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相貌を変える仏様──神護寺展 薬師如来立像

 去る7月28日(日)東京国立博物館平成館で開催の神護寺展に行ってきた。  
 国宝の書画の数々、精緻巨大な修復された曼荼羅に目を見張りながら、最後の仏像の展示室を訪れた。そこには神護寺金堂の背景を占めている、本尊薬師如来立像はじめ脇侍の日光月光菩薩立像、四天王立像、十二神将立像が新たな展示空間を得て、伸び伸びと勢揃いしていた。
 本尊の前では自然と手を合わせ、本日拝顔できたことの感謝を心の内で唱えた。
 本尊を拝むのはこれで三度目である。最初が今から四年前のコロナが流行る前の春、神護寺にて、二度目が二年前の初夏の候同じく、神護寺にて、そして炎天下の本日である。
 神護寺は、清滝川まで下って急登し、さらに長い石段を上り詰めた先の山門を潜り、そのさらに石段を登った先に本尊を安置した金堂がある。最初拝んだ印象は、なんと厳しいお顔をしているのだろうとの思いだった。
 名著『京都』(岩波新書)の著者、林屋辰三郎氏の言葉──

 「……その堂々たる体躯、雄偉なる風貌、深鋭なる衣文など弘仁時代の典型的傑作として著名である……」

 瀬戸内寂聴氏はこう綴る。(『わたしの好きな仏さまめぐり』マガジンハウス刊より)

 「お顔も不気味なほど力強く、峻厳そのものである。切れ長の眦もきっと上がり、半眼に伏せた瞼の中に、何でも見通すぞといった感じの鋭い瞳が覗いている。白眼の胡粉がわずかに残っているのが、かえって恐ろしい。」

 この力強さ、迫力に感銘を受け、二度目の参拝はその感動を新たにできると期待のうちに、参道を登ったのだ。当時は身内に不幸があり、煩瑣な作業に追われ、身の削られる思いをしているさ中であった。流れる汗を拭い、木陰で息を整えてから、風渡る金堂に足を運ぶ。見上げた仏様の顔は──

 それは穏やかで、この上ない慈愛に満ちたお顔をされていた。前回の厳しい印象はどこかに行ってしまっていた。二回目はありがたい気持ちで一杯になり下山したのだ。
 そして三度目の本展示会にてである。
 今回、仏様と鑑賞者との距離が極めて近い。またバックが光背のみで、金堂のような壁の厨子に納められておらず、細長い台の上に真っ直ぐ佇まれている。鑑賞者の視線は金堂の見上げる感じよりも角度は緩めである。さらに展示室の照明は金堂よりもはるかに明るい。鑑賞者は仏様の造作をつぶさに鑑賞することができる。これは拝むことよりも芸術鑑賞を趣旨とした展示ゆえである。
 正面に回り、手を合わせる前に拝顔する。全体に赤みがとれて黒ずんでいる。口腔の朱も強く感じられない。手元の資料(『古寺行こう 13神護寺・高山寺』と『わたしの好きな仏さまめぐり』)に収載の本尊写真はマゼンタが強い色調補正でかなり赤みがかって見えるのだ。金堂で拝んだ際も全体は赤い印象があった。それが今回、チケット・広告ボードなどのお写真は全体に黒い。これは意外な驚きだった。今回の展示に合わせ、それなりに磨かれたのであろうか。非常に落ち着いた佇まいでおられて、お顔も穏やかである。悩める衆生に慈悲を垂れる仏様そのものであった。手を合わせ、こうして拝める感謝を述べると心は自然と幸福に包まれてくる。薬師如来様であることが改めて感じられた。
 今回は後ろに壁がないため、正面からのみならず仏様の横顔(後期は後ろからも)を拝むことができる。横顔は大きな耳朶、口元が突き出て、壺のなだらかな側面を思わせる。この横顔を見る限り、モデルとなった実在の人物がいたのではないかとふと思えてくる。
 とにかく、ありがたい貴重な体験の場であった。

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