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たいせつにしていきたいこと

最近始めた「RE:draw」シリーズ。
まだフォロワー数が2桁だった頃に描いた絵を描き直してみるという企画です。
顔と髪は新規描き起こし、それ以外は6割トレース、塗りは当時はエアブラシでテキトーに塗ってたので、彩度高めで塗り直してます。
事あるごとにタグに便乗して同じ作品の再掲を繰り返すよりナンボもよかろ?
どうせ再掲するなら変化をつけた方が見てくれる側も楽しめるでしょ?

わたしは度々「フォロワーさんの希望とか関係ない!自分が描きたいものを描くんや!」って公言してるけど、その一方でせっかくわたしみたいな界隈の反社絵描きをフォローしてくれたのだから楽しんでいただきたいって気持ちが強かったりします。
宵宮で露店を出すヤ◯ザみたいな?堅気とはいえないけど宵宮は盛り上げたい的な?
今、頭の中でブラックラグーンの極道編が思い出されてるよ。


フォロワー0人状態をブレイクスルーして1年と半年くらいが経ちます。

最近はユーザー名で体力ゲージを示すようになったからフォロワー数が目に入るようになったんですが…本当にこんなに増えてしまうとは思ってもみなかったよ…
今はわりと自己肯定感高めだから生意気発言を赦してほしいけど、RT営業もタグ便乗も神絵師との絡みもないのにコレって頑張ってる方じゃね?

でもね、コレ本当に本当の気持ちなんだけど…
作品をTLにアップしていいねが20超えただけですごく嬉しいんですよ。で、そこから先は20を超えた時の嬉しさがフラットに続く感じなんです。
(さすがに2000を超えた時は感慨があったけどね)
こういう気持ちのスタンスって、もしかしたら自らに施した感情のプロテクトかもしれません。

今の垢のフォロワーが2桁になった時はとにかく嬉しかったのよ。自分の絵を見てくれる人がいるってだけで幸せな気持ちになれたから、自分のフォロワー数の多少を測る価値観自体が無かったし、他の絵描きさんのフォロワー数との相対比較なんてそんな発想自体が無かった。 

そんな時代の価値観はずっと大切にしていかなきゃって思ってます。

数字を求めて描くものを選ばず、自分の内側から湧き出るものだけを大事にしていく。
そんなわがままに反応してくれる方に対しては人数関係なく感謝の気持ちを忘れない。
これを忘れずにいるだけで、わたしはしあわせな絵描き生活が送れるような気がするのです。

たまにフォローしてくれた数十人を「少ない」と自嘲したり神絵師の価値をフォロワー数で評価したりする新米(?)絵描きさんを見かけることがあったりします。
そういう考え方は破滅を導くだけなので生温く見守りますが、見守らせていただくからにはわたし自身も何か気付きを得たいわけで、自分が新米絵描きだった頃に感じていた幸せの大切さに改めて気付かせてくれました。

「RE:draw」シリーズは、周囲がどんなに変わろうとも幸せを感じる根幹はブレずにいたい…そんな“誓い”の企画なのかもしれません。

決して「ネタが尽きた…せや!昔描いた構図なら最近フォローしてくれた人には気付かれへんやろ!」ってだけの動機で始めたわけではないですよ(多分

今夜も読んでくれてありがとね。
それでは、おやすみなさい。

美波

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