ドイツにおけるワクチン接種一般義務化の議論
ドイツでは4月7日、連邦議会においてワクチン接種の一般義務化法案が否決され、ワクチン接種の義務化は当面行われないことになりました。非常に興味深い経過を辿ったため、自身の勉強のためにもドイツの立法プロセスと併せて経過を整理しました。
様々な現実的な政治の調整の結果ではありつつも、結果的に国会における法案提出権の多様性の意味、また三権分立を制度として機能させることの意味、ひいては国会の存在意義を非常に考えさせられる運用だと感じます。と同時に、結果的に対案を含めた全ての案や動議が過半数を取れず否決されたことで、ドイツ政府としては今後のコロナ対策について、少なくともワクチン接種に関しては合意には至れなかった、ということでもあり、連立政権が国を率いていくことの現実を目の当たりにすることになりました。
1.これまでの経緯
ドイツのワクチン接種率は欧州他国に比べて低い数値で推移しています。
このため、ドイツのワクチン接種は任意ですが、連邦政府は接種キャンペーンを展開すると共に、ワクチン未接種者のみを対象とした行動制限を導入する等、実質的にワクチン接種を促してきました。また、先行して医療従事者等を対象としたワクチン接種義務化が可決されています。パンデミックの収束が見通せないことから、義務化対象を広く一般に広げるかどうかという議論が2021年秋冬頃から生じていました。
2.ドイツの立法過程
具体的な法案の中身に入る前に、ドイツの基本的な立法過程を確認します。
ドイツ連邦共和国の議会は、直接選挙で選出された議員で構成される連邦議会(Bundestag)と各州の代表で構成される連邦参議院(Bundesrat)の二つの院から成り立っています。法律案は、非常に大まかに言えば連邦議会での審議(3読会制)、連邦参議院での審議を経て、最終的に可決された法案が大統領によって交付されます。
ドイツ連邦議会による解説動画もドイツ語ですが法案が成立するまでの経過が非常にわかりやすいです。
3.今回の特徴
この立法過程に関し、今回は2つ特徴があります。1つは議員立法であること、そしてもう1つは投票時の党議拘束を外したことです。
(1)議員立法
まずは議員立法について。法律案を提出できる主体は決まっています。ドイツの場合は①連邦政府、②連邦議会議員(会派又は議員数の5%以上)、そして③連邦参議院が提出することができます。
通常はドイツでも①連邦政府が提出するのが一般的です。基本的に政府が何か政策を推進するにあたり、骨格となる法律を起草し、これを議会で審議することが多いからです。しかし今回は②議員(会派又は議員数の5%以上)による提出で進められています。
当初は①で進むのかと思われており、実際2022年1月10日付tagesschauではCDUを含む野党が、政府は早急に草案を出すべきだ、と連立与党の対応の遅さを非難していることが報じられていました。日本の報道でも調整が難航していたことは報じられています。
しかしショルツ首相は政府として素案を提出しないことを決定。代わりに②議員提出とすることを表明しました。ショルツのこの決断は、政府としての責任を放棄するものだ、という批判もありました。現実的には連立与党内の調整が難航した結果の苦肉の策ではありますが、ショルツはあえて「倫理に深く関わる問題は議員立法が望ましい」とすることで、立法責任を議会の方に任せ、追及を振り切ったのでした。
(2)党議拘束を外した投票
可決されるには過半数の賛成を得なければなりませんから、通常の立法過程では個人の意見は別として会派と呼ばれる単位で態度を決め、採決に挑みます。これを党議拘束と呼びます。しかし今回はこの党議拘束を外し、議員個人単位での投票に完全にゆだねることを早くから表明。
この点については、ドイツでは中絶など生命倫理や個人の信条に深く関わる法案については党議拘束を外すことは比較的一般的であるとのこと。ワクチン接種の義務化は個人の自由の権利、特に個人の身体に関する基本的権利に深く関わることから、これについてはさほど抵抗なく受け入れられたように思われます。
上記2点が決まった状態で、1月26日(水)にOrientierungsdebatteと呼ばれる討論会が開催され、大まかな案の方向性や各議員の意見表明が行われました。
4.第1読会(3/17開催:当初提出法案の審議)
3月17日(木)に第1読会が開催され、5つの草案が審議にかけられました。
5つの草案の内訳は超党派による提出が3つ(法案2案(20/899、20/954)及び動議1案(20/680))、及び連合(CDU/CSU)による動議(20/978)、AfDによる動議(20/516)。審議の結果、すべての法案をさらなる審議のために保健委員会に付託。ちなみに動議(Antrag)の位置付けについて、私はドイツの立法過程の専門家ではないので日本と同じか断言できないのですが、日本の動議と同様であれば、「法律案・決議案など議案の発議以外の形式で予定以外の事項につき議題を提案すること」(日本大百科全書)、とされています。
下記に連邦議会HPで公表されている各素案の提出者と素案の概要をまとめます。
(1)超党派による法案20/899:18歳以上一般接種義務化
内容:
ワクチン接種キャンペーンを拡大し、健康保険事業者がすべての成人に個別に連絡を取り、カウンセリングとワクチン接種の選択肢について情報を提供する。
このカウンセリングの実施を条件に、18歳以上の人には一般接種義務を導入。具体的には、2022年10月1日より、18歳に達し6ヶ月以上ドイツに滞在する者はすべて、ワクチン接種済または快癒の証明を持つことを義務付ける。18歳未満、永久または一時的にワクチン接種を受けることができない者、および妊娠3ヶ月以内の妊婦は免除される。
この規制は四半期ごとに評価され、2023年末までの期間限定とする。
(2)超党派による法案20/954:カウンセリングの義務化及び50歳以上一般接種義務化
内容:
多段階のアプローチに基づくものであり、カウンセリングを義務化し、その後に50歳からのワクチン接種を義務化する。
第一段階として、すべての成人に、カウンセリングとワクチン接種の選択肢について、健康保険事業者から連絡を取り、情報を提供する。2022年9月15日までに、18歳以上のすべての人は、ワクチン接種または快癒証明書、または予防接種に関する医師の助言を受けた証明書のいずれかを所持する必要がある。18歳未満の者、永久的または一時的に予防接種を受けることができない者、および妊娠3ヶ月間以内の妊婦は義務的なカウンセリングを免除される。
第二段階として、2022年の秋から冬にかけて再び感染の波が予想される前に、50歳以上の市民への強制接種を余裕をもって導入するための前提条件を整備する。50歳に達した人については、2022年9月15日から、予防接種または療養の証明を必要とすることを連邦議会が規定できるようになる予定。
この規制は四半期ごとに評価され、2023年末までの期間限定とする。
(3)超党派による動議20/680:強制接種に反対する会派間動議
内容:
コロナワクチン接種の推奨キャンペーンを利用するよう市民に呼びかける動議。
ワクチン接種の一般的な義務に伴う基本的権利の侵害の重大性に鑑みれば、ワクチン接種を一般義務化するには各年齢層における予防効果(予防効果が持続する期間、程度)の更なる解明が必要であり、未だ十分でない。ワクチン接種の頻度さえ分からない以上、予防接種の一般的な義務を決定することはできない。
これまで議会は「強制接種はしない」という約束を何度も再確認している。この約束を破れば、社会に長期的なダメージを残すことになる。
(4)連合(CDU/CSU)による動議20/978:一般接種義務化中止、スクリーニングの仕組みの導入
内容:
新種のウイルスが次々と出現し、ワクチン接種の格差が広がる中、将来のパンデミックの波から国を守るためには、将来を見据えた柔軟な予防接種のコンセプトが必要であるとする動議。
具体的には、ワクチン接種記録の登録、ワクチン接種キャンペーンの強化、「マルチレベルのワクチン接種メカニズム」の構築を提案。各年齢層のワクチン接種状況について信頼できるデータ基盤(ワクチン接種台帳)を構築した上で、対象者に必要な予防接種やブースターを適時に知らせ、未接種の人を対象にしたり、カウンセリングを行うために利用する。
同時に、ワクチン接種キャンペーンを継続・拡大し、まだワクチン接種を受けていない市民への接種を促進する。加えて現地のワクチン接種のインフラを強化する。予防接種センターでの接種以外に移動接種チームによる接種、医院、薬局、歯科・動物病院での接種など。連邦保健省はコロナの状況について2週間ごとに連邦議会に報告する。
最後に、ワクチン接種のメカニズムを起動させるための基準を設ける。ウイルス変種の予想される疾病負担、感染性、利用可能なワクチンの効果、年齢層別の国民の免疫力、必要な予防接種の回数など。
(5) AfDによる動議20/516:一般接種義務化中止
内容:
Covid-19ウイルスに対する強制ワクチン接種を行わず、2022年3月15日に施行された医療・介護従事者の強制接種を廃止する法案を提出することを求める動議。
ワクチンは「フェイクニュース」である。
5.保健委員会(Gesundheitsausschusses)における専門家ヒアリング
第1読会の後、委員会に付託された全ての法律案及び動議について、非公開の保健委員会で逐条審査が行われます。審査に必要な情報を得るために専門家、利害関係者等から公開・非公開で意見聴取を行うことができることとなっており、今回3月21日(火)に約3時間半にわたるヒアリングが実施されました。結果は下記ドイツ連邦議会HPで各団体のコメント概要と動画が公開されています。
ヒアリングも踏まえた上での保健委員会の審査報告書(20/1353)はこちら(PDFファイルです)。各案に対する評価、問題点の指摘が行われています。
6.水面下の再調整
第1読会の後、過半数を取れる見込みがなかったことから、超党派の案(1)20/899と(2)20/954の提出者が協議を行い、案を統合する作業が行われ、統合案の提出が4月6日に保健委員会で可決されました。
(1)の提案者の1人であるラウターバッハ保健相のツイートでシェアされたSpiegel紙の記事及び連邦議会HPによると、統合案の内容は5月1日以降10月15日までのカウンセリング義務化及びカウンセリングを踏まえた10月15日以降の60歳以上の接種義務化。連邦議会に対し2回(6月中旬及び9月)接種率の報告が行われ、助言義務の有効性を検証。6月中旬の検証結果により60歳以上の強制接種の実施又は停止が決定される(連邦議会の追加議決は不要)。9月の追加報告後、連邦議会は感染状況を踏まえ強制接種の停止、あるいは必要であれば18歳以上59歳未満への拡大について決定する機会を改めて持つ。
7.第2読会(4/7日開催)
保健委員会の審査報告書及び統合案の提出を受けて、2022年4月7日(木)に第2読会開催。
続いて逐条審議が行われ、それ以上の法案の修正はなく(手続きとしては修正の権利あり)そのまま点呼方式で採決が行われました。結果は以下の通り:
(1)と(2)の統合案…賛成296票、反対378票、棄権9票で否決。
(3) 動議20/680…賛成85票、反対590票、棄権12票で否決。
(4) 動議20/978…賛成172票、反対497票、棄権9票で否決。
(5) 動議20/516…賛成79票、反対607票で否決。
全ての案が否決されたので、第3読会は開催されませんでした。
8.今後の動き
法案が可決されれば、通常は下院から更に連邦参議院(Bundesrat)に法律案が送付され、所管の委員会に付託され、審議が行われます。連邦参議院の議員は州から選出されているため、州の立場も鑑みて様々な議論が出てくる…はずですが、今回はどの案も否決されたため、参議院への送付はされません。
従って、今後ドイツ政府としてコロナ対策をどうしていくのか、一旦立ち止まって考えることになります。
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