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The quiet migration

ヨーテボリ国際映画祭続き。引き続き北欧映画をと思いチョイスしたのは、韓国系デンマーク人の監督が描く国際養子縁組を題材にした物語。

ベルリン国際映画祭にも出品していたよう。その際のポスター

見終わって、正直、監督と、配給を決めた会社の勇気を称えたい。これはとても難しい映画だと思うから。

これほどまでに途中で席を立つ人が多かった映画は、私の映画鑑賞歴の中でかつてなかったかもしれない、と思うほどに退出が多かった。100名強のハコで、10人弱出ていったんじゃないだろうか。最後まで観ていた人々も、途中で身じろぎしたり、集中が切れているのが手に取るように伝わってきた。正直無理もない、と思う。

農場を経営するデンマーク人夫婦に幼少期に国際養子縁組で引き取られた韓国系の男の子(19歳)の日常を描いている。静かな映画だ。ドキュメンタリーかと思うほどに(と思ったらやはり監督は意図してそういう演出にしたようだ)。ドラマチックな展開があるわけではない。ただ、日常は否応なく展開していく。

そういう淡々とした中に、住民のほぼ100%が白人(デンマーク人)の村の社会生活と、アジア系移民への日常的な差別やマイクロアグレッション、主人公のアイデンティティの葛藤が差し込まれていく。

差別やマイクロアグレッション、あるいは主人公が感じる疎外感は、アジア系移民としてはあるあるで、チクリチクリと心にダメージが蓄積してゆく。主人公が受けるダメージのように。でも、恐らく途中退出をしたような人々や、普通のマジョリティ白人には、明らかにそれとわかるように演出された描写は別として、そもそも気付かないんじゃないかな、と思った。それほどまでにありふれたクリシェが散りばめられている。そこに説明的試みはまったくと言っていいほどない。主人公の男の子はもの静かで、感情を爆発させることもないので、主人公を通じて追体験するのも、よほど敏感でないと難しい。なので、そういう人はストーリーとして追うことすら難しいだろう。

例えば主人公の誕生日祝いのシーン。両親は彼を喜ばせようとサプライズでレストランへ連れて行く。主人公がアイデンティティについて悩み始めていることに薄々気付いている母親が選んだのは、中華料理屋。慣れないメニューで何を選べばよいかわからず、結局ビュッフェを選択する両親と、アラカルトで迷わず好きなメニューを注文する主人公。両親が懸命に気を遣ってくれているのはわかる。そこに確かに愛情もある。でも自分とは違う。主人公だけがその確かに存在する違いを噛み締めながら、両親はどうしたら良いのか距離を計りかねながら、家族は静かに食事をする。
このシーンは、東アジアを十把一絡げにしている人にはその機微は伝わりすらしないだろう。そう、私が日本人だというと、「友人に韓国人がいてさ〜!」と嬉々として話すような人には。
母親が「あの甘酸っぱいソースの料理はビュッフェに含まれている?」とウェイターに聞き、「私、あれが大好きなのよ」と主人公に語りかける描写も本当に秀逸。あの何故かアジア料理の代表の顔してる、中華料理の名前がついた、その実タイ料理とのフュージョンのような、アジア風北ヨーロッパ料理。あれが好きだから何だというのだ。でもそれが善意からのコメントなのは知っている。だから曖昧に笑うのだ。でもこれも、この料理に即座にピンとこない人にとってはあまり意味の見い出しえない会話だろう。

学校で孤独な主人公が唯一友情を築くのが、ポーランドから短期で農場労働に来ている青年だというのも示唆に富んでいる。主人公の親族の集まりでは、東欧の出稼ぎ労働者に対する差別的な会話が繰り広げられる。主人公に対しても。言う本人達は全く悪意がない。でもだから、気が合うのだ。

国際養子縁組に対して、恵まれない子供を引き取って育ててあげている、という考えを持っている人は、子のルーツの尊重やアイデンティティの重要性を理解していたとしても現地社会への統合が前提で、この映画の主人公に対してはきっと「何を贅沢言っているんだ」と思うだろうし、「強くなれ」と思うことだろう。強くなれない構造的理由があるのに。

そういう上から目線に静かに、しかし強く対抗する映画だと思った。それでいて、養父・養母の不器用で手探りながらも確かな愛情もきっちり描いたのは、監督御本人が同じバックグラウンドだからこそだろう。

重かった。でも、アジア系移民にこそ見てほしい。そして、最後まで見た「マジョリティ白人」の方々(あえてこう書く)にも、なにか引っかかるものがあると良いなと思う。

監督のインタビュー。

演出意図について詳しく語った動画はこちら。


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