教室の外、さんざめく。 #vocanote

 私が今まで出会った中で一番衝撃的だったボカロ曲について、ずっと書きたい事があったので頑張って言葉にしようと思います。まあ要約すれば「この曲しゅきぴ~~~~~!!」になるんですが、あまりにゴリラなので、もう少しなけなしの語彙を絞ります。お暇な方はお付き合いください。

……と、その前に、少しボカロに関係のない話をします。あまりに考えさせられる内容の一曲だったもので、どこから切り出せばよいかわからず、結果全く新しいところから話を始めてしまおうと言うわけです。かしこいですね。


「僕たちの生きる世界は、清く美しく正しい」かどうか

 ……話が急に大きい。「あれ、お前ボカロ曲の感想書くんじゃないの?世界救うの?」とか思うじゃないですか。違うんですよこれ、大変危険で面白く、かつ誰にでも思い当たる節があるような『思想』の話なんです。

 お話しするのは、人間の持つ「世界が正しいものであると信じたい欲求」。少し前にある記事で見た思想なのですが、名前が思い出せないので仮にこれを「正しい世界欲」とします。何を言ってるのかちんぷんかんぷんだと思うので、以下に簡単な例を出しましょう。


あなたは、ファミレスで友達とご飯を食べています。ふと横を見ると、店員さんがお客にクレームをつけられていました。怒鳴る客と、謝り通しの店員。「かわいそうだなぁ」なんて言うと、一緒にいた友達が一言。

「でも、あの店員もなんかしたんじゃないの? 料理こぼしたとか、会計間違えたとか」


 ……お判りいただけただろうか……。

「怒鳴る」という客の攻撃的な行為は、なにもなければ客の方が悪く見えます。ただここに、「店員が会計を間違えた」という要素が付け加わるとどうでしょうか。「怒鳴る客も客だが、会計を間違えた店員も店員だ」と、途端に「どっちもどっち」という状況。世界は均衡を取り戻します。

つまり、何か悪いことをしている人がいても「何かせざるを得ない理由があるんじゃないだろうか」「被害者にも落ち度があるんじゃないだろうか」と一瞬考える。『自分の今見ている世界が正しいもの(行為)であると信じたい欲求』が生まれるわけです。

「いじめられたほうも悪いんじゃない?」「痴漢されるほうにも問題があったんじゃ……」なんかも当てはまりますね。個人的には、誰もが陥りがちで、とても怖い考え方だと思っています。

これで、この思想についてはある程度ご理解いただけたでしょうか。

では皆さんお待ちかね、ボカロ曲の話に移ります。


「耳を塞ぎたくなる罵声や嘲笑。
 笑って、誤魔化して、そうやって今を生きている。」

【GUMI】教室の外、さんざめく。【オリジナルMV】

 サブタイトルは投稿者コメントから。

aquabugさんという方の処女作。マイナーなボカロ良曲を紹介する動画で今作が取り上げられてから、少しずつ認知度をあげているPさんです。

何故この曲の良さを紹介する前に、前座であんな思想の話をしたかというと、この曲のテーマ、人間関係の根底にあるもやもやについて語るのに、「正しい世界欲」は便利かなと考えたからです。眼前で飛び交う罵声や嘲笑を、それも仕方のない事なんだ、理由があるんだと誤魔化して、笑って生きている。だって世界は正しいのだから。

 Aメロ・Bメロの歌詞をみてみましょう。

固まって文句言った 固まって文句言った

固まって文句言った 頷いて笑った

馬鹿にして嘲(あざけ)った 馬鹿にして嘲った

馬鹿にして嘲った 躓(つまず)いて笑った

誰かのせいに誰かのせいに 誰かのせいに誰かのせいに

誰かのせいに誰かのせいに 誰かの誰かのせいにして笑った

誰かのせいに誰かのせいに 誰かのせいに誰かのせいに

誰か誰かのせいにして 誤魔化して 当たり前の顔をして笑った


明言はされていません。「嘲る人」「一緒になって笑う人」「笑われる人」の、どの視点で語るかによっても解釈は異なると思います。でもこの教室では、誰かを馬鹿にして嘲っている事を自覚しながら、それを誰かのせいにして 誤魔化して 当たり前の顔をして笑っている人がいるのです。むしろ、そうした人がほとんどだからこそ、この教室は今の有様になっているのでしょう。

「笑われている方にも何か原因があるはずだ」「ここで一緒に笑っておかなければ、自分がいじめられるかもしれない」

そうやって自分は悪くないと言い聞かせながら、誰かのせいにしながら、当たり前のような顔をして、笑って毎日を過ごしている。


サビの歌詞で、特に印象的だった部分です。

僕らはいいかげんな 快楽や 嘘や 嘲笑を

さんざめく教室の外、崇めて逃げた。

気まぐれに放った嘘や嘲笑。本来であれば悪い事でしょう。でも仕方ないんだ。何か「仕方ない理由」がないと、自分が一緒になって笑う行為が「悪事」になっちゃうから。だから笑って誤魔化す。崇めて逃げる。

「正しい世界欲」という言葉でオブラートに包んでみたものの、その根底は「自分がしていることは悪い事じゃない。だっていじめられる方に原因があるんだから」という醜い自己の正当化を、良い感じの言葉でまとめてみただけなのかもしれません。


Cメロ。

いつかは全てが どうにかどうにでもなって

そうなら傷つかぬように 笑ってしまえばいい

それでもいつかを 「いいように」って、変えたくて。

笑って今日を なんとか 誤魔化して 守った。


振り返ってみて、「きつかったけど今ではいい思い出」なんて事は多いかと思います。いわゆる「思い出補正」。当時の激烈な感情がないからこそ、振り返ってみるとふんわりとした良い経験だったように感じてしまう。

いつかは振り返ってみれば、この現実全てが「ふんわりした思い出」に切り替わる。どうとでもなる。この教室の惨状を、見て見ぬふりを通したまま、大人になって「いじめとかちょっとあったけど、なんやかんや良いクラスだったよね」なんて旧友の肩を抱いて笑うのだ。

振り返った時にダメージを負わぬよう、自分がいじめという悪事に加担した「嫌な思い出」にしないように、理由をつけては笑って誤魔化して、「今日を守って」おくのです。

こうして、被害者の泣き寝入りを見事に成功させた教室がいくつあったでしょうか。いじめられた隅っこの人々が見えていないかのように、大勢で笑っている「笑顔の溢れる良いクラス」。自分を誤魔化してきた人たちには、さぞ世界は正しく見えている事でしょう。


……などとのたまったところで。私も、無意識のうちに自分を誤魔化しながら、過去に、果ては現在も、同じ罪を犯しているのかもしれないのです。

「正しい世界欲」の一番怖い部分。悪事を見て、理由を勝手に構築して、「じゃあ仕方ないのかもな」などと一人合点する。一番やってはいけない事のように見えて、その実一番無意識にやってしまう考え方かもしれません。

誰しも「自分は正しいことをしてきた」つもりで視野が狭くなっている。

本当に慮るべきは、自分で見えていない世界に居る誰かだと思います。


サビの最後の歌詞です。

僕らはいいかげんな 快楽や 嘘や 嘲笑を

さんざめく教室の外、かき消すように藻掻く。


1番の歌詞では「崇めて逃げた」快楽や嘘や嘲笑。かき消すように藻掻き始めたのなら、最後は少し変われたのか。そう思うと少しは救われたような、ほっとした気分になります。藻掻いても藻掻いても正解は見つからないかもしれませんが、正解を探して必死になるのは間違いではないと。



すごく重たいテーマを、人間の醜く恥ずかしい、言葉にしづらい感情を、見事に歌いあげていると思います。aquabugさんは特に人間の「裏」の感情を言葉に出来るセンスのあるPさんですが、この曲は圧巻でした。

「教室の外、さんざめく。」はクラブに映えるサウンドで音も面白く、こうした楽曲では特に歌詞が見逃されがちです。でも私は声を大にして言いたい。

「この曲の歌詞に惚れた!!!!」


だからこそこの記事では歌詞のみに言及します。

気になった方は是非、ご自身で聴いてみてください。激動の5分間が待っています。


VOCALOSENSE






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