ナイトワーカーに対する偏見は減りつつある

一昔前は水商売やその仕事をしている人に対して「はしたない」や「ワケアリ」「貞操観念がない」といった偏見を抱かれるのが当たり前で、世間の風当たりが強いイメージがあったが、SNSやYoutubeが浸透し、夜の仕事をするインフルエンサーや有名人も増え、今時ナイトワーカーなんて普通だ、と言う声が特に20代〜30代の間では増えつつある。

2006年ごろから流行り出した、バーカウンターを挟んで客と会話する「ガールズバー」は風俗営業ではなく飲食営業に分類される。そのため、キャバクラ等に比べてハードルが低く、例えば上京してきた一人暮らしの大学生が短時間で生活費を稼ぐためのバイトとして選択肢に入れることは珍しくない。実際ガールズバーで働く女性の半数以上が大学生であり、キャバクラ等に比べて「普通っぽい女の子と話せる店」として客からも人気だ。都心部にも山ほどあり、時給は2000円程度。

キャバ嬢といえば金髪ギャルというイメージが一昔前まであったが、今では店や地域によってはサブカル女子のような個性的な女性や黒髪で派手ではない女性もキャバ嬢をやっている。店のカラオケでアニソンが選曲される事も珍しくない。流行と時代の変化から、かなり雰囲気が変わってきている。

また、客の質にも少なからず変化を感じる。女性差別をなくそうとする現代の、上司のセクハラ発言を悪とする流れが、夜の世界にも少なからず反映しているように見える。客の意識なのか内部スタッフの意識なのか、またもや女性の態度からか、少なくとも特に都心部では女性の嫌がる発言をするマナーの悪い客を注意したり出禁にするような、女性を守るしっかりした店は多い。

経営者や富裕層も相手にするキャバクラや高級クラブでは、エンリケさんや進撃のノアさんなど、億を売り上げて引退した、夜職が天職だったと言える女性もいる。そのような女性に憧れて夜の世界に挑む人も少なくない。「ワケアリ」が選択する職業から一転、華やかで輝ける誇りの持てる仕事としても変化しているのだ。

ナイトワークは過酷である

夜の仕事は「異性が好き」な気持ちだけでは務まらない。女性なら逆に男性にウンザリして男性嫌悪に陥ってしまったり、同性を求め始める人もいる。あくまで皆お金のためにやっていて、楽しいふりをしたり、気に触る事を言われたりしても我慢したり、疲れていてもその場を盛り上げなくてはいけない、そんな過酷な仕事である。

夜の仕事でありがちなのが「枕営業をしている」という偏見だ。もちろん全員が枕営業をしている訳ではなく、またそれをしたからといって稼げる訳でもない。枕営業をする事で逆にイメージダウンに繋がって客を遠のけたり、噂になったり、妊娠や病気にかかるリスクを負ったりと、寧ろそんなリスクを負ってまで枕営業をしたがる女性は圧倒的に少ない。固く禁止しているお店もあったり、ガールズバーでは連絡先交換さえも禁止している店が多い。

経営者や富裕層からの人気を得るためには、教養や話の引き出しの多さ、気配りなど人間的な部分が重要で、外見や色気だけに頼っていても指名を多くもらうことはできない。また、夜の仕事で得られるものとして「コミュニケーション力」「知識」「知見」「人脈」「酔っ払いへの上手い対処法」「気配り力」などがある。そのため、人としての成長や社会経験、自分磨きのためにこの仕事を志す人も少なくない。私や、中流家庭で育った私の友人がまさにそうだ。

ナイトワーカーへの偏見は消えない

これはナイトワーカーに限らずあらゆることに対して言える事だが、偏見というものは0にはできない。

昔からのイメージが根強いため、またマイナスなイメージを生んでしまうような事をする人や店がある限り、偏見は消えないのだ。

しかし、夜の世界で努力して大成功する人や、お金を効率よく稼いで学校を卒業できた人、夢を叶えられた人、経験を積んだり人脈を広げたりして起業に繋げた人、夜の世界から抜け出せない人、性風俗へ落ちていく人。本当にさまざまな人がいて、それを発信できるような自由な時代だからこそ、柔軟になるべきだと私は思う。

偏見とは

かたよった見方・考え方。ある集団や個人に対して、客観的な根拠なしにいだかれる非好意的な先入観や判断。「―を持つ」「人種的―」

正義感を必須とする警察官でさえ、不祥事を起こしているのだから、特定の集団に属する人々全員が100%なにかの形容が当てはまると断言することは難しいことだ。

ただ、類推した結果として、間違った先入観や偏見を持ってしまうことは、決して悪いことではない。バイアスがかかるのは人間として自然なことである。

もしもあなたが人と関わって社会に生きているなら、裏付けのない主観的な思いから特定の集団やそこに属する個人に対して否定的で非好意的な言葉を迂闊に発言することに慎重になったほうがいいだろう。また、もしもあなたに「それは偏見だよ」と教えてくれる相手がいるなら、その人こそが、もしくはその人の周りの人々が、あなたの決めつけが事実に反しているという「根拠」そのものであるはずだから、素直に聞き入れてもう一度あらゆる可能性を考慮して考え直してみるべきだ。そうでないと「その属性を持った瞬間あなたの人格はこうである、それ以外は何を言われようが認めないし、あなたの中身なんて見たくありません」と相手を拒絶することを意味してしまう。

一昔前までは残念ながら「ナイトワーカーが偏見を抱かれやすいのは当たり前」だったため、勘違いされやすいから表では言わない方がいい職業だったと言える。今日ではそれが減りつつある。つまり「偏見を持たれやすい」と「偏見通りの人物」、「偏見であると否定できる」と「偏見じゃない」はそれぞれ違う。

事実がはっきりとわかるまでは何かを決めつけて断言するようなことをせず中立的にものを考える力を身につけてみてはどうだろうか。偏見は「無知」や「無関心」などから生じるものがほとんどで、ときに「保守的」な考えからくるものである。自由な時代を生きたいなら、偏見は正すべきだ。あなたが夢想家で理想主義、または引きこもりならば話は別だ。

発言だけならまだしも、何かを決定したり、人の未来を左右する判断や、大事な意思決定をする重要な役割を担っているならば、偏見や間違った先入観を持って行わないように気をつけなければいけない。ときにそれが差別になってしまうからだ。しかしこれは簡単なことではなく、「差別によって不利益を被る人がいる」という知識と「差別するべきではない」という意思がなければできないことで、まだまだ差別がどこにでも蔓延っているのはそのためだ。

自由でありたい

もしもあなたが「それは偏見だよ」と教えてあげたときに強く反発してくるような人がいたらその人は「無知」や「無関心」を通り越して、もはや「宗教」と同様の強い思想だったり「トラウマ」だったり「敵意」だったり何か「強い意思」を持って発言しているので、諦めることをお勧めする。キリスト教にコーランを読めと言っても無駄だからである。

このイスラム教の例えは少しずれている、中立的ならば「無宗教」の方が近いだろう。人の価値観や選択を尊重する自由な時代だからこそ、柔軟に考えられるように私はなりたい。中立的に考えたり、予測精度を高めるには、実際に自分の知らない世界に飛び込んで経験して自分の目で見て確かめてデータを積みたい。もっと世界を知って成長したいと思う私は、昔からそうだったし、今後もそうしていきたい。

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