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きみにささげるきみのうた

これは私の過去のツイート。こういうことを思い付きでツイートしても、大抵投げっぱなしで自分で何かを書くことは殆どない。でも、だからといって、自分の中にアウトラインがないわけでもない。ただ、持ち前の遅筆さのせいで、考えて文字に起こして、それを推敲して形にする、という作業に物凄く時間が掛かってしまい、結果的に日の目を見ないことが多いだけで。

でも、やっぱりそれも勿体ない。フォロワーさんに背中を押していただいたこともあり、せっかくなので、これをテーマにして、私の現在の担当であるTravis Japan・七五三掛龍也くんを対象に、一本noteを書いてみることにしました。

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ロミオの心臓/BiS

もう何度も何度もしめちゃんのイメージソングだと言い続けている、「ロミオの心臓」。私は、心がじゃりじゃりしたときに、カメラロールにあるしめちゃんをひたすらに眺めながらこの曲を聴く。そのじゃりじゃりを洗い流してくれる心地になるから。「はじめまして 元気ないの?」から始まるこの曲。等身大の素直な話し言葉で綴られる、前向きも後ろ向きも綯い交ぜだけど、なぜかとめどなく溢れ出る優しさと多幸感。しめちゃんの持つ「優しさ」に通ずる空気を感じている。

例えば、「多くの人に花を渡す」という状況に置かれたとして。しめちゃんは目の前の人、自分の大切な人たちや、自分の手の届くところから一人一人一輪ずつ花を渡していく、できるところからこつこつとできることをしていく、「多くの人に渡そう」の、その数を設定するよりも、目の前の人や身近な人から順に花を渡すうちに、気付いたら物凄くたくさんの人に渡していた、というタイプのように感じている。

話をするときに相手の目をまっすぐに見つめること。客席の一人一人と目を合わせること。自分のうちわやピンクのペンライトを探して、ファンサをしたり微笑みかけたりすること。グループの中に「一番」好きな人がいるということの特別さを理解して、そこに真っ先に心を向けること。緊張していたり、不安を感じていたりするメンバーにそっとかける、「○○ならできるよ」の言葉。一度関わった方にこまめに連絡を取り、縁を大切にしてきちんと繋いでいくこと。体調を崩していた自身の身近な方々に、様子を伺う連絡を入れていたこと。他にもたくさん、相手に対して真摯に向き合い、相手の気持ちを思い遣るしめちゃんのエピソードがある。そうして、いつの間にかたくさんの人たちが、しめちゃんが渡した花を持っている。

優しさと甘さはイコールではないけれど、「甘くない」優しさはときに伝わり辛いこともある。上手く伝わらなくてすれ違ってしまったことも、強く刺さりすぎてしまったこともあるんだと思う。それでも、目の前の人に、まっすぐに視線を合わせ、伝わると信じて一輪ずつ花を渡し続ける、そんなしめちゃんの優しさに愛しさを覚えている。そして、私も同じように在りたい、と、ずっと思っている。しょっちゅう「優しさって何?」とぐだぐだ言いながらも、私の心に住まうしめちゃんに、こういうとき、どうする?と、問い掛けながら。

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Love Thing/Cymbals

これは今年のしめちゃんのお誕生日にもツイートした、しめちゃんに捧げたい曲。

しめちゃんの好きなところ、いくつ挙げてもどれだけ挙げても、言葉が全く追いつかない、といつも思っている。「ここが好き」とある一つの要素を言葉にすると、もう一人の自分が「そうじゃないしめちゃんはどうなの?」と問いかけてきたり(そんなの好きに決まってるのにね)、自分の心の一部を切り分けてしまったような気持ちになってしまったり、そもそも「好きなところ」の全てを網羅して言い尽くすことなんてできないのに、それぐらい好きでたまらないのに、その「できない」ことがもどかしくてたまらなくなってしまう。だから、「好きなところ」を言葉にすることについて、私の心の中には割と高めのハードルがあったりする。結局は好きだから、その話をしたくてたまらないから、あれやこれやと発信をしているけれど、実は。

過去、しめちゃんが「可愛く在らなきゃ」と悩んでいた頃の話をいくらか雑誌で読んで、考えることがたくさんあった。私は、しめちゃんの可愛らしさを愛おしく思うし、「可愛い担当」としてしめちゃんが魅せる、そのプロアイドルとしての圧倒的な「可愛い」やその気高さにいつも敬服しているけれど、「可愛いしめちゃんが好き」と発することで、しめちゃんが「「可愛い」じゃない自分は?」「可愛くいなくちゃいけないんだろうか」と思ってしまうとしたら、それは私にとっては本意じゃない。だから、「可愛い」に限らず、しめちゃんの好きなところについて発信したいとき、「○○なしめちゃんが好き」以外にどのような言い方ができるか、可能な限り考え尽くしてきた。100%できているかと言われるとそうではないけれど、心掛けとして。

実際問題、しめちゃんについて私が知っていることなんて、顔と名前ぐらいしか無いけれど。自分が見ているしめちゃんは、いろんな媒体から拾った要素を結びつけて自分の中で組み立てたしめちゃんの像でしかないということは理解しているけれど。それでいいと思ってる。知らないこと、分からないことがあるということを分かった上で、それらをひっくるめて好きだと思うだけで。

私だけではなく、ファンの発する「可愛い」には、額面通りの意味に加えていろんな感情が混じっている。所謂「可愛い」の感情の場合もあれば、そうでない場合もある。
いろんな色の「可愛い」があるけれど、自分の心の中を大きく占めるのは「愛しい」の感情なのかなあ、と、思う。分からないこと、知らないことが大半だったとしても、私の目に映るしめちゃんの一挙手一投足、どれもこれも何もかもが愛しく感じる。しめちゃんの見せてくれる、いろんな姿を見たい。現場があれば(自分自身の置かれた環境を鑑みて、ではあるものの、それが許せば)会いに行きたい。しめちゃんがその手で、自分自身の意思で選んだことを、大切に思う。これは紛れもなく、しめちゃんのことが好きだからだ。

挙げ尽くすことなんてできない「好きなところ」をひたすらに挙げていくチャレンジをするとしたら、どれだけの時間が必要だろうか。でも、最終的には、その要素一つ一つをひっくるめて、しめちゃんがしめちゃんであればそれだけで、という気持ちに帰結するだろうことは間違いない。

「あなたのすることはなんでも大切なこと」「あなたのすることが何より大事なの」。いつだってこの気持ちでいるし、一曲しめちゃんに捧げるとすれば、私はこの曲を選ぶ。全編英語詞だから、対訳も添えて。

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ラブリーベイベー/JUDY AND MARY

私は、「私としめちゃん」のイメージソングとして「ラブリーベイベー」を挙げられる今があることを幸せに思う。それは、約2年半の間、しめちゃんの柔らかな愛に包まれて幸せを感じ続けてきた証だと思うから。

少しだけ、昔話をさせてください。
私がTravis Japanを好きになったのは、2019年1月のこと。Lock Lock倍速ダンス動画がきっかけ。
当初、私には、二桁の年数担当している「担降りも掛け持ちもありえない、彼が私の最後の担当だ」と言い切っていた担当がいた。だから、当時の私のTravis Japanへの感情は、倍速ダンス凄かったな、Travis Japan好きかも、その中だと七五三掛くんがいいな、というところだった。
ただ、当時、一年近く前から吹き荒れていた彼に対する強い逆風に立ち向かううちに、私の心はぼろぼろになっていた。辛いのは逆風だけで、彼自身のことは変わらず大好きなままだったから、ずっとずっと苦しかった。過去、似たような理由で一度彼の担当を降りてしまったことがあった出戻りだから、余計にかもしれない。そんなときに突然出会ったしめちゃんのことがいつの間にか忘れられなくなっていることに気付き、当時の私はひたすらに戸惑い尽くしていた。

それから約3ヶ月後、自問自答の末、もうどうしても「好き」だけじゃ足りない、私は「しめ担」になりたいんだ、と自覚して、「しめ担」を名乗り始めた。そして、その頃の「私としめちゃん」のイメージソングは、大森靖子さんの「VOID」だった。「家を抜け出して僕の部屋においで 君のこと何も聞きやしないから」「僕じゃ満足できなかったなら明日忘れてもいいから」「 僕とゲームで負けちゃう前にリセットボタン押していいよ 逃げるの下手な君特別ルールさ」。まるで自分に言われているような感覚があった。ある意味で、自分の軸足を置いていた世界から逃げ込むような、縋るような気持ちを抱いていたことも事実だったからこそ、忘れるわけない、逃げるわけない、だってこんなに君のことが好きでたまらないのに、と、何度も心の中で唱えていた。担当を名乗ることは、一生背負う覚悟、のような、ちょっとやそっとじゃ剥がせないラベルを自らに貼ることだと思っている。私にとっての「担当」の概念は、それほどに重い。

そうして「しめ担」を名乗り始めてから、一年、二年、と年月を重ねるうちに、私の心の中はいつしかしめちゃんに貰った花で埋め尽くされていた。だから、今はもう、私の気持ちに「VOID」ほどの悲痛さは無い。しめちゃんがくれる安心感と多幸感に包まれながら「しめちゃんのことが大好き」の気持ちでおたくをしている。

しめちゃんは、可愛い。お顔も仕草も性格も何もかも、本当に本当に可愛い。でも、分かりやすい可愛さだけではなく、細かくて、ともすればふと通り過ぎてしまいそうだけれど、しめ担だからこそ感じる「可愛さ」も、確かにあると思っている。しめちゃんのことが可愛くてたまらないけど、可愛いから好きなわけじゃない。しめちゃんのことが好きで幸せだけど、幸せにしてくれるから好きなわけじゃない。「好き」の感情を放出するトリガーはあれど、「好き」の条件はない。でもやっぱり好きだから、何かあるたびに、いや、何がなくとも心の中から愛しさが溢れて止まらなくなってしまう。

しめ担になった当初、自分が過去Jr.担だった頃とは様変わりしているだろうけれど相変わらず過酷であろう界隈に戻ることへの不安や、しめちゃんが自分よりきちんと年下であることへのちょっとした背徳感を感じていなかったわけではない。それでも、Travis Japanが好き、しめちゃんが好き、の気持ちの方がよほど大きくなって抑えきれなくなったから、しめ担を名乗ることを決めると同時に、えいや、と、トラジャ担界隈に飛び込んだ。

個人的な感覚ではあるけれど、「担当する」ということは、清濁併せ呑んで受け止めることのように感じている。だから、楽しいだけじゃなく、苦しいと感じるときだってそりゃある。でも、そういうものなんだと思うし、だから「担当」なんだと思う。
ゲシュタルトを崩壊させながら手を痛くしながら、数字と文字を書き続けること。見える数字や見えない力と戦い続けること。隣の芝が青く青く見えて仕方ないときもある。でも、それ以上にたくさんの嬉しいことや幸せなことがある。何よりも、しめちゃんが喜んでくれれば、笑顔になってくれれば、そんなしんどさは吹っ飛んでしまう。

そして、今でも、しめちゃんは私より年下なんだよなあ、と実感することはよくあるし、自分が彼より年上だから享受できた幸せもある。しめちゃんが思い浮かべる、かっこいい「大人って感じ」、ワイングラスを買ってみたり、キッチンでジャズを流してみたり、そんなことたちを試してみている様子を見ては「私もそんなことをしてみた時期があったな」と思って微笑ましく感じたり、賛成コン横浜ホワラの「お姉さん、僕と付き合って……ふふ、恥ずかし、」のくだりは現場にこそ入ってないもののレポで流れてきた瞬間に頭吹っ飛んだし、過去一しめちゃんより年上でよかったと思った瞬間だった(何で私はその場にいなかったの、と思いはしたけど。笑)。まだ背徳感を覚えることはあるものの、その性質は深夜にこっそりアイスクリームを食べるような類のそれに変わっていた。

そんなこんなで、しめ担を名乗り始める前に危惧していたことや負い目は、しめちゃんに手を引かれて歩むうちに、全部ポジティブに塗り替えられていた。しめ担になってから重ねた思い出一つ一つが大切でたまらない。いろんな瞬間のしめちゃんを目にするたびに、どきどきしたりときめいたり、そんな感情を味わうことが嬉しくて楽しくてたまらない。「しめ担」のラベルを掲げ、しめちゃんと共に歩む日々も。

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さて、私の選曲はこんな感じでした。自分がしめちゃんに抱いている印象や、しめちゃんに伝えたいこと、しめちゃんに対してどういう感情を抱いているか、改めて見つめるきっかけにもなったし、自分で言い始めたことだったけど、楽しかったな。
いろんな方の「自担/推しのイメージソング」「自担/推しに捧げたい曲」「自担/推しと私のイメージソング」、知りたいな。書いてくださる方がいたら嬉しいな、なんて、こそりと思ってみます。