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一人称をえらぶということ。
分析対象のデータが大きいと、相当な待ち時間が発生する。締め切り前なのに。ということで待ち時間などに本稿は書かれている。
元日に投稿した記事については複数の方から感想をいただいて、とても嬉しい。書くってよいことだね。
今回は長文を書いていて思ったことに触れてみようと思う。
わたしは、私は、ぼくは、自分は。
わりと一人称がブレる。
日本語でものを書くときの悩み。英語では迷わずに "I" しかないけど(そうでもない?)。
自分がどうやっているかはかなり無意識で、後から乱れた部分を確認して修正することが多い。だが、構造化とかを取っ払ってみたという話をしたように、その時の感情を残しておくのも良いだろうと思ってnoteではしないことも多い。
だから今回は、修正する前の感覚を振り返ってみる……みたいな話をしようと思う。
主語の省略
テクニカルライティングでは自分自身を出す必要性があまりない。だから、自分のQiitaなどを見ると主語を省略している事が多い気がする。どうしても言及しないといけないときは「筆者」になっている。
「私」、「自分」
冷静に、比較的客観的に何かを言いたいときに使っている気がする。「私」より「自分」のほうが多分もうちょっと客観的寄りかもしれない。
……と思って自分の発言を遡ったが、遡ってみると結構バラバラ。あんまり意味はないのかも。
「ぼく」
これは多分ちょっと自信がないときか、ちょっとおもしろいこと言おうとしてるときなんだと思う。
振り返ってみると ぼく「〜〜〜〜」 みたいなツイートはちょっと冗談めかした内容が多い。
「わたし」
これを説明するのはちょっと照れてしまうんだけど、「わたし」を使うときは結構気持ちや感情が入っているときが多いと思う。
何故ひらがなで書くかは本当に無意識かもしれなくて、自分でも説明できない。
気持ちが入っている分、それを柔らかくしたいのかもしれない。照れ屋だからあまり強く気持ちを主張したくない、のかもしれない。「わたし」で気持ちを綴る文体が好きで、それに憧れているのかもしれない。
あまり使わないやつ
「俺」→SNSでもほとんど使わない。書き言葉で使った経験ないんじゃないかな…… 本当にないのか?気になったので検索した。
俺が地面だ
— ryo-a (Vitya) (@geo_vitya) August 23, 2017
俺が無線局だ
— ryo-a (Vitya) (@geo_vitya) November 24, 2017
自分のことを本気で地面や無線局(^1)だと思ったことはないため、確実にネタでしか使ってないと思う。というかどういう文脈なんだろうね、2017年の自分。完全に忘れちゃった。
口語ではどうか
口語ってログが残らないので振り返りができないという問題に直面している。考えすぎて自分が何使ってるかわからなくなってきた。最近はフォーマルな場が多いため、「私」で言っている気がする。崩したときはどうだろ、相手によるかもしれない。
今回は断片的な内容だけど、このへんで。
ref
^1: 余談だが、無線界隈では「当局」という一人称がある。使ったことはないが。なんか強そう、こわい。
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