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TKC from MAKE MENTION OF SIGHT-interview -

仙台を代表するHARDCORE BAND "MAKE MENTION OF SIGHT"
自主企画"LIVEWIRE"では過去にCHAMPION、AS FRENDS RUST、UNBROKEN、STRIFE、SHAI HULUDなど名だたるUS HARDCORE BAND勢のJAPAN TOUR 仙台編にて招待。

80年代後半-90年代前半のOLD SCOOL/YOUTH CREW HARDCOREに多大なる影響を受けつつも、常に進化し続けるエモーショナルなサウンド。HARDCOREにかける情熱がにじみ出る、熱いLIVEが魅力です。

99年の結成以来、MMOSのバンドを長きに渡り支え続けるオリジナルメンバーであり、バンドサウンドの要であるGt.TKC氏にバンド結成の秘話、影響を受けたバンドの数々、これからの仙台シーンに関する想いなど、沢山のお話を聞かせて頂きました。
(Interviewer:KEN MAKABE)

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-バンド結成の経緯について

結成は99年、自分が大学1年生の頃です。
元々、Voの坂井さんは高校のバスケ部の先輩で、old school/youth crewなHARDCOREバンドをやりたくてメンバーをさがしているとの事で、声をかけてもらい結成に至りました。その時には、すでに坂井さんの親友の弟がドラムとして決まっていました。
僕もNYHCが好きでSTRENGTHやABILITYのライブに通いまくっていたので、それで声をかけてもらった感じです。
坂井さんに誘ってもらったことは本当に感謝ですよね。
最後に「ベースどうしようか」となり、当時、一緒にメロディックなバンドをやっていた親友のコマツを「とりあえずベースが弾けるから」という超安易な理由で誘って、まずはメンバー揃いました。(ちなみにその当時やっていたメロディックバンドで私はドラムでした。)
これが第0期目のメンバーです。
その後、最初のドラムが亡くなってしまって、当時一緒にライブ通いをしていたU25を誘って入ってもらい、しばらくはこのメンバーの4人体制での活動をしました。第1期のメンバーのイメージですね。

一番最初のライブは99年かな?石巻のzazaっていうライブハウス?バー?みたいなところでしたね。DEUCEに誘ってもらった企画でした。
初ライブの思い出と言えば・・・・Vo坂井さんは皆さんご存知の通り、大変熱い人なので、スタジオでの練習の時も、ライブよろしく暴れまくっておりました。
その状況をよく見ていた私は、予め坂井さんに助言。
「一発目のライブだからね!リハは暴れたりしないでね!音ちゃんと聞こうね!」
「うん、そうだね!わかった!」なんて話をしていたんだけど、いざリハが始まったら、ライブ本番と同じようにバリバリ暴れちゃって、、、
「暴れないでって言ったじゃん!」
「いやー、暴れちゃったよー。テヘペロー」なんてしていたのが良い思い出ですね笑
あとはLIVE中にBaのコマツの頭にモニターが落っこちてきたりしたなぁ!笑 色々と思い出深い初ライブでしたね。
このLIVEはVHSで映像が残っています。
これは、超秘蔵映像ですね笑。
世に出ることはないだろうなあ。

当時いくつか、カバーをやりました。IGNITE / CALL ON MY BROTHERSに収録されている「Epidemic」が、当時好きだったので、カバーをしましたが、、、まあIGNITEのカバー自体やろうとする事が無謀で、、出来るっこ無いというか笑
ボーカルがね笑   ゾリすごいからね笑
今はゾリバンドだしね。甲斐バンドみたいなもんだよね。

未だにスタジオで坂井さんに「IGNITEの曲カバーやろうぜ!」と言うのが一つのネタになっています笑
あ、後「サカイ•オ•マホニー」というキャラも存在します笑

1st demo(2000 Release)

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2017年には韓国で初めての海外ライブも経験しました。ALL I HAVEのゴンちゃんに誘ってもらったのがきっかけですね。彼は元々日本に住んでいたこともあって、ENDZWECKを韓国に招待していたりして。 
その流れで、STAND UNITEDと僕らで行きました。ソウルと釜山でLIVEをさせてもらいました。海外でLIVEやってみたかったから、とにかく楽しかったですよね。お客さんは全然入らなかったのですが笑

元々は仙台在住で、ex-THE END、sacrifice、it's youとかやっていたタケちゃんが韓国で画家として活動をしているのですが、彼が現地で所属しているfind the spotってバンドも出演してくれて、その時に韓国で共演できた事も嬉しかったなぁ。

また、現地のパンクハードコアシーンはジャンル毎にカテゴライズされておらず、Youthcrew・fast・crust・EMO等のバンドが一緒にライブをする雰囲気が仙台に近いなと感じたことも印象的でした。
国・バックグランド•思想等は違えど、音楽で出会ったコミュニティの仲間は大事にしたいですよね。
コロナが無ければ、2ndアルバムリリース後にも海外に行きたかったなー。

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-当時の仙台シーンについて

「NYHCに影響を受けたメタリックなバンド」と「ハードコア•パンクの影響下にあるバンド」は分かれていましたね。
18歳位から本格的にライブハウス通いを始め、最初はSTRENGTH周辺のライブに通いました。沢山のバンドを見て多くの刺激を受けたけど、閉塞感みたいなものも感じつつ、「うーむ」となり、悩みましたよね。
仙台の出演バンドはいつも同じ面子でしたからね笑

それで、元々好きだったSPIKE SHOES、EXORGRINDST、RISE AND FALL、ANGER、NAKED YEGGS、MICRO PLAN、PASSING TRUTH DRIVE、TOTAL FURY・・・V.A/CLENCH THE FISTに収録されていたバンド関連のライブに通い始めると、「あ、こっちだなー」と感じました。

(V.A/CLENCH THE FIST・・・97年発売、当時仙台HARDCORE/PUNKシーンの第一線で活動していたバンドが一同に収録されている2枚組V.Aアルバム)

この頃は、県内外、国外のバンドの刺激的なLIVEを山程見ました。毎週土日はもちろん、平日も暇さえあればバードランドやアドバンス等でLIVEばかり見てましたよね。彼女もいないし笑。

この頃のLIVE通いの蓄積が今の自分の音楽的根幹になっていると思います。
国分町のバードランド時代は「一般の方々がイメージしているハードコア・パンクの暴力的でヒリヒリした部分」がまだ残っていましたね。
ライブ中にぶん殴られている人や、ライブ後に血塗れになっている人もチョコチョコと。
まあ、書けないこともたくさんあったよね笑
90年代後期〜2000年台初期は、日本のハードコアパンクの歴史においても、多角的に発展していた時期なのかなーと思います。刺激的なバンドをたくさん見ることができました。

繰り返すけど、この頃の経験がバンド活動の根幹。
これが無ければ、今の自分存在しないです。
音楽続けてないですよね。
人生変わっちゃいましたねー。

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-5人編成になった経緯

2002-2003年頃かな。日本におけるYOUTHCREW HCの釈明期というか、自分達が目指している方向と同じ様なスタイルを打ち出しているバンドがとても増えてきた時ですね。以前から活動していたNO CHOICE IN THIS MATTER、FACE OF CHANGE、MEANING OF LIFE、AR-15等に加えて、LAST ONE STANDING、ONE LINE、ANMA、BEND、AND BELIEVE、BY MAIN STERENGTH、KNEE JERK等々、同じ時期に活動し、切磋琢磨していたという印象です。

LAST ONE STANDINGのスワさん(現:NODAYSOFF)との繋がり・出会いをきかっけにして、当時大阪で開催された日本のYOUTHCREW HARDCORE BANDが一挙に集まった"POSI FEST"に出演させてもらった事が、その後のサウンドの変化に繋がる大きなきっかけでしたね。
イベントを通じて、当時の一線で活躍していた国内のYOUTHCREW系のバンドを見て、聞いて、感じて、、、その結果「自分達は、もっと深いところにたどり着きたい」と考えるようになりました。
ちょうど、バンド仲間のユウくん(aka アーリー氏。CONSOCIO SENTENCIA Vo)がGtで加入しツインギターになったタイミングだったこともあり、自分達が大きな影響を受けたVERBAL ASSAULTや、by the grace of god等のエモーショナルなハードコアの影響・表現を全面に押し出すような楽曲にシフトさせました。

それから、「DEMO2005」を出して、基本的なMAKE MENTION OF SIGHTのサウンドはこの時にある程度整理されたと思います。・・・ちなみにそのデモに入っている"Way to take"は当時自分が住んでいた会社の寮で現Ba.秀ちゃんと2人でベロベロ酔っ払いながら作った曲です。
後半は「こんなもんでいいかー」なんつって、適当になってましたけどね。笑
2005年以降から自主企画LIVE WIREを始めて、今のバンドのスタイルの方向性が確立されてきたかと思います。

今だから話せることですが、2011年1stアルバムリリースする前・・・それ以前だから2009年くらいかな?メンバー間の考え方や生活の変化(結婚や仕事上の異動)などがあり、すれ違いが生じバンドの空気も悪くなってしまっていた時期がありました。この時期はLIVEもほとんどやっていませんでした。もうどうにもこうにもならなくなって、「アルバムを出して解散しよう」という話になりました。レコーディングも進み、リリースするぞ!というときに東日本大震災が発生しました。

そこから、自分も含めメンバーの心境の変化があり、バンドに対しての向き合い方が変わりました。今まで色々あったけど、改めてバンドとして前に進もうと。
アリヨは抜けちゃったけど、現Gtのオガタ君に加入してもらって、新たな体制となります。現行バンドにも詳しいオガタ君の加入により、MMOSに良い意味での適度なモダンさが加わったと考えています。この時期が次の大きな転換期だったかと思います。

-好きなバンドや音楽のルーツなど

MAKE MENTION OF SIGHTで活動する上では、YOUTH CREW / OLD SCHOOL HARDCOREが根幹にあることは言わずもがなです。特にTURNING POINTや後期YOUTH OF TODAY、BETTER THAN A THOUSANDのようなメロディのあるバンドには大きな影響を受けていて、そこがバンドの根幹にあります。
それに加えて、、

まずはVERBAL ASSAULT、BY THE GRACE OF GODに代表される様なエモーショナルでロッキンなバンドですね。あとはONE STEP AHEADがすごく好きです。Ep Remissionは超名盤です。彼らはVERBAL ASSAULTオマージュのバンドの中でもno.1だと思います。VERBAL ASSAULT以上にVERBAL ASSAULTっぽいフレーズだね!なんて当時はよく話してました。
彼らの「メタリックなフレーズ」が好きなんですね。「メタルっぽい」フレーズではなく、「メタリックなフレーズ」。ここ、超重要なところです。テストに出るところです笑
曲作りの際にもすごく意識しますね。メタリック。
nemesis recordsのバンドは大好きです。カッコ悪いところが、かっこいい笑
nemesis recordsはレーベル買いをしていましたね。まあ、ハズレばかりですよ笑
「いなたい」という表現がピッタリですよね笑
それがいいんですよね。
貶しているように聞こえますが、ものすごい褒めてますからね笑

QUICKSAND、INTO ANOTHERやINSIDE OUTなど、根っこにNYHCがあり、それを通過したグルーヴのあるバンドも大好きですね。
Wreckage Recordsからリリースされるような、Stillsuit、DIE116、Mind over Matterなど変わったサウンドのバンドも好きですし、UKメロディック・・例えばH. D. Q、exit conditionなどのバンドも外せません。ギターフレーズを作る上で大きな影響を受けています。

outlastやsection8のようなスウェーデンのバンドも大好きです。
こんなバンド達をミキサーに入れて混ぜると出てくる音を目指しています。
僕らのアルバムの中は、比較的バラエティーに富んだ楽曲が並んでいると思っています。「○○直系!」みたいなバンドではないのかなと。
やりたいこと、好きなことが多くて、直系サウンドが奏でられません笑
今後も、それなりに幅の広い楽曲を、チャレンジングにやっていきたい。表現したいと思っています。
もう、この歳なので、自分達がやって楽しいことをやりたい。好きな音楽を奏でたい。
じゃないと、家族サービスも仕事も一生懸命やらなければならない40過ぎのオッサン達の音楽活動は続かないのですよ。

活動初期の頃聞いていたバンド
MMOS活動初期の頃は88ユースクルーバンドをかなり掘り下げて聞いていました。
当時、MITCH SxE氏が展開していた、「STRAIGHT EDGE PRODUCTIONS」のホームページに「ストレイトエッジとはなんぞや?」みたいなコラムがあり、そこに88YOUTH CREWと呼ばれていたバンドが、地域別にたくさんアーカイブされていました。
それを紙で出力して、音源をゲットしたバンドを蛍光ペンで塗り潰すわけです。全制覇しましたよ。

で、結論。
「88年頃のバンド“いなたい”バンドばかり」説笑
GORILLA BISCUITS、YOUTH OF TODAY、CHAIN OF STRENGTH、JUDGE、TURNING POINT等々、、有名どころは垢抜けてましたが、マイナーなバンドは垢抜けないバンドばかりでしたよねー。

でも、それがいいんですよ。
全体的に、カッコ悪いバンドでも、「ここのチョーキングだけは最高だ!」みたいな部分を探すのが楽しいんです笑
ちなみにMMOSのギターフレーズで良く使う「ズズズ」という3回のミュートは、headfirstのstandという曲から拝借しています。
当時、「この「ズズズ」が良いんだよねー!」と熱く語っていましたね。メンバー、誰も覚えてないと思いますが笑
これは19歳の頃の話。

Dag Nasty、Rites of SpringをはじめとしたRevolution Summerムーブメントと呼ばれる類のバンドもMMOS活動初期から大好きです。仙台HARDCOREシーンでは自分も含めてDischord Recordsをはじめとした、DCポストロックシーン等が好きな人が多いのは、HALF LIFEやRISE AND FALLの影響が強いのは間違いないと思っています。
自分もその影響下にある人間の1人ですし。

MINOR THREATを筆頭にDischordが始まった83年以降から次の世代のバンド・・・Rites of Springとか、Gray Matterとか、一見地味なんだけど、パンクアティテュードは保ちつつ、切ないメロディーを奏でるバンドが自分にはしっくりきました。
この辺のバンドはいまだに好きだし、音楽に対しての精神性の部分や、新しいサウンドにチャレンジするアティテュードの部分は、自分でも大事にしたいなと思っています。

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自分達が、今曲を作って演奏をしているような、エモーショナルでメロディックなHCバンドってアメリカにはそんなにいなかったというイメージがあるのだけれども、ここ最近見直されてきているのか、良質なバンドが出ている様な感じがして嬉しいです。

RUN FOR COVER RECORD周辺のバンドは注目しているかな。そんなに聞き込んでいるわけではないのだけれども、自分たちとルーツが同じ様に、例えばTURNING POINTなどエモーショナルなハードコアバンドをルーツとしたバンドが世界的に増えてきているのは嬉しいです。自分たちはただ好きで追求して地道にやり続けていたスタイルなのですが、世界的な大きなムーブメントとリンクしている様な気がして嬉しいです。またそのようなムーブメントとは異なり、以前から活動しているチリのREMISSION(解散済み)やブラジルのo inimigoの様にインディペンデントな形で活動を継続している(いた)バンドにも通ずるものを感じます。

またインディロックやオルタナティブなバンドも大変好きなのですが、根っこにPUNK/HARD COREがあるかどうかは大事ですよね。
メンバーの坂井さんや尾形くんは、現行のバンドに詳しいので、いつも色々教えてもらっています。その都度、良い刺激を受けています。
まだまだ、オッサンは負けていられないぜ!

話が変わりますが、バンドTEE収集が趣味です。
ちなみに初めて買ったバンドTEEは、中学時代(94年くらいかな)に仙台のShall内にあった「BLACK」でGETしたCRO MAGS / AGE OF QUARRELのTEEシャツ。いまだに持っています。新品のワゴンセールで500円でした。その時にロリンズバンドとHELMETのTEEシャツも併せて買いました。収集のスタートです。一部をインスタでアーカイブ的にアップしていますので、興味のある方は覗いて見て下さい。

レコ屋巡りも未だに大好きです。
昔、仙台には中古屋が沢山あったので、DISK NOTE、パラダイスレコード、サウンドユー、J&B等で音源を漁っていましたね。
2002年位だったかな?仙台マンションの上にあったレコ屋・・・店名忘れちゃったけど、REST IN PIECESの"MY RAGE"オリジナル版L P(one step ahead records)のデッドストックを見つけたのはとても嬉しかったですね。これがあるから、レコ屋巡りはやめられないですね。
最近では、久々にDISK NOTEに行った時、ANACRUSISのsuffering hourのオリジナルLP が650円で売っていてアガリましたね!あ、メタルですよ笑

TKC氏の音楽遍歴
中学生の頃にメタルにハマったのが五月蠅い音楽の始まりで、スラッシュメタルとかデスメタルが好きでした。
burrn!を私の地元である七ヶ浜町に一店舗しかなかった今はなき小さな本屋に、一冊だけ取り寄せてもらってしていましたね。これが当時の私の全ての情報源です。
周りの友人たちが、ファミ通を読み漁り、ファミ通の通貨である「ガバス」を集めている最中、メタルを聴きながら、メタルの延長でメタリックなハードコアも聴いていた感じです。

ちなみに最初に買ったCDは、中2の時に買ったnapalm deathのscum。
これはデスメタルを聴きたくて買ったけど(burrn!では、デスメタルと紹介されていました)、ハードルが高すぎて、全然意味がわからなかった。。。
BIOHAZARD、CRUMBSUCKERS、CRO-MAGS、DRI、RATOS DE PORAO(RDP)とか、みんなメタルの延長で聞いていたし、「burrn!に載っていたバンド」として、聞いていましたね。

burrn!の、DISK REVIEWの点数はよくみてました。
TERRORIZERは「?点」でしたね!
DRIは1点でしたね!
NuclearDeathは13点でしたね!
EYEHATEGODも10点でしたね!
「ひたすらジャケが気持ち悪い」って酷評されてましたね!
当時のburrn!は、ハードコア系のバンドに対して厳しかったですからね。載せなきゃいいのにね。・・・まーひどかった。

中学三年生の時の夏休みの読者感想文は、元burrn!編集長の酒◯康氏著の「売名行為」で書きました。この内容がまたひどい。
「俺はあのバンドと仲が良い」みたいなことと、そのエピソードが、ひたすら書かれているわけ。
当時はこの人すげーなって思ってたけど、まーひどい。
この人のDISK REVIEWにより、burrn!と聖飢魔Ⅱの関係性が長らく悪かったわけだけど、ちょっと前に「burrn!と聖飢魔Ⅱの和解」がburrn!で特集されてましたね。
その中で、今の編集長が、「前の編集長が、色々とすいませんでした」と謝罪したことが書かれていて、「やっぱりひどい人だったんだな」と再認識しました笑
ごめんなさい。全然MMOSと関係ない話です。単なるburrn!の話です。何で俺、こんなにburrn!の話してるんだ。

イングヴェイ・マルムスティーンについて
中学生の時、イングウェイ•マルムスティーンが狂おしい程好きだったのです笑
七ヶ浜の中学生が4人で仙台にイングウェイのライブを見に行くなんて、この話だけで、映画一本つくれそうですよ。とにかく、イングウェイが好きすぎて、確かイズミティ21だったかな。マグナムオーパスが出たときジャパンツアーを見に行きました。

情報はburrn!で収集していましたので、「イングウェイは性格わるいやつ」というイメージを植え付けられてておりました笑
「“イングウェイ”じゃないらしいよ。“イングヴェイ”らしいよ。」とか、
「イングウェイ性格悪いから"イングウェイ"って呼んだらキレて帰るらしいよ」
とか、事前に打ち合わせするわけですよ。みんなで「イングヴェーイ!!」と呼ぶ練習をしてましたね。

チケットを予約するわけですが、当時チケットは電話予約だから、予約当日に友達の家で集まるわけですよ。
「チケット取れなかったらどうしよう」とか、不安でいっぱいなわけですよ。
で、朝一に電話したらすぐにつながって、皆で「奇跡だー!」なんて喜んだわけですが、当日行ったらガラガラで笑 イングウェイ、人気なかったので笑
性格悪いからね笑
気合い入れてチケットを取ったあの努力は一体なんだったんだなんて、今となっては良い思い出です。とにかく楽しかったし、イングウェイはカッコよかった!元ラウドネスのマイクヴェセーラも見れたし!
というわけで、「自分がどれだけメタルが好きか」をお知らせしたいエピソードでした。
基本的にはアグレッシブで、ヒリヒリする音楽はなんでも、聴きますけどね!

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-機材へのこだわりなど

ギターへのこだわりは、今は「国産であること」位かな。
今のメインギターは、history lh10を10年位使っています。島◯楽器のまわしものではないよ!笑 フジゲンのギターは値段の割に木工の精度がよいので気に入ってます。ここ、重要!
一時期話題になったタイムレスティンバーを使用したギターを使ってみたかったので、中古で良い状態で見つけたlh10を使っています。
タイムレスティンバーの効果は、、、全然わからん笑。

ピックアップをダンカンのJB(SH-4)に交換して、配線材を全交換して、埼玉の「orange county guiters」という工房で、全体的にモディファイしてもらいました。その名も「REBORN TURNING」というらしいです。ネックをいじってるみたいです。
かなり使えるギターになっていると思います。ギターはもう、これでいいかな。

以前使っていたOrville by gibsonとOrnettsは、整備してまた使いたいかな。
昔はコンデンサまでいじった時期もありました。オレンジドロップに変えたんだけど、これも違いが全然がわからなかった。
後々聞いたら「トーンカーブが変わるよ」と教えてもらったんだけど、「あ、俺、トーン使わないからわからないや。」とその時に気付きました笑
基本的に、ギターのモディファイに関しては、「自己満足の範疇」だと思っています。

「こんなにカスタムしたギターを自分は使ってる!」と気持ちよくなれればそれで良しじゃないかな。要は愛着だよね。

アンプはPEAVEY5150Ⅱを使ってます。2005年頃に購入したのをモディファイや真空管の交換を繰り返しながらね。60W/120Wの切替スイッチの設置、電源の強化をしてもらい、出音が格段に良くなりましたし、60wに切り替えることでレコーディングでもポテンシャルが発揮できるようになりました。このモディファイも「orange county guiters」でやってもらいました。

ちなみにですが、最初に買ったギターが中学生二年生のときに塩釜の「つたや」という質屋で中古で買ったchravelのmodel6。なんと、二万円!
後で調べて分かったのですが、当時のmodel○シリーズの最上級機種で1989年当時の定価が16万円!国産で、今はめずらしいポプラ材ですね。
聖飢魔IIのエース清水も、使用していた逸品だと知ったときは、嬉しかったな。いまでも手放さず、所有しています。
これを選んだ当時の自分を褒めてあげたいです。
イングウェイのライブに感化されて、ギター回しの練習ばっかりしていて、当時ロックピンなんてつけていなかったのでギター吹っ飛んでいったのも良い思い出です笑

これまでのライブで、使用したギターは以下の通りです。

・Charnel model6(made in japan)
・ESP mirage(made in japan)
・Orville by Gibson lpc(89年寺田楽器製)(made in japan)
・Gibson Flying V
・ornetts gm6(made in japan)
・greco eg75(made in japan)
・history zls120(made in japan)
・history lh10 (made in japan)

-影響を受けたギタリスト

影響を受けたギタリストは近いところではアサリさん(farandell ex-RISE AND FALL,HALF LIFE )ですね。HALF LIFEのDown Rightは高校生の時に発売日に買った覚えがあります。大学生になってからは時間が自由になってライブ通いがはじまりましたが、HALF LIFEは高校3年の時に解散したので実際には見れていないのが心残りですね。。

RISE AND FALLなどのプレイをみて、多大なる影響を受けましたね。私はアサリさんを「仙台のウリ・ジョン・ロート」と呼んでいます笑
(元スコーピオンズのギタリスト、伝説のギター「Sky Guitar」考案者)
余談ですが、half life のラストep「leave in」は世界一エモーショナルなhard coreの音源であり、大名盤です。これを超える音源を作ったら、私はバンドを辞めることをメンバーに宣言しています笑

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-バンド続ける上で大事にしていること

日本ハードコアパンクマニアック化計画

大前提として、make mention of sightのバンド内の役割として、ハードコア本来の怒りの部分や政治的な部分(ロシアによるウクライナ侵攻はバンドとして抗議します。)のメッセージ発信やバンドとしてのベクトルを示すことは、坂井さんが担ってくれているので、僕はそのベクトルをサウンド面で具現化する担当であると、勝手に思っています。

「有限会社make mention of sight」は代表取締役(兼広報本部長)は坂井陽一、楽曲制作担当部長が高橋武志、音源制作室長タクサン、新規開拓事業部長は尾形君で、秀ちゃんは打ち上げ担当キ○タマ部長か?
実はバンドの色々な議論の中で、皆の間に入って上手に整理してくれるのが秀ちゃんで、その存在は大きいんですよね。
今はこのマニアックな部分をいかにわかりやすく発信して、「あー、こんなバンドもいるんだ掘り下げて聞いてみよー」と思える人をこの世に1人でも増やすための、「日本ハードコアパンクマニアック化計画」を着々と進行中です。
この、インタビューも、そのツールの一つに過ぎないのだ!インスタもしかり!
セカンドアルバムには影響を受けたバンドのオマージュリフを、わかりやすい形で、ふんだんに盛り込んでいます。
オマージュって響きはかっこいいけど、要はパクリ!訴えられたら負けちゃうよね!笑
半分冗談、半分本気で、このハードコアパンクの世界って意外と深い。そして、広い。掘れば掘るほど、沼にハマる。
こんなオッサンでも未だに熱中するカルチャー。それがハードコアパンク。

MMOS自体「どんなバンドに影響を受けていましたか?」と良く聞かれることがあります。ユースクルーだけじゃない影響部分が色濃く出ていると思うのですが、それは言葉にして伝えないと実際にはわからないし伝わらないのだろうなーと思います。なので、それを言葉にしてしっかりと伝えて、それをきっかけにして更にPUNK HARDCOREを深く掘り下げてってくれる人が一人でも多く増えれば良いなと思っています。ニッチな世界だけど、掘り下げると深い。自分自身、この音楽と出会って人生が素敵に潤った一人です。
1億2500万人の日本人のうち、1人でも2人でも僕らが入口になって、人生が良い方向に向かう人がいればサイコー! 一つの熱中できるものの入口になってくれればいいし、それで人生が良い方向に変わる人がでてくれば嬉しい。それできかっけでバンド始めて、このカルチャーを引き継いでくれれば、もっとサイコー!
自分を育ててくれたこのアンダーグラウンドカルチャーに対する恩返しです。
繰り返すけど、「次代に引き継がねば!」という部分は、この数年で芽生えた感情です。
また、ライブハウスでディープに音楽の話ができる日常が戻って来てほしいですね。

バンドメンバーへの信頼感

バンドは家族であるし、普通の友達以上の関係だと思う。5人編成になった経緯の項目でも触れましたが、以前メンバーの関係性が悪くなってしまっていた時期は、自分の精神的に未熟な部分も良くなかったなぁと反省するし、その経験があるので、メンバーと信頼しあえる事がバンドを続ける上で大切な部分だと思います。当たり前の事ですが、意外と難しい事です。

曲のネタは皆で持ち寄ります。それをスタジオで組み立てていく。
私がある程度作ったものを、「こんな感じのどう?」と提案することも多いです。マニアック化計画を進めていることもあり、結構わかりづらかったりする曲もあるのだろうなと思います。でも、音楽的なベクトルが同じ方向を向いているから、メンバーには理解してもらえているなぁと感じることが多いです。
MMOSは影響の受けどころが広いし、メンバーそれぞれのバックグラウンドも違うのですが、この信頼関係があるので、自然とバッキングのギターが決まり、ベース、ドラムのフレーズも決まる感じです。で、そこに坂井さんのボーカルと歌詞が乗り、曲が完成する。
このクリエイティブな作業を自然にやる事って実は難しくて、(一般論として)バンドの揉め事になるリスクを孕んでいるのですが、それがMMOSでは自然と出来ているが嬉しいし、楽しいですよね。勿論、前向きな議論はたくさんします。「そうくるか!」と、ハッとさせられる事も多いです。
今の歳になってもバンドを続けられているのは、そういう楽しさがあるからですよね。

-地元のシーンに対する想い

昔はシーンの事とか全く考えていなくて、「いかに自分達がカッコいい音を、負けない音を出す、いいライブをするか」だけでした。
要は、自己満足。自分本意。

2008年頃から仕事の都合で仙台を離れて、そこからスタジオとかライブとかに合わせて1ヶ月に1回位仙台に帰ってくる様な生活が続いていました。最近10年振り位にまた仙台を拠点にバンド活動が出来る環境になり、これから!って時にコロナが始まって、仙台の音楽シーンが壊滅状態になって、、、他のバンドも含めてLIVEはできない、自分たちもどうすれば良いかわからない状況が続いて。若いバンドの子たちも勿論新しくは出てこない?し。知らないだけかもしれませんけどね。

先程の項目でも話しましたが、コロナをきっかけにして自分という人間を形成してくれた、この仙台HARDCORE PUNKのカルチャーをどうやったら次に引き継げるのかを考えるようになりました。もしかしたら、このカルチャーを引き継ぐことで、人生救われる人が出てくるんじゃないかと、本気で思います。なぜかって、自分が救われたから。
このままでは自分という人間を育んてくれた、地元のHARDCORE PUNKシーンが無くなっていくのでないか・・・と思うと、なんとかしたいと思いますね。
昔の自分なら、こういうインタビューたぶん断っているし、インスタなんかもやってない。

若い層の人たちは、色んな音楽ジャンルがあるし、沢山のバンドマンやバンド好きな人たちがいると思うのだけれども、もしかしたら、その中でも「まだ見ぬHARDCORE PUNK」というものに、しっくりハマる人が1人でも2人でもいるのでは?と考えています。
今後どうやったら次世代に繋げていけるかということはいつもメンバーの間で話しています。
今年で42歳になりますが、バンド辞める気もないし、今後も続ける訳だけど、自分の人格形成にもつながっている仙台のハードコア・パンクシーンの文化を次の世代に残したい。全国的に見ても、仙台のハードコアパンクシーンは一目置かれる存在であると思うし、今後もそうあり続けたい。
ここは、ここ2年位のコロナの状況を通して深く感じたことです。

現実として、仙台のハードコアパンクシーンはゼロに戻ってしまったかもしれないと考えると、前向きに次をどうするかを真剣に考えないといけないし、一緒に考えてくれる次の世代を巻き込まなきゃいけない。配信?リアル?CD?アナログ?ライブの企画内容・場所・回数などを含めて、1からやらないとね。

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