かそこはかとなくイメージできた。バディのいない、他のメンバー2人を牽引しなくてはならない、自分を鼓舞できるのは自分だけだという葛藤と孤独感をどうにか音楽として昇華しようともがいているようだった。

メンバーやファンが自宅や副業の職場、移動中の車や電車で本音を吐露する場面は、ハマジムの「キャノンボール」シリーズのオマージュのようにもとれた。ネイチャーのマネージャーを担当するみぽりんさんが、ハバナイのリリースパーティーに対バン相手として参加する意味について、涙ながらにメンバーを叱咤する姿は驚愕したし、新鮮でもあった。ただ、メグさんが脱退する理由や諍いを収めてしまうと、軸がぶれてしまう気がした。
ファンについてもしかりで、一人ひとりの「なぜ彼らを追うか」という本心は明かされても、当日の終演後までは回収しきれていないところもあった。一部アイドルファン特有の「先飲み」と呼ばれるライブ開演前の飲み会の様子を上映するのも、少し過剰に感じられた。これが例えば、「モッシュピットとは、一人ひとりドラマを孕んだ人間という細胞で形作られた有機質の集合体である」というようなテーマの暗喩であるならば腑に落ちたのだが、岩淵監督のトークを聞く限りではそういうわけでもないようだ。

迎えた11月18日の夜。雨の降る肌寒いリキッドに、925人の客が押し寄せた。クラウドファンディングの出資者は完全フリー、そうでなくてもドリンク代のみでOKという条件下だが、普段3組が活動している規模のライブハウスを考慮すれば、奇跡と言っていい出来事だった。
DJ APRIL、まさかの飛び入り参加のTRAXMANのDJプレイの後、眩い照明を浴びる野村さんの背中を切り裂く「カフカ」で先行ネイチャーのステージが始まる。バキバキのベースミュージック、メグさんとユキちゃんさんの魅惑的なヒップライン、我関せずとばかりに進められるスーファミ、海物語のコスプレ、全裸、レーザービーム、連獅子。書き起こすのも思い出すのもバカバカしくなるほどのナンセンスな一挙手一投足は、それぞれのキャラクターを把握した上でのクレバーさが可能とするもので、いつも通り爽快だったし、いつも以上にカロリーを消費した。

そして後攻のハバナイ。「金返せー!」という全く無意味な野次を浴びながら、笑顔で「本日はご来場いただき、誠にありがとうございます」と頭を下げる浅見さんの挨拶から始まり、何十回と聴いた「ゾンビ・パーティ」で沸点を越えたファンが(クラスタという呼称があったような気もする)が頭上を飛び交う。誰のものともわからない不快な汗、体臭、意図しない打撃でボロボロになると、ようやく自分の輪郭がわかる。

ライブシーンが1曲丸ごと選出されているのは、おやホロとのコラボで披露した「エメラルド」のみで、他の曲は唐突に挿入されるドキュメンタリーでぶつ切りになってしまう。逆に言えば、「エメラルド」が最大のクライマックスかもしれない。ミラーボールの根元に設置された天井のカメラが記録した、蠢めく笑顔と半裸の観客の群れはなんともグロテスクで、「パフューム」のラストを想起させた。肉体は美しくて、人体の湿度は気持ち悪くて、浅見さんはワタミの社長にそっくりで歌もそんなに上手くないけど、チープなシンセが放射するメロディはどれも心憎いほどに感傷的だなあ。自分の胸に手の甲を当ててフロアを睨みつけるポーズも笑っちゃうけどかっこいいなあ。
もう半年経った。あの夜から半年も。「あの日を境にいなくなってしまった人」のなかに自分もきっと含まれていて、そうなったことに特別な理由はないけれど、一歩引いてみたところから見る景色はそんなに悪くないと、逡巡している最中に映画は終わった。隣り合って笑みを浮かべる内藤さんと浅見さん、無人の楽屋で残り物のお寿司を頬張るチャッカさんがキュートだった。

終演後のトークショーで岩淵監督は、ハバナイ、ネイチャー、おやホロの3組の関係がおそらく2015年で終わってしまうと思ったから記録しておきたかったと語った。そういう意味では成功なのかもしれない。これは当人と関係者とコアなファンのための回顧録で備忘録で、追体験するためのフィルムだと。
ポピュラリティやエンターテイメント性を優先するのであれば、ハバナイ1組にフォーカスを当てるのでも、11月18日の1日のみを照射するのでもよかったし、「そもそもジューク/フットワークとは」という略歴からスタートして「日本のインディーズシーンにおける、クラブミュージックのひとつのあり方」といった観点から切り取ってもよかったと思う。あるいはいっそ、ライブフィルムとしてあの日のステージをパッケージングしてしまうやり方もあっただろう。
それでも「彼らの隣から見た光景を、時間の許す限り全部収める」方法を選んだ岩淵監督の心境が、少しだけ理解できて、少しだけ残念で、そしてなんとなくでもあの瞬間の切れっぱしを知っている自分には、年甲斐もなく暴れまわった2年近くのわずかな思い出が結晶しているようにおもえて、少しだけ嬉しかった。

ささやかな抵抗はハマジムチームを巻き込むほど波及したのに、いつも思い出すのは自分が絡んだ去年の8月の企画のことばかりだ。ズブの素人の自分に代わって場をつないでくれたネイチャーさんと、「いつもありがとうございます」と笑ってくれたさわさんと、誰が主催者かも把握できないほど泥酔したチャンシマさんと、「町田さんは(仕事以外でライブのこととか)書かないんですか?」とうつむきながら笑ってくれた浅見さんと。真夏なのに冷たさの残る浅見さんの右手と、ざんざん降り注ぐ日差しの下で透明で生暖かいゲロを吐くメグさんの端正な横顔が、どうしても忘れられない。

なんの後ろ盾もない自分に付き合ってくれて、本当にありがとう。あの夏は楽しかったね、本当に楽しかったんだよ。

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