見出し画像

ムダってムダじゃなくないですか?

家でガラクタガサガサしていたら、懐かしいガラケーが目に止まった。

写真のガラケー、TOSHIBAのbiblioっていう、auがかつて取り扱ってた端末です。長手の方へスライドしてキーボードのような入力デバイスが出現する。
縦持ちにするとテンキーモード、横にするとキーボードみたいにと表示が変わる。

便利そうに見えるけど、変な方向にスライドするので通話の時にめっちゃ持ちにくい。
キーボードも、打ち易いわけでもないし、しょせんガラケー、そんなに長文を入力する事は滅多にない。

でも、他の人があんまり使ってないとか、変わったもの所有欲を満たしてくれるとか、嫌いじゃなかったりもしたんですよね。普通にワンセグテレビも見れたし。使っているときはそれなりに好きで使っていました。

さて、思い出話をしたい訳ではなくて、ふっと、"モノづくり"がなくなっちゃいつつあるのかね?って少し気になったのです。
買ってから気が付くことがいろいろあったにせよ、買う時にある種のワクワク感みたいなものがあったよなって思いません?

最近の状況って、「これを使っておけば間違いない」的なものが増えている気がして、チョイスする楽しみ、多彩な選択肢、みたいなのが「ムダ」扱いされているって感じているんです。
ちょっと見方を変えて、買う側が「単純明快」を求めているって面もあるのかな?YouTubeとかブログとかで、「おすすめ」「買うならこれ」みたいなのとか、逆に「これは買ってはいけない」「おすすめしない」みたいなコンテンツがいっぱいあふれてるのも、そういう需要からなんでしょうか。

別の角度から。作って売る人からすれば、売れて、儲かるものがあれば、それだけ作って売ってた方がシンプルに儲かる、ということ(シンプルにモノを捉えすぎかな?)だと思ったりするんです。(儲けるために)余計なものをつくるのはムダ、ということ。
でも、絞り過ぎた、効率ばっかり突き詰めたがゆえに、絞ったものがこけたとき、撤退ってことになっていやしないだろうか、なんて思ったりもします。

いろんなところで"ムダ"を省くことが絶対的な正義ってなっていくことで、モノづくりもそうだけど、いろんなことが残念な方向に進んでいるんじゃない?って。

ここのところ、「不要不急」なんて言葉が躍っていますね。そして、「不要不急」と言われて困った皆さんがものすごいたくさんいらっしゃる。前に同じようなことをツイートしたこともあるのですが、この状況を見て感じたのは、「世の経済は少なからず、ムダなことで回っているんだなぁ」ということだったんです。

あ、ムダがいいっていうことではないんですよ。ただ、例えば酒は飲まなくても、生物学上のヒトが生きていくことを阻害することはないですけど、人の文化・習慣として酒を酌み交わすことは(全ての人になんて言いませんけど)一定根付いてしまっています。で、その習慣の中で酒場があって、そこで人が酒をのむ、という1つを取り出しても、酒の仕入れ先としての酒屋さん、おつまみの材料を納めるお店や問屋さん、そもそもお店としてやっていくために設える内装屋さん、その材料を納める所、書いたらキリがない程たくさんの人たちが連なっていて、そこでお金は回っているわけです。当然そこに関わる人の生活につながっている。

これまたちがう切り口で。地方に暮らす人(私もそうです)にとって、自動車は欠かせない移動手段です。一家に1台当たり前。運転する人の数分所有してる、なんて珍しくもなんともない。で、車で通勤しますけど、7人乗りのミニバンに1人乗って通勤したりします。もったいない気もするけれど、じゃあ、通勤用の軽自動車を別に持つ、となれば、ミニバン普段はガレージに留め置かれたまんま、という事になる。一見ムダだけど、それにかかわる人、企業やそこで働く人、その生活...

車のハンドルと一緒なのかな?あそび一切無しのピーキーな車なんて、怖くて乗れたもんじゃないです。人間も、緊張状態ではいつまでもいられない。
財布のひもをギューって締めてたら、出ないかも知れないけど、入っても来ない。

こういうことかなって、ちょっと思ったので思ったまま...
長くて恐縮ですが、ここまで読んで頂いてありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?