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現実の話。浪人と文系学部とキャリアプラン。(その1)

1月14日、修論を終わらせた。「終わらせた」である。まあ、そういうことである。向いてないものは世の中に沢山ある。

元日、夢の話を投稿した。夢と現実というのは表裏一体だし、こんどは現実の話も書こうと思う……と言いつつ、これは14日より前に書いている部分が大半である。集中力がないな……。

あのとき、受験に失敗して潰えた夢と、ディスアドバンテージと、そこから立て直していくお話。最後はちょっと抽象的な、気持ちとかのお話。もしかしたら最後が本題かもしれないな。


ここまで進路を真っ直ぐに進んでこなかった。進んでこれなかったとも言えるので記事もまっすぐではない。自分の人生にLDA(^1)が欲しい。

あの日、3月10日、持っていた夢が潰えた日。

いまは何日になっているのかわからないが、自分が受験生をしていた時の3月10日はある大学の合格発表日だ。あの日、高校生・浪人生の抱いていた夢の明暗が分かれる。

わたしは潰えた側であった。何度も。
諦めきれずに浪人し、その「3月10日」を3回経たが、結局最後までわたしに割り当てられた番号が載ることはなかった。

小学生から塾に入れてもらっては中学受験をして県内トップ(^2)の学校になんとか入った。その後落ちこぼれて退学寸前にまでなり、それを挽回するべく高校では苦手分野を補うために塾に行き、浪人までしたのに、である。それだけ教育費を掛けてもらったんだから上手くいかないとダメじゃないかなという思いはあった。責められなかったからこそ申し訳なかった。迷惑を掛けたなあ……親は残念がってただろうなあ……とか思ってた(^3)。

特に親や教員など強制されることはなく(勿論、それに向かうためのムードは醸成されていたかもしれないというのは認めるが)、将来像をいくつか考えて進路を主体的に考えてきて生きてきたのに、まあ、報われないものは報われない。まあ、苦手は補えなかったし、浪人しても成績が伸びなかったし、そういうものなんだろう。自分なりに努力はしたつもりなんだけど、努力が足りないといえばそれまでである。

滑り止めに行くしか無いという現実。

流石に3回(現役+浪人2回)を経ると、これはもうダメだということがわかる。3浪という選択肢は無かった。

第3志望、いわゆる滑り止めとして合格していた慶應の商学部に進むことになる。

このとき、自分を救ったのはほぼ努力をせずにパフォーマンスが出ていた地理であった。
慶應義塾大学の商学部は地理で受験できる数少ない大学・学部である。たいていの文系学部以外は世界史・日本史のどちらかしか選べない。高校時代の自分は地理のみ圧倒的なパフォーマンスが出ており、それを第1志望のために利用しようとしたら滑り止めの選択肢が狭くなったのである。

「得意科目や才能で救われたんだよ」とか言われることもあるんだけど、まあ本人、特に受験生だった自分としては「時間を割いたがリターンが無かった」としか言えないという気持ちはあった。

そもそも、なぜ文系学部へ

夢の話で書いたが、情報機器やコンピュータに触れたのはかなり幼いときだった。今26歳なのだが、20年以上はコンピュータというものと過ごしている。そういう人生を送っていると「なぜ情報系に行かないのか・行かなかったのか」というものを無限に聞かれる。海外の人は気にしないかな……と思っていたが海外の人からも聞かれるのでこれは普遍的な疑問らしい。
答えはシンプルかつ恥ずかしいものである。

数学が壊滅的に苦手である。
本当に壊滅している。

一応は「偏差値70を超える進学校」にいたため、「言うて出来るでしょ?」との扱いをされることもある。本当に出来なかった。私の恥を数値で示すと(示すな)、当時のセンター試験で数IAが60点台、数IIBが40点台行けば良い方とかそういう次元である。もちろん数学は学年最下位である。東大受験においては模試・本番ともに1完したことすらない。この事実はあまりにもみっともないので忘れてほしい。

どうやら私はコンピュータは出来るが、数式の理解力が明らかに乏しい。根本的に両者は別の存在である気がしている。今後はそうも言っていられないが、やはり世の中の物事には「適性」というものが多少なりとも存在するとは感じている。

それゆえ、受験で数学を選ぶというのはかなりリスキーな行動であった。
加えて、興味関心が法学部にあった。これによって進路は迷わず文系となるわけである。

なお、いくら数学が苦手でも人生の要所要所で数学の方から近づいてくる。世の中には「腐れ縁」とかいう言葉がある。こういうのはアニメや漫画で出てくる人間関係だとそれなりに萌え(死語)ポイントになりうるのだが、現実では「苦手な分野が定期的に襲いかかってくる」というのが関の山である。残酷である。

(なお、よくSNSで見かける論争の「エンジニアが数学をやるべきかどうか」でいうと「やるべき」「理解しているべき」と認識している。わたしは望ましくないケースである。出来ないことを正当化するつもりはない、そんな人間にわたしはなりたくない。)

また、苦手だったとしても熱意があれば頑張れたのでは?という話もあるだろうが、当時、情報系を仕事にしようという熱意はなかった。

当時の自分にとってコンピュータはあくまで趣味であって、それが進路になるとは思えなかった。たとえば野球部に在籍している人が必ずプロ野球選手を目指すわけではないし、吹奏楽部に在籍している人が必ずオーケストラ奏者を仕事として目指すわけではない。それと似たようなもので、自分のコンピュータに対する能力は進路にするまでのものではなく、「当時の高校生としては良く出来てるね」程度でしかないと認識していた。

また、当時はSWE/SDE……世間的には「SE、PG」として括られていた仕事の待遇はあまり良いイメージがなかったのもある。「ハードワークだが待遇が良くない」、と。

よき親は子供の夢を応援するし、子供の将来を心配すると思う。私はプログラマに興味があるとこぼしたときに「良いけど、給料低くて仕事はハードだって聞いたよ。大丈夫なのかな?」という話をされた記憶がある。

今だったらどうだろうか。心配されるどころか、教育熱心な親御さんだとむしろ子供にBigTech(いわゆるGAFA)のSWE/SDEになってもらおうと働きかけるのかもしれない。本当に世の中とは全く想像できないものである。

そういえば近い(?)境遇を経験した方のnoteを読んだ。この話にはよく共感したし、こちらを読んだことで今までの人生をnoteにしてみようという気持ちが生まれたのはある。

“今考えても本当に不思議でしょうがないのだが、小・中学生の頃からインターネットとプログラミングに親しむというスティーブ・ウォズニアックもかくやというエリート・ギーク街道を歩んできた白山少年は、なぜか理学部や工学部に進んで職業プログラマになるという可能性を一顧だにすることさえなかった。理由は化学と物理が壊滅的にできなかったからだが、当時を思い出すとプログラマというのは重労働なのに安いというイメージが強かったように思うから、それを仕事にするというイメージが持てなかったのだ。”

余談:わたしが大学院(経済学研究科)で経済や統計にどう立ち向かっているのかという話になるが、これはRやPythonのパッケージを読みにいくという手段がある。殆どのライブラリはオープンソースであるから、幸いにもコードは読めるため、実装を掘っていけばモデルが理解できる。明らかに遠回りすぎるのでまったくもって推奨できない。あんまりにもあんまりである。

就職や生涯賃金の話が頭によぎる高校・浪人時代。

ここで現実の重い話が一気にくる。気分が乗らない時は読まないほうが良いセクションかもしれない。

母校は大変によろしくない学校(^4)で、学年の半分が浪人する。あまりにもひどい。そりゃあ「まあ今年がダメでも浪人すればいいか」という空気も出てくるわけである。
(医学部志望や難関大志望が多く、それらのハードルが高いためであるとは思うけど。)

まあ、そんな環境では「浪人した高校同期」が大量に出てくるし、浪人した先輩たちの情勢も高2・高3のときから知っている。その中でたまに出てくるのが生涯賃金や就活の話である。

就活については二浪(あるいは2留 or 1浪1留)が限度、それ以上は雇ってもらえない──というがあった。これが本当なのかは未だにわからないが、18歳やそこらの学生としては大変に恐ろしくなる話である。最悪でも二浪まででどこかの大学に決着を付けねば、という判断はここから来ているのもある。

あとは生涯賃金の話。
推測だが、これは医師を志す人達にとって大きい話題だったのかもしれない。一般的に開業医の平均年収は2500万円を超すようで、例えば二浪によって将来の約5000万円が失われると考えると、まあ確かに危機感を抱くのは分かる。そういった金額をコンスタントに稼ぐ医師などであれば金融資産なども持つだろうし、いろいろな方法でカバーできるのでは……?と今なら思うが、18歳やそこらの学生にとって「現役合格した学生に比べて予備校代+5000万の差がつく」という噂話はインパクトがある。また、実際のところ金銭という概念について詳細な知識がない高校生の段階ではそれ以上考えが及ばないのはあったかもしれない。

私は医師を目指していなかったので、それは別世界の話というか、そこまでの収入には達することはないだろうし誤差だろうと思っていた(^5)……のは嘘で、やはり周りが気にすると「生涯賃金が下がるのか~、なんかやばいな~」という危機感は出てくる。

稼ぐぞという気持ちがそこまであるわけではなかったが、何かが下がるということに対して「別に自分はどうでもいい」と思えるほど達観していたわけではなかった。

商学部でどうする?

2016年4月、商学部に入学した。それなりのワクワクと、かなりの絶望感を抱えながら。

冒頭に書いたとおり、当初の夢は叶わなかった。
とりあえずここで戦う必要がある。ここで「立て直す」にはいくつか方法があると考えた。4月段階で考えていたことは主に次の2つ。

・公認会計士資格を取る
 →会計に関しては、必修科目の基礎的な部分ですら苦戦したため才能がないと判断した(不得意な分野で戦うのは大学受験の二の舞になってしまう)。
・国家公務員を目指す
 →わりと法学部でやりたかったこと。「学閥」の話を聞いてしまうとちょっと気後れしたし、実際に周りで目指す人が居なかったので不利とは言わないまでも難しいんだろうなと思った。

ということで、両方ともしっくり来なくて商学部をしばらく浮遊する羽目になっていた。

夢を再設定したし、商学部を出ていきたかった。

ここから夢の話と関係してくる。自分の「やりたいこと」の手段が情報系寄りということが判明してから、自分は断続的に商学部からの離脱を試みている。学部時代のわたしを知っている人は「そういや言ってたね~」という感じだと思う。

・再受験
 →手段としては真っ先に思いつくが、現実的ではない。受験にあれほど苦戦したのだから……。
理工学部への第2学年編入
 →2年次編入とはいえ、必修単位の数を考慮すると+1年は避けられない。二浪で「+2年」を使い切っているため、避けたいという心情が強かった。また、受験に比べると競争は激しくないかもしれないが、試験対策のノウハウが少なく、難易度的に易しくはないと判断。
・大学院で情報系or学際系分野へ移る
 →他と比べると可能性が高いし、1年以上の準備期間がある。一旦これを暫定の目標とする

この判断をしたのがB2のときだったと思う。実際はそうはならないんだけどね。結果としては大学院の受験も上手くいかなかったので。

この先のはなしはまたこんど。

それでも、次の一手を考え続けること。

こうやって振り返ると、人生というか進路があまりにも脇道に逸れる事が多すぎる。「なんも上手く行ってなくて草」となる。道から逸れて草地に突っ込んでるもんな。

自分の夢や決断なんて大抵上手くいくものではない。努力したとしても、大抵の願いは叶わない。たとえば「こうすれば社会のためになる、人のためになる」「この作品なら世の中に通用する」なんて信じて動いたところで、それが認められるかわからない。

社会や世界ってのはわりと残酷で、そんなものである。これは受け入れないといけない。
たとえば「こうあるべきだ」って誰よりも強く信じて努力した人よりも、なんか適当にやっていた人の方が上手くいってるように見えたりする。そんなときもあるよね。

基本的に「努力は裏切らない」なんてのは嘘だと思う。正しく言うなら「資質があれば努力は裏切らない」ではないかな。
でもその資質の有無は試してみないとわからない。だからアホみたいに入試を繰り返したし、だからこそハッキリと「自分は向いてなかった」と言える(悲しいなあ)。

叶わない。夢は潰える。
そういう時にどうしてきたかを振り返ると、わたしは常に「次の一手」を考え続けてきたのかなとも思う。

世の中、行きたい場所への道筋はきっと一本だけではない。
自分は高校生のときにそれが見えなかったけどね。だから受験しかないかなって囚われていた面はあるかもしれない。

大丈夫、当初の計画がだめになってからが本番みたいなもの。上手く行かなくてもいい。だから、上手く行かなかったら次の一手をずっと考え続けていこう。方法を変える、身を置く場所を変える、タイミング(^6)を変える、誰かを味方にする──物事によるけれど、いろいろな「一手」はあるはず。

その一手を探すこと、諦めないで次の一手を試し続けること。これが夢に近づくために必要なのかなと思うよ。考え続けていこう。

次の一手と「自我作古」

6年前は不本意に進学したものだが、慶應はそんなに嫌いじゃない(^7)。
理念の中でひときわ好きな言葉がある。

じがさっこ
【自我作古】
「我より古を作す(われよりいにしえをなす)」と訓み、前人未踏の新しい分野に挑戦し、たとえ困難や試練が待ち受けていても、それに耐えて開拓に当たるという、勇気と使命感を表した言葉で、義塾の信条となっています。
https://www.keio.ac.jp/ja/about/philosophy/


人によっては、物事によっては、状況によっては思いついた「次の一手」がとんでもなく非現実的なものになることがある。理論上はできるかもしれないが、困難すぎるし、誰もやったことがない──そんなものを「次の一手」として見据えていいんだろうか?

これは状況による。明らかに無理なことだって確かにある。
だけど、「誰もやったことがないから」だけで諦めるのは早いんじゃないかな。

突拍子もない一手を叶えるために考えることは2つある。
・その一手に理屈が通っているか?
・自分自身がその一手を信じて、困難に耐えることはできるか?
もし、どちらも満たしているなら、その一手に踏み出していいとわたしは思う。

わたしが尊敬する方が居る。JAXAでMUSES-C(はやぶさ)のPMを務められた川口淳一郎さんである。その方のインタビュー記事から引用しよう。

──(略)宇宙研が「変人の集まりで居心地がよかった」と、ご著書で拝見しました。

大学院というのは大学の一部でありつつ、学生にとっては社会の入り口のようなものです。大学を出たばかりの私にとって、宇宙研は「変人の巣窟」に見えました。なぜ「変人」という言葉を使うかというと、自信過剰に見える人が多すぎたから(笑)。日本はアメリカ航空宇宙局(NASA)などの先進国とは宇宙開発において大きな差を付けられていました。実績としては、小さな人工衛星しか打ち上げられていない状態です。にもかかわらず、宇宙研の先輩方は「自分たちは惑星探査もハレー彗星探査もできるはず」と自信を持って語るんですよ。みんな自信に溢れていて、心配性の人はいませんでした。なぜそこまで自信過剰になれるのか、私には当初は理解できませんでした。

──
根拠のない自信がある人の集まりだったということでしょうか。

いえ、逆です。根拠があるからこそ自信過剰に見えるんですよ。宇宙研の人たちは宇宙を真剣に研究し、科学的な根拠を積み重ねて「これなら実現できるはずだ」と語っていたわけです。単なる思い上がりなどではありません。大学を出たばかりの私はその根拠を理解しきれず、自信過剰に見えていたのでしょうね。私はそうした人たちとの出会いから、「科学的な根拠があるなら、前例がないことでも恐れる必要はない」というスタンスを学んだのです。

https://employment.en-japan.com/myresume/entry/2021/04/13/103000

根拠があれば前例がなくても恐れる必要はない。これは科学に限らないと思う(そうなると根拠の評価は主観的になっちゃうかもしれないけど)。
根拠がきちんとしていればそれは前人未到の手段や目標であったとしても大丈夫。その目標と共に生きていい。もしダメだったらまた次の一手を考えよう。何かしらリカバリできるものはある。
これは宇宙が好きな人にだけわかる話になっちゃうけど、MUSES-C(はやぶさ)だって、PLANET-A(あかつき)だって、そうやってミッションを達成してきた。たとえばPLANET-Aでは、RCSを約20分も噴射する(^8)なんてどう考えてもありえないオペレーションだった。誰もやったことがない、それでも、それでも、そこに根拠があるなら。実行に移せると決断ができるなら。

我より古を作す。わたしが(あなたが)「古(いにしえ)」になればいい。だからこの言葉が好き。
もちろん、古を作そうとするのは自信過剰に見えるかもしれない、でもわたし(あなた)自身が根拠を持って、それを信じられるならそれでいい。

前例なんてどうでもよいよね。うそ、あったほうが確かに安心する。それは事実。
でも、道がないほうが面白くない?そうやっていろんな人が「存在しなかったはずの未来」を作っていく世界がわたしは好き。

もっと見たいな、みんなの「存在しなかったはずの世界」。
realiseしような。わたしも頑張っていきます。

ref

^1: Lane Departure Alert(車線逸脱警報システム)。航空におけるLocalizer-Type Directional Aidでも通じるな、この文脈だと。
^2: 北部九州にある。余談だが、南九州にあるカタカナの学校とライバル関係にある。両校とも校名の表記にうるさいという共通点がある。
^3: 多少は残念だったらしいが、どうやらそこまで残念ということはなかったらしい。寛大でよかった。ここはすごく感謝してる。親になることがあればこうありたいものだなとよく思う。というか文字通り中流のサラリーマン家庭であれをやってのけた親はすごいな……。
^4: これはツンデレです。好きだよあの学校。悪いところは直してほしいけどね。
^5: 当時の話。今なら「もし実力がめちゃくちゃ伸びて、USとかでSWE/SDEをやるんだったら達する可能性もあるのかなあ……」とはちょっとだけ思う。尤も、ベイエリアの地価や生活コストを考えると手放しで目指していい世界なのかは疑問であるし、今のところ自分にその予定はないが……。
^6: たとえば大学院の入試なら、春と秋で方式が違ったりする。そういうタイミングなんかも影響することはあるよね。
^7: チャラチャラした人たちは苦手だけど、大学自体はわりと好きだよ。こんなところで照れるんじゃない。
^8: 金星軌道投入のリトライにおいて、エンジンが故障していたため、通常は数秒間しか使用しない姿勢制御用のシステムを連続で長時間稼働させることで推進を実施した。(参考

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