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ソウルにて

ソウル滞在中に二つの場所「戦争記念館」と「戦争女性人権博物館」を訪れた。
「戦争記念館」は主に朝鮮戦争の戦没者を弔うために建てられたもののようであったが、展示内容は”護国の戦争”を通じて朝鮮半島の歴史を知る事ができる博物館となっている。無論、35年に及ぶ日本の統治時代の展示もあるが、1945年までを”前史”としてカテゴライズしているのは日本人としても納得せざるを得ない。何れにせよ、そこは大韓民国という国家が国のアイデンティティを内外へアピールするために建てた巨大な建築物という印象であった。ここは国が用意した”答え”が並んでいる場所である。
同行した空五郎さんが「靖国神社みたいですね」と言っていたが、確かに敗戦国である日本では戦争をこのように語ることは許されず、故に宗教という範囲に納めるしかないのだろうが、戦争をある意味”美化”している点では同じであろう。

「戦争女性人権博物館」は日本の従軍慰安婦問題をきっかけに、韓国と日本の市民団体によって2012年に開館した博物館である。館自体は小さいものだが、展示は目と耳だけでなく、膚で体感できるように様々な工夫が見られ、インスタレーションとして設計されているスペースが導入口として作られていた。それは来場者が少しでも被害者女性たちの心情に近づけるようにという思いから生まれたものであろう。ここで感じるのは壮絶な体験から生まれた苦しみ、悲しみ、怒りであり、そして今もなお、彼女たちと向き合おうとしない韓国政府、そして日本政府に対する”問い”であり、同時にそれは今を生きている私たち自身へ向けられたものでもある。私が従軍慰安婦という言葉を知ったの定かではないが(1993年の河野談話か)水木しげるの描いた戦争漫画に慰安婦を描いたものがあったのを記憶している。水木しげるが「地獄だったろう」と書いていたのを思い出す。)

「戦争記念館」と「戦争女性人権博物館」はそもそも比較されるものではないが、この二つの場所を訪れて感じたことは、常に”答え”を掲げる国家と、常に”問い”を投げかける市民との乖離である。これは韓国に限った話ではなく、民主主義を唱える国家であるにもかかわらず、一部の者の利益、あるいはメンツのために多くの市民が犠牲となっているのは日本も同様である。
そして世界へ目を向ければ凄惨な光景が日常的に目に入ってくる時代となり、暗澹たる思いではあるが、私たちはこれまで同様に絶え間なく”問い”を投げかけ続けなくてはならないだろう。



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